大人になった今も、あの想像と現実が交差した雪の光景が忘れられないでいる。
 ボクは幼い頃、冬が苦手だった。それは、寒さに耐えられなかったからではない。

「ヒロシ、雪が降ってるのにまた、半袖・半ズボンだ! 強がるの止めたらいいのに。バッカじゃない」
 小学生当時、ボクはどの季節でも真夏時のような格好をしていたから、冬になると目立ってしまった。先生の目が届かない帰り道で、クラスメートのマユによく馬鹿にされてしまう。
 マユは当たりがキツかった。
「ほら、何か、言ってごらんよ」
 こんな時、いつも怯えて何も話せない。
「イタ! 痛い!」
 また、やられた。半ズボンから出た素肌の太ももに、マユが雪玉を投げつける。それが命中し、冷気で感覚が鈍っていた太ももに刃物で突き刺されたような痛みが襲った。
「やっとヒロシがしゃべった」
 意地悪そうな笑みを浮かべて、マユは去っていく。冬の帰り道は、泣いてばかりだった。ボクは、好きで半袖・半ズボンの出で立ちをしていたのではない。
 触覚過敏。
 耐えられないのだ、小学校の冬用制服の肌触りが。チクチクするような感触がして、我慢ならない上、我慢すると気が狂いそうになる。冬用制服を着てノイローゼになるくらいなら、寒さに耐えて半袖・半ズボンでいる方がいい。
 このほかに、服に付いているタグも感触が気持ち悪くてすべて切り落としたし、ショートソックスのスネが擦れる感覚が嫌でハイソックスしか履けないなど、病的なものだった。ボクのような自閉症傾向がある人に、よく見られる症状らしい。大人になった今は、ある程度耐えられるようになったが、それでも抜けきれない。
 泣きながら家に帰って、マユの非道さを訴えても、母は決してボクを守ろうとはしなかった。
「この話はもう、忘れなさい」
 母はこんな時、いつもボクが水に流すように促す。それが悲しかった。
「マユが悪い!」
「何を言ってるの。マユちゃんは、……もう、そっとしてあげて」

(お父さん……)
 やり切れないことがあると、無性に優しい父に会いたくなる。
 以前、家族は全員、名古屋に暮らしていたが、ボクが小学校に上がると大人数の集団生活に馴染めず、登校できなくなった。それを心配した母が、三重県の最北部いなべ市の立田地区へと引っ越したのだ。
 雪深い立田地区は過疎地域で山村留学制度があった。地域の空き家に住むことを条件に、全国から少人数教育を求める家族を募っていて、母がこの制度に飛びついたという訳だ。父は名古屋で仕事があり、一緒に暮らすことができなかった。
 山村留学していた立田小学校で、ボクの学年は、たった7人。このうち3人が山村留学で移住してきた子たちだった。
 父とはずっと会えないでいた。ましてや、雪が降る時期は峠道が通行止めとなるため、父に会える可能性すらなかった。
 立田地区の冬は、長い。勢いよく舞い降りる雪を、ボクは部屋の窓から恨めしそうに見つめ、父が恋しくて夜は泣いてばかりいた。
「またテストで100点とったよ」「英検2級をとったよ。いなべ市で最年少記録だって」
 父に会えたら話したいことが山ほどあった。父はいつもボクが自慢をするたび頭をくしゃくしゃに撫で、「偉いな」と笑って誉めてくれる。ボクがクラスメートから「変だ」とか「おかしなヤツ」などと馬鹿にされ、落ち込んでいると「お前は頭が良すぎて理解されないだけだ。お父さんの自慢の息子だ」と抱きしめてくれる。父に会えないから、立田地区で降り積もる雪が、ボクは哀しかった。