「いやぁ…」
「まさかな…」
「「隣か…」」
結局一緒にマンションへ入ったが、なんとお隣さんだったらしい。まずい。嘘がバレる、というかバレた。なんて言い訳をしよう…。
「ん?ここに泊まったのか?とゆーことは遊、愛ちゃんの知り合いか?」
「うぇ!?ええっと…」
急に聞かれて反応に困った。こうなることは予想してない…そもそも分かるはずは無かったし、何も返答の用意が出来てない。…だが彼の発言には引っかかるものがあった。
「『愛』って月矢さんの名前でしたよね?もしかして虎岩さんも知り合いですか?」
「知り合いも何も、小っさいときから知ってるよ!小学生の頃にこのマンションに家族で越して来たんよ!」
「そうなんですか!?一人暮らしって言ってましたが…」
「いや、今一人暮らしなのは間違いないんだが…。もしかして、聞いてないんか?」
「何をです?」
「愛ちゃんのか「あ!虎岩さん!こんにちは!」
声のした方を向くと、缶ビール入りのレジ袋を片手に持った月矢さんが手を振って僕らの方を見ていた。
「おや、君も帰って来てたんだ。衣替えしたね、似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます」
「もしかして一緒に帰ってきた?話してたけど」
「はい、ちょうど銭湯で会ったので一緒に帰ってきたんです」
「あ、そーなの」
「そう、昨日も会ったんだよ、写真撮ってるときに」
「へー、知り合いだったんですか!」
「そうよ」
なんて玄関の前で雑談を始めてしまった。気温は昨日よりも低いがまだ三十度はあり、また汗をかいてしまいそうだ。
「あ、ところで愛ちゃん」
「ん?何?」
「遊とはどうゆう関係なんだい?」
最悪だ。うまいこと話題を逸らせたと思っていたが無理だったらしい。
「…遊?」
「…遊はこいつの名前だよ。知り合いじゃなかったんか?」
しかも僕は月矢さんに名乗ってない。完全に僕のミスだ。月矢さんはちらりとこちらを見た、どうやら事態は把握できたが良い言い訳が見つからないらしい。まあ僕もそうなのだが。
「ああ、この子?実は昨日会ったばっかりの子なんですよね」
「出掛け先で知り合ったのか?」
「うん、そうそう」
「で、そのつい昨日知り合った奴を泊めたと?」
少し虎岩さんの顔が険しくなった気がした。
「ああ、そんな顔しないでよ。いいの、この子は信頼できるよ」
「いくら愛ちゃんの決めたことだからって、良いことと悪いことがあるだろ?」
「だいじょーぶ!虎岩さんだって、この子はいい子だって分かるでしょ?あんなに仲良く話してたんだし」
「もし愛ちゃんに何かあればのことを考えるとそうも言ってられん!俺もそう思ってるが下手したら『誘拐』だぞ!」
「…私今日泊めただけだけど?」
「…ん?」
虎岩さんが気の抜けた顔をした瞬間を彼女は見逃さなかった。
「家出少年匿ったとかじゃないよ?ただ一日泊めただけ。しかもこの子十九歳、なんと成人済みです!すなわち、このまま泊めようが家に帰そうが犯罪になりません!よって別に問題ありません!」
「んん、愛ちゃんが犯罪者になるようなことはない、それは分かった。だが、自分が被害者になる場合もあったんだぞ?もしこうした手口の泥棒とかだったらどうしてたんだ!本当に悪人だったら、死んでたかもしれないぞ!」
「昨日私はちゃんとこの子が寝るまで面倒見てたんです!しかも持ち物は財布と定期だけで危険物無かったし!動いても分かるように一緒に寝たし!何も問題ありません!」
しばらく虎岩さんは口をつぐんで固まっていた。月矢さんの気迫にやられたのか言い返せなくなったのか。
「昨日この子は私を頼ってきたの」
「……」
「いつ虎岩さんがこの子と会ったのか分からないけど、少なくとも私が会ったときには、今にも目の前の交差点に飛び込んじゃいそうな様子だった。さっきの言い方じゃ、きっとそんな様子は無かったんでしょ?」
「まあ、そうだが…」
「ただ疲れてただけじゃない。本当に心から疲れて、もうどうしようもなかったから、この子は私に頼ってきたの。そこに一切の嘘は感じなかった。昨日私に話してくれたこと、その時流した涙、浮かべた表情に、何も害意は感じなかった。誰も心配させないように無理に作ったような笑顔、耐えきれなくなったときの暗い顔、あのときと同じ顔をしてた!それを私が見逃すわけがない!主観と言えばそれまでだけど、それでも私はこの子を信じたい!」
そうだ。こんな状況は本当はあり得ないことだ。素性を知らない人間を家に招き入れる。そこにどれだけ葛藤があっただろうか。僕も疑問に思ってはいたが、なんて失礼なことをしてたのだろうか。彼女は僕のことを、ここまで信じていたのに。涙目になりながら、必死に話してくれているのに。
「…愛ちゃんがそこまで言うなら、俺はもう何も言わんよ」
「ありがとう、私も大声出してごめんなさい」
「…遊」
「はい」
「何も愛ちゃんにしてないんだな?」
「はい」
「…そうか」
ふう、と大きなため息をついて彼は口を閉じた。すると次の瞬間、深々と頭を下げた。
「ええ、どうしたんですか!?」
「すまなかった…!」
「え?」
「俺も遊のことは悪い人間では無いと思う、思いたい!だが、愛ちゃんは俺にとって娘みたいなもんで、何かあったら心配で…!お前さんを貶すような、失礼なことを口走ってしまった…!本っ当にすまなかった!」
「いいや、そんな!僕だってきちんと説明してなかったし、後ろめたいことではあったので!そんな、こちらこそごめんなさい!」
「うんうん。誤解が解けたのは良いことだ!じゃあ、立ち話もなんだし、そろそろ帰りません?」
「ああ、そうだな。長い時間話して悪かった。…遊」
「はい?」
「あんなことを言った手前言いづらいんだが、またいつか、今日みたいに話相手になってくれるか?」
「…はい。僕で良ければ、いくらでも!」
そう言って僕は先に月矢さんの家にあがり、リビングのエアコンを付けに行った。
「なあ、愛ちゃん」
「なぁに?虎岩さん」
「遊は遊だぞ。…他の誰でもない。代わりでも、影法師でもない。あいつ自身なんだ」
「なに言ってるの?それはそうだよ、当たり前じゃん」
「重ねるなよ。辛いのは分かる。俺も一目見た時、面影を感じた。でも、あくまで別人なんだ。苦しいだろうが、それでも「虎岩さん!!」
「…!」
「分かってる」
「…そうかい」
少し遅れて彼女は家に入った。
「何話してたんですか?」
「…ううん。なんでも」
昼食に冷凍ピラフをいただいたが、食べ終わる頃には午後三時を過ぎていた。起きたのも遅いし、ゆっくり話過ぎたかもしれない。時間の流れは早いものだ。
「いやぁこれじゃおやつだね」
「それにしてはハイファットハイカロリーですね」
「ハイファットはお菓子の用語だよ?」
「自分で『おやつ』って言ったんでしょうに…」
あまり細かいことは気にしなさそうなので、ここをツッコまれるとは思わずたじろいでしまった。
「朝ごはんと昼ごはんの間を『ブランチ』って言うなら、このご飯はなんて言うんだろうね?」
「『ブレックファスト』と『ランチ』を合わせたのだから…『ランチ』と『スナック』で『ランク』?」
「普通の単語になっちゃったね」
「じゃあ『ラナック』ですか?」
「野球選手だ」
「じゃあ『スナック』を『ナーッシュ』に変えて、『ランシュ』か『ラーッシュ』ですかね?」
「前者は『ランニングシューズ』の略だから『ラーッシュ』しかないね。」
「不自然過ぎません?しっかり考えましょ?」
「君が考えたんでしょ?なんで私責められてんの?」
なんて不毛な会話をしていると「あ!」と彼女が突然大声を上げた。
「私、君の名前聞いてない!」
「あ、言ってない」
「私だけ名乗らせて不公平じゃない?ちょっと教えてよ。」
「『白雲遊』です。白い雲に遊ぶって書きます」
「へぇ、いいじゃん。近年稀に見る正統派な名前だ」
「キラキラネーム世代ではないですよ」
「ちょっとあれはね…。眩しすぎて直視出来ないよね…」
「共感性羞恥ですね」
「ちょっとぼかしたのに!」
「名付ける方は楽しくても付けられた方は辛そうですよね」
「ゲームのキャラ名とかしっかり考えるタイプ?」
「大抵『あかさ』です」
「なんで?」
「入力しやすいんで」
「君は論外!」
合理的でいいと思っていたが駄目だったらしい。
「そういえば月矢さん」
「なに?」
「『君』って呼び方変わりませんか?」
「ああ、そうか。名前教えてもらったもんね」
「僕は『月矢さん』呼びにしたので、それもなんか不公平だと思って」
「そうかぁ、じゃあ…『黒雲くん』で!」
「…はい!?」
「今の君は雨が降りそうな黒い雲みたい。青空に浮かぶ軽そうな白い雲みたいなイメージは、君を見たときには湧かなかったんだ。だから君の心が晴れるまで、ちゃんと幸せになるまではそう呼ぶよ」
「…なんか釈然としませんね」
「あはは、冗談だよ!そんなの嫌でしょ?」
「いや、いいです」
「…なんで?」
「今、一つ目標が出来ました」
「お、なに?」
「月矢さんに『白雲くん』って呼ばせることです」
「…そんなのでいいの?本当に?」
「はい。将来の夢とか希望なんて崇高なものは、まだ見つかりそうにないです。でも、だからこそ、この目標を今は道標にしたいんです」
きっと僕が幸せになるには、将来の夢を見つけて、叶えるため努力して、叶える必要がある。きっとこの目標は人生の最後に達成されるものになってしまう。でも、それでも構わない。どれだけ時間がかかろうと、どれだけ挫けようと、今は、今を生きるためにこの目標が必要だ。暗闇の中走り続けた日々、それに一筋の光が灯った気がした。
「そうか。曖昧なものだけど、君の目標を作れたなら、良かったなぁ」
「『黒雲くん』です」
「あんまり自分から名乗るようなものじゃ無いと思うよ?」
それからもぐだぐだと雑談を繰り返した。気づくと午後五時になっていた。缶ビールを開けた月矢さんはそれを一口飲んだ後、僕を見つめ始めた。
「どうしました?」
「…決まった」
「何がです?」
「君にやって欲しいこと」
「あ…」
今日の朝のことを思い出した。確かにもう午後だ。
「何を、すればいいですか?」
「私はね…」
「黒雲くんに、幸せになって欲しいんだ」
「まさかな…」
「「隣か…」」
結局一緒にマンションへ入ったが、なんとお隣さんだったらしい。まずい。嘘がバレる、というかバレた。なんて言い訳をしよう…。
「ん?ここに泊まったのか?とゆーことは遊、愛ちゃんの知り合いか?」
「うぇ!?ええっと…」
急に聞かれて反応に困った。こうなることは予想してない…そもそも分かるはずは無かったし、何も返答の用意が出来てない。…だが彼の発言には引っかかるものがあった。
「『愛』って月矢さんの名前でしたよね?もしかして虎岩さんも知り合いですか?」
「知り合いも何も、小っさいときから知ってるよ!小学生の頃にこのマンションに家族で越して来たんよ!」
「そうなんですか!?一人暮らしって言ってましたが…」
「いや、今一人暮らしなのは間違いないんだが…。もしかして、聞いてないんか?」
「何をです?」
「愛ちゃんのか「あ!虎岩さん!こんにちは!」
声のした方を向くと、缶ビール入りのレジ袋を片手に持った月矢さんが手を振って僕らの方を見ていた。
「おや、君も帰って来てたんだ。衣替えしたね、似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます」
「もしかして一緒に帰ってきた?話してたけど」
「はい、ちょうど銭湯で会ったので一緒に帰ってきたんです」
「あ、そーなの」
「そう、昨日も会ったんだよ、写真撮ってるときに」
「へー、知り合いだったんですか!」
「そうよ」
なんて玄関の前で雑談を始めてしまった。気温は昨日よりも低いがまだ三十度はあり、また汗をかいてしまいそうだ。
「あ、ところで愛ちゃん」
「ん?何?」
「遊とはどうゆう関係なんだい?」
最悪だ。うまいこと話題を逸らせたと思っていたが無理だったらしい。
「…遊?」
「…遊はこいつの名前だよ。知り合いじゃなかったんか?」
しかも僕は月矢さんに名乗ってない。完全に僕のミスだ。月矢さんはちらりとこちらを見た、どうやら事態は把握できたが良い言い訳が見つからないらしい。まあ僕もそうなのだが。
「ああ、この子?実は昨日会ったばっかりの子なんですよね」
「出掛け先で知り合ったのか?」
「うん、そうそう」
「で、そのつい昨日知り合った奴を泊めたと?」
少し虎岩さんの顔が険しくなった気がした。
「ああ、そんな顔しないでよ。いいの、この子は信頼できるよ」
「いくら愛ちゃんの決めたことだからって、良いことと悪いことがあるだろ?」
「だいじょーぶ!虎岩さんだって、この子はいい子だって分かるでしょ?あんなに仲良く話してたんだし」
「もし愛ちゃんに何かあればのことを考えるとそうも言ってられん!俺もそう思ってるが下手したら『誘拐』だぞ!」
「…私今日泊めただけだけど?」
「…ん?」
虎岩さんが気の抜けた顔をした瞬間を彼女は見逃さなかった。
「家出少年匿ったとかじゃないよ?ただ一日泊めただけ。しかもこの子十九歳、なんと成人済みです!すなわち、このまま泊めようが家に帰そうが犯罪になりません!よって別に問題ありません!」
「んん、愛ちゃんが犯罪者になるようなことはない、それは分かった。だが、自分が被害者になる場合もあったんだぞ?もしこうした手口の泥棒とかだったらどうしてたんだ!本当に悪人だったら、死んでたかもしれないぞ!」
「昨日私はちゃんとこの子が寝るまで面倒見てたんです!しかも持ち物は財布と定期だけで危険物無かったし!動いても分かるように一緒に寝たし!何も問題ありません!」
しばらく虎岩さんは口をつぐんで固まっていた。月矢さんの気迫にやられたのか言い返せなくなったのか。
「昨日この子は私を頼ってきたの」
「……」
「いつ虎岩さんがこの子と会ったのか分からないけど、少なくとも私が会ったときには、今にも目の前の交差点に飛び込んじゃいそうな様子だった。さっきの言い方じゃ、きっとそんな様子は無かったんでしょ?」
「まあ、そうだが…」
「ただ疲れてただけじゃない。本当に心から疲れて、もうどうしようもなかったから、この子は私に頼ってきたの。そこに一切の嘘は感じなかった。昨日私に話してくれたこと、その時流した涙、浮かべた表情に、何も害意は感じなかった。誰も心配させないように無理に作ったような笑顔、耐えきれなくなったときの暗い顔、あのときと同じ顔をしてた!それを私が見逃すわけがない!主観と言えばそれまでだけど、それでも私はこの子を信じたい!」
そうだ。こんな状況は本当はあり得ないことだ。素性を知らない人間を家に招き入れる。そこにどれだけ葛藤があっただろうか。僕も疑問に思ってはいたが、なんて失礼なことをしてたのだろうか。彼女は僕のことを、ここまで信じていたのに。涙目になりながら、必死に話してくれているのに。
「…愛ちゃんがそこまで言うなら、俺はもう何も言わんよ」
「ありがとう、私も大声出してごめんなさい」
「…遊」
「はい」
「何も愛ちゃんにしてないんだな?」
「はい」
「…そうか」
ふう、と大きなため息をついて彼は口を閉じた。すると次の瞬間、深々と頭を下げた。
「ええ、どうしたんですか!?」
「すまなかった…!」
「え?」
「俺も遊のことは悪い人間では無いと思う、思いたい!だが、愛ちゃんは俺にとって娘みたいなもんで、何かあったら心配で…!お前さんを貶すような、失礼なことを口走ってしまった…!本っ当にすまなかった!」
「いいや、そんな!僕だってきちんと説明してなかったし、後ろめたいことではあったので!そんな、こちらこそごめんなさい!」
「うんうん。誤解が解けたのは良いことだ!じゃあ、立ち話もなんだし、そろそろ帰りません?」
「ああ、そうだな。長い時間話して悪かった。…遊」
「はい?」
「あんなことを言った手前言いづらいんだが、またいつか、今日みたいに話相手になってくれるか?」
「…はい。僕で良ければ、いくらでも!」
そう言って僕は先に月矢さんの家にあがり、リビングのエアコンを付けに行った。
「なあ、愛ちゃん」
「なぁに?虎岩さん」
「遊は遊だぞ。…他の誰でもない。代わりでも、影法師でもない。あいつ自身なんだ」
「なに言ってるの?それはそうだよ、当たり前じゃん」
「重ねるなよ。辛いのは分かる。俺も一目見た時、面影を感じた。でも、あくまで別人なんだ。苦しいだろうが、それでも「虎岩さん!!」
「…!」
「分かってる」
「…そうかい」
少し遅れて彼女は家に入った。
「何話してたんですか?」
「…ううん。なんでも」
昼食に冷凍ピラフをいただいたが、食べ終わる頃には午後三時を過ぎていた。起きたのも遅いし、ゆっくり話過ぎたかもしれない。時間の流れは早いものだ。
「いやぁこれじゃおやつだね」
「それにしてはハイファットハイカロリーですね」
「ハイファットはお菓子の用語だよ?」
「自分で『おやつ』って言ったんでしょうに…」
あまり細かいことは気にしなさそうなので、ここをツッコまれるとは思わずたじろいでしまった。
「朝ごはんと昼ごはんの間を『ブランチ』って言うなら、このご飯はなんて言うんだろうね?」
「『ブレックファスト』と『ランチ』を合わせたのだから…『ランチ』と『スナック』で『ランク』?」
「普通の単語になっちゃったね」
「じゃあ『ラナック』ですか?」
「野球選手だ」
「じゃあ『スナック』を『ナーッシュ』に変えて、『ランシュ』か『ラーッシュ』ですかね?」
「前者は『ランニングシューズ』の略だから『ラーッシュ』しかないね。」
「不自然過ぎません?しっかり考えましょ?」
「君が考えたんでしょ?なんで私責められてんの?」
なんて不毛な会話をしていると「あ!」と彼女が突然大声を上げた。
「私、君の名前聞いてない!」
「あ、言ってない」
「私だけ名乗らせて不公平じゃない?ちょっと教えてよ。」
「『白雲遊』です。白い雲に遊ぶって書きます」
「へぇ、いいじゃん。近年稀に見る正統派な名前だ」
「キラキラネーム世代ではないですよ」
「ちょっとあれはね…。眩しすぎて直視出来ないよね…」
「共感性羞恥ですね」
「ちょっとぼかしたのに!」
「名付ける方は楽しくても付けられた方は辛そうですよね」
「ゲームのキャラ名とかしっかり考えるタイプ?」
「大抵『あかさ』です」
「なんで?」
「入力しやすいんで」
「君は論外!」
合理的でいいと思っていたが駄目だったらしい。
「そういえば月矢さん」
「なに?」
「『君』って呼び方変わりませんか?」
「ああ、そうか。名前教えてもらったもんね」
「僕は『月矢さん』呼びにしたので、それもなんか不公平だと思って」
「そうかぁ、じゃあ…『黒雲くん』で!」
「…はい!?」
「今の君は雨が降りそうな黒い雲みたい。青空に浮かぶ軽そうな白い雲みたいなイメージは、君を見たときには湧かなかったんだ。だから君の心が晴れるまで、ちゃんと幸せになるまではそう呼ぶよ」
「…なんか釈然としませんね」
「あはは、冗談だよ!そんなの嫌でしょ?」
「いや、いいです」
「…なんで?」
「今、一つ目標が出来ました」
「お、なに?」
「月矢さんに『白雲くん』って呼ばせることです」
「…そんなのでいいの?本当に?」
「はい。将来の夢とか希望なんて崇高なものは、まだ見つかりそうにないです。でも、だからこそ、この目標を今は道標にしたいんです」
きっと僕が幸せになるには、将来の夢を見つけて、叶えるため努力して、叶える必要がある。きっとこの目標は人生の最後に達成されるものになってしまう。でも、それでも構わない。どれだけ時間がかかろうと、どれだけ挫けようと、今は、今を生きるためにこの目標が必要だ。暗闇の中走り続けた日々、それに一筋の光が灯った気がした。
「そうか。曖昧なものだけど、君の目標を作れたなら、良かったなぁ」
「『黒雲くん』です」
「あんまり自分から名乗るようなものじゃ無いと思うよ?」
それからもぐだぐだと雑談を繰り返した。気づくと午後五時になっていた。缶ビールを開けた月矢さんはそれを一口飲んだ後、僕を見つめ始めた。
「どうしました?」
「…決まった」
「何がです?」
「君にやって欲しいこと」
「あ…」
今日の朝のことを思い出した。確かにもう午後だ。
「何を、すればいいですか?」
「私はね…」
「黒雲くんに、幸せになって欲しいんだ」