「あなたは…名前はなんですか?」

「うん、そうだね。まずはちゃんと相手の素性を知らなくちゃだ。でも生真面目に名前から行く?合コンとかじゃないんだよ?」

「ええと…じゃあ…あなたは誰ですか?」

「うーん、あんまり変わってない気もするけど…。まあ良し、コホン。私は『月矢愛(つきのやあい)』。君みたいな人を放っておけない心優しいお姉さんだよ!」

「…」

「あ、怪しいと思ってる?」

「こんな夜更けにそんな陽気な感じであんな泣いていた僕に話しかける人をそう思わないわけがありません」

「うーん、やっぱりそうだよね〜。でも私は、ちゃんと君の話を聞いてあげたいと思ってるんだけどな~」

「泊まらせるだけじゃないんですか?」

「あれ?怪しいって言ってたわりに乗り気じゃんね」

「…気になったから聞いただけです」

「あはは!顔赤くしながら言っても説得力ないよ」

「放っておいてください」

「ああ、怒んないでよ。『話を聞きたい』これは本当だからさ」

「…いいえ、いいです。僕が悪いだけなので」

「…優しいね、君」

「何がですか?」

「自分で解決しようとしているところ。優しい人は誰かのせいにすることを嫌ってそうするんだよ。誰のせいでも無いことでもね」

「そうじゃないです。自業自得です」

「そうとも言えないの。君みたいに落ち込んでる人はどんどんマイナスに考えちゃう。九割誰かが悪くても、自分のせいの残り一割が十割に感じちゃう。主観じゃわからないこともあるんだよ」



全部知ったような口ぶりで、何を言っているんだこの人は。



「自分のことは自分が良く知っています」

「じゃあ、君は今どんな顔をしてるのかな?」

「…」

「きっと君は、まだ泣いていた頃のような顔をしていると思ってるでしょ。でも今はね、すごく落ち着いた、安心した顔をしているんだよ」

「…」



気づけば涙は止まっていた。



「自分のことは自分じゃ気づけない。本心とかは特に。一番知ってそうなことなのに、それでも全部は知れない。なぜこうしたのか、どうしてこう言ったのか、その動機になる本心はなかなか理解し難いものだよ?」

「じゃあ、誰に言えば良いんですか?友人も家族も、もう誰にも迷惑をかけたくない、心配させたくないのに、嫌われたくないのに、言えるわけがないのに!」



少し間が空いて彼女は僕に問いかけた。



「誰かに話すのが怖い?」

「…はい」

「それはどうして?」

「きっと、失望されるから。こんな子供っぽいことで悩んで、時間を浪費してる今の自分を知られたくないから」

「それってさ、きっと『今の自分を知られたくない』じゃなくて『過去の自分と比べられたくない』じゃない?」

「…なんでですか?」

「伝える相手の中に『君と今までに関わってきた人』しかいなかったから」



無意識だったが、確かに他人に話すなんて選択肢は考えてなかった。



「本当は分かって欲しいけど、でも伝えられないほどそんな思いも大きい。私にはそんなふうに見える。…なんか君、自分を大切にしているね。極力傷つかないように立ち回ってる。なんとか強い自分でいようとしてる」

「…だって嫌じゃないですか。傷つくのは誰でも。自分の弱みなんて、他人に話すなんてもってのほかです」

「でも信頼出来る人には話せない、だから一人で抱え込む。それだと誰も君の異変に気づけないまま君が傷つく。そんな事態になっちゃう。それじゃ、だめだよ」

「じゃあ、誰に話せば良いんですか?」

「…ねえ、私じゃだめ?」

「…」



「私の中での君の第一印象は『今にも壊れちゃいそうな泣き虫男の子』私には君が強い子だと思えないなぁ」

「それがどうしたんです?」

「わからない?君が強い子だなんて思ってない。何なら『一人で夜中衆人環視の中泣き腫らしてた』なんて黒歴史になりそうなことも知ってる。…そんな人に、もう既に君の弱みしか知らないような人に悩みを言う。それは君の言う『怖いこと』なのかな?」

「…」

「大丈夫だよ、きっと二人だけの秘密にしてあげる。ただ気が済むまで話してくれるだけでいい。だからさ、君の力になれないかな?」

「…なんでそんなに気にかけてくれるんですか」



途端に彼女の顔が曇った。口角はなんとか上げているが今にも泣き出しそうな、そんな表情だった。



「……。そうだね。君にだけ話させて私は言わないのは不平等かな」



数分経ってようやく喋りだしてくれた。確かに気になる、でも。



「いいえ、大丈夫です」

「え、なんで?」

「今、自分がどんな顔してたか分かってましたか?」

「…あ、あはは。これは一本取られたね」

「無理に話さなくてもいいです。僕みたいに誰かに伝えたい、そう思っているわけではないんですよね?」

「…やっぱり君は優しいよ」

「今度はいい意味ですか?」

「うん」

「…月矢さん(・・・・)

「なに?」





「頼っても、いいですか?」

「…うん。私で良ければ、いくらでも」







家はタワマンの一室。廊下から見えるのは光輝くビル群。まさに絶景だった。残業中の方々、お疲れ様です。



「お邪魔します」

「邪魔するなら帰って〜」

「さよなら〜」

「ああ待った待った」



と、月矢さんの家の玄関前でそんなやり取りをする。足はもう動く。嗚咽も止まった。こんな軽口まで叩けるようになった。この人に出会わなかったら、一体自分はどうしていただろうか。そんなことを考えると、既に僕は月矢さんにかなり助けられてるような気がする。あの時、月矢さんと話してよかった。



「…ありがとうございます」

「何が?」

「あの時に声をかけてくれて」

「へ〜、ふ~ん」

「どうしてそんなにニヤニヤしてるんです?」

「いやぁ、まさかそんな言葉が君から出てくるとはねぇ。可愛らしいじゃん。今どきそんな素直な子いないよ?」

「前言撤回、早く入りましょう」

「え〜、次はツンデレ?」

「ツンギレです」

「それはただキレてるだけじゃないかなぁ!?」

「ボカーン」

「ツングースカ大爆発!?」

「なんで分かったんですか!?」



こんなことしてたら日が昇る。さっさと入ろう。



「はい、どうぞ」

「…うわぁ」



良く言えば『生活感がある』悪く言えば『汚部屋』そんな感じの部屋だった。ごみ袋が散乱しているような感じではなく、服が脱ぎっぱなし、空き缶が転がっている、そんな感じの。



「いやぁごめんね!私出不精でさ、上手いことゴミ出しの日と外出が被ってくれないとこうなるんだよね」

「…良いんですか?」

「何が?」

「虫が湧きますよ」

「そんな怖い顔で言わないでよ…。もしかして虫の居所が悪い感じ?」

「虫酸が走ります」

「そんな言う!?」

「…」

「…無視?」

「正解」

「さては余裕出てきたね?」







ゴミを踏まないようにしながら廊下を歩く。奥にあるリビングへ続くドアの他に五つのドアがある。二つはトイレと風呂場で一つは月矢さんの部屋へのものだとすると、二つ余る。時刻は夜一二時を過ぎているのに物音がしなかったのは家族が寝ているからか、それとも他の用途なのか。



「キョロキョロしちゃってぇ、緊張してる?」

「いいや、別に」

「ほんとかなぁ?」

「…そんな大きい声で話して良いんですか?」

「いいの。防音だし一人暮らしだし」

「こんな広い家に一人で住んでるんですか!?」

「うん、今はね」

「こんなに部屋があるのにそれじゃあ片付けは大変ですね」

「イヤミか貴様。…いいの、使ってない部屋がほとんどだし」

「…そうですか」



使ってない(・・・・・)。物置にしてるとかなのだろうか。でもそれは一応『使ってる』の範疇ではないか?…まあ僕が知ってもどうしようもないことだ。



「はい、リビング到着!」

「廊下と変わらず汚いですね」

「ぐっっ…!言葉はナイフなんだよ少年…」

「時折メンテナンスしないと錆びちゃうじゃないですか」

「試し切り感覚で傷つけないで!」

「大丈夫ですよ、こんにゃくも切れない刀なんで」

「斬鉄剣じゃん!他のは大抵切れるじゃん!」

「刃渡り十三キロしかないですよ?」

「『しか』じゃないよ?充分射程圏内だよ?」

「もしかして逆刃刀のほうが良かったですか?」

「怪我が打撲に変わっただけだよ!」



だが端に寄せられていて多少歩きやすかった。



「じゃあここ、座ってて」



指した指の先には座椅子が三つ、四角のテーブルを囲うようにして置かれていた。



「じゃあ、失礼します」

「飲み物は何が良い?」

「水で良いです」

「…なーんかその言い方嫌だなー」

「はい?」

「『で良いです(・・・・・)』って妥協してる感じ。それあんまり良い聞こえ方しないよ?まだ『良い』か『悪い』で語ったほうが良いくらい」

「じゃあ、水が良い・・・です」

「よし、飲み給え」



乾いた喉に水分が染み渡る。たった一杯の水だったが、流れた水分が全部戻ってきたような気がした。



「落ち着いた?まあ聞くまでもないか。」

「はい」

「だいじょぶそう?」

「はい」

「じゃあ、君のペースでいいからさ」





「話してごらん」