時間は十分。短いのだろうか、長いのだろうか。
僕の行く末を知るには。
「朝比奈類。志望校、国立A大学医学部……理由はわかってる。お姉ちゃんのためだろ?」
するどい……さすが、僕だ。
放課後の教室。僕の目の前には、モニターに映る僕がいる。二十年後……三十八歳の僕だ。
「やめとけよ」
「え……?」
「答え、教えてやろうか? 僕の毎日……おまえが進む未来だよ」
中年の僕は……くたびれた白衣を着た無精髭の未来の僕は、笑った。いまの僕にはできない不気味な笑みだ。
「僕はお姉ちゃんを救えないんだよ! 二十年経っても! 無理なんだよ、おまえの……僕の頭脳では……!」
「嘘だ! できるって。大学に行ってたくさん勉強すれば……」
「無理なんだ、無理なんだよ……」
未来の僕は、うつむいて目をこすっている。
「父さんも母さんも、飽きれてる……。……眠りつづける生き霊の姉に取り憑かれた弟だって、研究所では噂になってるよ。類……いまなら間に合う。おまえは、おまえの人生を描け、な?」
映像が乱れる。電子音が鳴った。
『終了三分前です』
「それでも、僕は諦めない。ねえ、未来の僕はもう諦めちゃうの?」
「そ、そんなことないだろ!?」
「そうだよね、きみは僕だからわかるんだ」
『終了一分前です』
「僕が生きているあいだに、お姉ちゃんは治らないかもしれない。でも僕の研究が役立つはずなんだ。だから、僕はこの道を行く」
長い電子音が鳴る。
『未来面接を終了します』
映像は消えた。
―――
「朝比奈くん、お疲れ様」
クラス担任が教室に入ってきた。僕はおおきく息を吐く。
「先生……未来の僕って、シビアな状況なんですね」
「そうねえ。でも、朝比奈くんは……」
「はい。進路は変えません。医学部に行きます。お姉ちゃんを治したいから!」
僕のお姉ちゃん、朝比奈楓。
プールで溺れた幼稚園児の僕を助けようとした、当時中学生だったお姉ちゃん。
あの事故で、お姉ちゃんは意識不明になった。
あれから、十年以上が経つ。
数年前に、大発見があった。
意識不明とは、ルートのちがう世界に意識が飛んでしまうことで起こるらしい。
本人の意識が漂う世界を見つけ出して救い出せば、確実に目を覚ます。
異なる世界に行くには、いくつかの資格がいる。医師免許もそのうちのひとつだ。意識を回収する装置を操るには、工学系の知識も必要だ。
僕には、やるべきことがいっぱいある。
「朝比奈くん。どうして未来面接があると思う?」
「えっと……未来の自分を見て、受験に挑む勇気が沸くからですか」
「はじめはそうだったわ。いまでは、逆の目的があるの」
「逆?」
「過去の自分を思い出すため。夢を見ていた自分を。その夢が叶うかわからなくても、がむしゃらに進んでいた昔の自分と、向き合うため。……朝比奈くん。あなたの言葉は、未来のあなたのエールになったはずよ」
「え! そうだったら、うれしいなあ」
未来の僕。くじけないで。もし、道に迷うことがあったら、僕を思い出して。
―――
「あのときは、自分で自分を信じられなくなってたんだろうなあ」
病院前の桜並木を、僕は少女が乗る車椅子をゆっくりと押して歩いた。腰が曲がった僕の力では、あまり早く押せない。
「なにか言った、先生?」
「なんでもないよ、朝比奈さん」
少女……お姉ちゃんの表情はずっとこわばっている……目覚めてから。
「笑わないのかい? 外に出るなんて久しぶりじゃないか」
「だって、誰もいないのよ。お父さんも……お母さんも……友達も……眠ってるあいだに、みんな、みんな……あ、あの子は!?」
「あの子って?」
「類。私の弟! 先生、知らない? すごくかわいくてね。でもね、とても頑固なの。絵本を買ったら、ご飯前にわたしが読んであげないと泣いちゃうの」
「ああ、そんなこともあったなあ……」
「先生?」
僕は車椅子を押すのをやめて、真っ白な顎髭を撫でた。
髪はすっかりなくなったから、触れるとしたら髭しかないのだ。
「生きてるよ……きみの弟は、いまも」
「ほんと!」
お姉ちゃんは、車椅子を動かしてこちらを向いた。
「やっと笑ったね」
「先生、早く会わせて!」
視界が滲んで、お姉ちゃんの笑顔が見えない。
「先生……泣いてるの?」
「類は、おまえに会うのが怖いんだ。もうすっかり歳を取って、ヨレヨレのジジイになった自分を……姉であるおまえが受け入れてくれるか、不安なんだ……」
「でも、私は会いたい!」
「どうして……」
「どんな姿になっても、かわいい弟には変わらないから!」
「お姉ちゃん……」
「まさか、先生……」
「ありがとう、お姉ちゃん……」
ひざまずき、車椅子に座るお姉ちゃんを抱きしめた。
声を上げて泣きながら。
お姉ちゃんは、僕の頭を撫でた。
「類、類……がんばったね、がんばったんだね。ありがとう……」
桜が咲くたびに思い出した。
高校を卒業する頃のことを。
未来の自分から警告されたあの日のことを。
二十年後、過去の自分に向かって夢を否定した日のことを。
これからは、桜が咲くたびに思い出すだろう。
お姉ちゃんの声を……八十年振りに僕の名前を言ったお姉ちゃんの声を。
泣きじゃくる僕の頭を撫でる、お姉ちゃんの手のあたたかさを。
過去の僕よ。
諦めないおまえは正しかった。
あのときのおまえに、僕は支えられた。
そのまま歩け。おまえの未来を。
夢見た未来をつかむんだ。
【了】
僕の行く末を知るには。
「朝比奈類。志望校、国立A大学医学部……理由はわかってる。お姉ちゃんのためだろ?」
するどい……さすが、僕だ。
放課後の教室。僕の目の前には、モニターに映る僕がいる。二十年後……三十八歳の僕だ。
「やめとけよ」
「え……?」
「答え、教えてやろうか? 僕の毎日……おまえが進む未来だよ」
中年の僕は……くたびれた白衣を着た無精髭の未来の僕は、笑った。いまの僕にはできない不気味な笑みだ。
「僕はお姉ちゃんを救えないんだよ! 二十年経っても! 無理なんだよ、おまえの……僕の頭脳では……!」
「嘘だ! できるって。大学に行ってたくさん勉強すれば……」
「無理なんだ、無理なんだよ……」
未来の僕は、うつむいて目をこすっている。
「父さんも母さんも、飽きれてる……。……眠りつづける生き霊の姉に取り憑かれた弟だって、研究所では噂になってるよ。類……いまなら間に合う。おまえは、おまえの人生を描け、な?」
映像が乱れる。電子音が鳴った。
『終了三分前です』
「それでも、僕は諦めない。ねえ、未来の僕はもう諦めちゃうの?」
「そ、そんなことないだろ!?」
「そうだよね、きみは僕だからわかるんだ」
『終了一分前です』
「僕が生きているあいだに、お姉ちゃんは治らないかもしれない。でも僕の研究が役立つはずなんだ。だから、僕はこの道を行く」
長い電子音が鳴る。
『未来面接を終了します』
映像は消えた。
―――
「朝比奈くん、お疲れ様」
クラス担任が教室に入ってきた。僕はおおきく息を吐く。
「先生……未来の僕って、シビアな状況なんですね」
「そうねえ。でも、朝比奈くんは……」
「はい。進路は変えません。医学部に行きます。お姉ちゃんを治したいから!」
僕のお姉ちゃん、朝比奈楓。
プールで溺れた幼稚園児の僕を助けようとした、当時中学生だったお姉ちゃん。
あの事故で、お姉ちゃんは意識不明になった。
あれから、十年以上が経つ。
数年前に、大発見があった。
意識不明とは、ルートのちがう世界に意識が飛んでしまうことで起こるらしい。
本人の意識が漂う世界を見つけ出して救い出せば、確実に目を覚ます。
異なる世界に行くには、いくつかの資格がいる。医師免許もそのうちのひとつだ。意識を回収する装置を操るには、工学系の知識も必要だ。
僕には、やるべきことがいっぱいある。
「朝比奈くん。どうして未来面接があると思う?」
「えっと……未来の自分を見て、受験に挑む勇気が沸くからですか」
「はじめはそうだったわ。いまでは、逆の目的があるの」
「逆?」
「過去の自分を思い出すため。夢を見ていた自分を。その夢が叶うかわからなくても、がむしゃらに進んでいた昔の自分と、向き合うため。……朝比奈くん。あなたの言葉は、未来のあなたのエールになったはずよ」
「え! そうだったら、うれしいなあ」
未来の僕。くじけないで。もし、道に迷うことがあったら、僕を思い出して。
―――
「あのときは、自分で自分を信じられなくなってたんだろうなあ」
病院前の桜並木を、僕は少女が乗る車椅子をゆっくりと押して歩いた。腰が曲がった僕の力では、あまり早く押せない。
「なにか言った、先生?」
「なんでもないよ、朝比奈さん」
少女……お姉ちゃんの表情はずっとこわばっている……目覚めてから。
「笑わないのかい? 外に出るなんて久しぶりじゃないか」
「だって、誰もいないのよ。お父さんも……お母さんも……友達も……眠ってるあいだに、みんな、みんな……あ、あの子は!?」
「あの子って?」
「類。私の弟! 先生、知らない? すごくかわいくてね。でもね、とても頑固なの。絵本を買ったら、ご飯前にわたしが読んであげないと泣いちゃうの」
「ああ、そんなこともあったなあ……」
「先生?」
僕は車椅子を押すのをやめて、真っ白な顎髭を撫でた。
髪はすっかりなくなったから、触れるとしたら髭しかないのだ。
「生きてるよ……きみの弟は、いまも」
「ほんと!」
お姉ちゃんは、車椅子を動かしてこちらを向いた。
「やっと笑ったね」
「先生、早く会わせて!」
視界が滲んで、お姉ちゃんの笑顔が見えない。
「先生……泣いてるの?」
「類は、おまえに会うのが怖いんだ。もうすっかり歳を取って、ヨレヨレのジジイになった自分を……姉であるおまえが受け入れてくれるか、不安なんだ……」
「でも、私は会いたい!」
「どうして……」
「どんな姿になっても、かわいい弟には変わらないから!」
「お姉ちゃん……」
「まさか、先生……」
「ありがとう、お姉ちゃん……」
ひざまずき、車椅子に座るお姉ちゃんを抱きしめた。
声を上げて泣きながら。
お姉ちゃんは、僕の頭を撫でた。
「類、類……がんばったね、がんばったんだね。ありがとう……」
桜が咲くたびに思い出した。
高校を卒業する頃のことを。
未来の自分から警告されたあの日のことを。
二十年後、過去の自分に向かって夢を否定した日のことを。
これからは、桜が咲くたびに思い出すだろう。
お姉ちゃんの声を……八十年振りに僕の名前を言ったお姉ちゃんの声を。
泣きじゃくる僕の頭を撫でる、お姉ちゃんの手のあたたかさを。
過去の僕よ。
諦めないおまえは正しかった。
あのときのおまえに、僕は支えられた。
そのまま歩け。おまえの未来を。
夢見た未来をつかむんだ。
【了】