「優歌はお父さんのことどう見えてた?」

「…いつも怒ってて、お母さん泣かして最低な男だよ」

自分でもわかるくらい不機嫌な声。
そんな声にも母は可笑しそうに笑う。

「やっぱりお父さんはすごいね。本当にどこまでも優しくて強かった」

嬉しそうに誇らしそうに。
なにそれ。違うでしょ?
優しくなんかなかった。それは母が一番よく知ってるはずなのに。

「優歌はお父さんがいなくて今まで寂しくなかった?」

「そりゃあ、ちょっとくらいは」

「そうだよね。そこはお父さんの落ち度。愛娘を寂しくさせちゃダメだよね」

母は再び立ち上がり、一度部屋を出ていった。
テーブルの上の料理は少しずつ冷めていく。
やっぱり、2人でこの量は食べきれないよ。

帰ってきた母は一つの小さな箱を抱えていた。
少しテーブルの上を片付けて、私の目の前にそれを置く。
そこには見慣れない字で私の名前が書いてある。

『世界で1番大切な優歌へ パパより』

「お父さんがね、大きくなって優歌がこの家を出る時に渡して欲しいって。私も中は見てないの。あの人かなり不器用で恥ずかしがり屋だから」

お母さんに視線を向けると微笑みながら頷く。

そっと箱に手をかけ、開く。

そこには一枚の淡いピンク色のDVDと水色と緑の手紙が2通入っていた。

「こんなこと、出来るような人じゃないと思ったのに。本当にどこまでも不器用な人」

箱の中を見て母は泣いた。
父が亡くなって、初めてみる母の涙だった。

「これ、見ていいのかな?」

「うん。でもね、きっとこれあなたに宛てたものだから。お母さんがみたらお父さん怒っちゃう。恥ずかしがるわ」

だから、引越し先で見て。
そう母は言う。
その泣き笑いぐしゃぐしゃの顔は本当に嬉しそうだ。

DVDの日付は14年前の冬。
父が亡くなる1週間前。

その字は揺れている。
一生懸命書いたのがわかる。
記憶にないけど、これは間違いなく父の字だ。

わからない。
わからないよ。

記憶の中の父はいつも不機嫌で、母にもちっとも優しくなくて。
一番大事だとか書いてるくせに、私たちを置いていっちゃって。
その後の母の苦労も知らないでしょ?
せめてあの時泣いていた母を慰めて欲しかった。
優しいお父さんのままで最期までいてほしかった。

「お父さんね、お母さんが泣いちゃっても怒らなかった。本当に泣きたいのはお父さんだったのに、私がいつも先に泣いちゃうから」

母はそっと緑色の手紙を手に取る。
そこには母の名前。
もちろん父から母に宛てた手紙だった。

「こんなもの。今更。それよりも、一緒にいて欲しかった」

愛おしそうに手紙を額にあて、静かに母は泣く。
初めて聞く弱音だった。
どこまでも切ない本音だった。

「本当は優歌ともずっと一緒にいたかったんだよ。でもね、父親っていうのは弱いところを娘には見られたくないの。苦しくて痛くて叫びたくて泣きたくて。それをあの人はずっと1人で耐えてた。誰もいない夜に1人で泣いてた」

涙を拭い、こちらを向く。

「あなたがお母さんのためにお父さんを怒ってくれた時、お父さん喜んでた。こんなに小さいのに優しい子だって。あなたなら大丈夫って」

知らない父親の本当。
それは全く現実味がない。
だって、そんなの知らないから。

「きっと綺麗な思い出より、この方が優歌、あなたが辛くないから。嫌われてもいいってあの人は言ってた。でも、きっとそれは嘘。じゃないとこんなもの残さない。ただせめてこうやって家を1人で出ていくくらい大きくなるまでは隠しておきたかったのね」

そんな嘘いらなかった。
ずっと大好きなままでいたかった。
一瞬でも憎しみなんて抱きたくなかった。
綺麗なままで良かったのに。

もしくは何も知らないまま。
このまま嫌いなままでいたかったのに。

「…ずるいよ、お父さん。嫌いだったのに」

「本当ね。でもね、これだけは絶対。お父さんは誰よりもあなたの幸せを願ってた。大事な愛娘の成長を誰よりも側で見守りたかった。あの瞬間にあなたを一番に愛してくれていたのはあの人なのよ」

あの時、泣いてでも父の側にいた母。
その理由はもう明白だ。

私の知ってる父は偽物で。
いや、多分ただ極々一部分だったんだ。
きっと、私が知らないだけで父は多くのものを残してくれている。
この生活があるのはそのおかげでもあるのだろう。

「お母さんありがとう。多分ね、お父さんの事、全部は許せないんだ。でも、やっぱり私のお父さんはただ1人だけだ」

静かに箱を閉める。
これを開くのはもう少し先でもいい。

今は、今あるこの感情と向き合いたい。

母は笑って頷いた。
静かに穏やかに最後の夜が更けていく。