こころを紐で縛られたような苦しさ。その苦痛が肺、喉、まぶたまでせり上がってきて……しかし、僕は泣かない。泣けない。
『気配』を察知した茜が魔法を使うからだ。
昔から。そして、いまも。そばにいる茜に悟られないよううつむいていたのに、やっぱり気づかれた。
茜が何十年と紡いできた呪文。
茜が口に出さなくても、なんて唱えているか僕にはわかるようになってきた。
「そらよ、そらよ。ありのままのこころをささげます。このきらきらにひかるなみだを、そらのしずくとしておさめます」
「……泣かせてよ、泣かせてよ、茜」
「まだ泣くときではないわ、譲」
涙を消す魔法のあとに、必ず僕に告げる口癖。
でもさ、茜。
僕が泣いてもいいときは、好きな人が現れるときだって言っていたよね?
そのとき。
茜の涙を拭う人はどこにいるの?
茜は……ひとりで生きていくの?
魔女だから……仕方ないの?
茜が魔法を使った日の夜は、きらきらと星が瞬く。あの星のきらめきのどれかが、僕の涙なのかもしれない。
「今夜も綺麗な星空ね、譲」
茜は、ベランダで夜空を見上げる僕の隣に立った。
「いよいよ明日ね」
「茜。茜もいい人を見つけてね」
「なに言ってんの!? 私は恋なんて……」
「そんなこと言うなよ、茜!」
僕は茜を抱きしめた。
「……こうやって、僕から抱きしめるのは初めてだね。茜。僕は、ずっと茜に慰めてもらったけれど、これから茜と抱きしめ合う人っている?」
茜はなにも言わずに、身を震わせた。
僕はいっそう力を込めた。
「僕、知ってるよ。茜だって自分が泣くときに魔法を使ってること。でもさ。魔法なんて使わなくても慰めあう人が必要だよ、茜」
「そうね……ありがとう、ありがとう。譲」
茜は僕の胸を押した。涙を振り払おうとしているのか、何度も瞬きをしている。
茜が口を開こうとしたので、僕は制した。
「茜! 魔法は使っちゃダメだよ」
「もう、わがままな弟ね。それじゃあ……」
茜は僕の胸に飛び込んだ。すすり泣く茜の背中を僕は撫でた。
「……由紀ちゃんにはないしょよ?」
「わかってる」
僕は茜を抱いたまま、夜空を見上げた。
いままで空に捧げた、僕の涙よ。
きらめく星のひかりとなった、僕の涙よ。
茜を守るひかりとなれ。
……僕だって、春川家の人間だ。
この身体に、何百年、いやもっと昔から受け継いできた魔女の力が眠っているかもしれない。
強く祈れば、僕の願いは叶うかもしれない。

結婚式は順調に行われた。
ブーケトスのときに、由紀は僕に耳打ちした。
「譲さん。ブーケ、茜さんに渡すのは失礼かな?」
「それは、やめたほうが……結婚って意味だし……」
「私、茜さんにも幸せになってほしい! 譲さんと私が幸せになるんだから、茜さんも幸せになる! うん、これがいいと思う!」
僕が言い淀んでいると、茜が由紀に抱きついた。
紺色のドレスを着た茜。その色は、施設にいた頃に茜が着ていたブレザーに似ていた。
「いいの、由紀ちゃん! 私、名案があるの。ブーケありがとね」
茜はブーケを受け取ると、一輪、一輪、空に向かって投げた。
参列者からはどよめきが起こった。「もったいない」とつぶやく人もいた。
僕は、茜がなにをするかなんとなくわかっている。
「呪文はひらめき。魔法は奇跡」
茜の口癖だ。
どんな魔法を操るべきか、瞬時にこころにうかぶらしい。
誰かを励ましたい。笑わせたい。そう思った瞬間にとびっきり最高の魔法を編み出す。
それが、本当の魔女なんだ。
放り投げられた花は地面に落ちず、空中に浮かんでいる。
全ての花を宙に投げると、茜は高らかに叫んだ。