僕は姉が唱える呪文を聴いたことがない。
「声に出さずに口を動かすだけよ。魔法なんて簡単、簡単」
と、姉はいつも言っていた。
弟の僕には、魔力の手ごたえなんてちっともわからない。
春川家の魔力は、母の母の、そのまた、母から……と女性だけに受け継がれていくからだ。
だから僕の姉、春川茜は『魔女』
僕、春川譲は『魔女の弟』であり、『普通の男』だ。
僕らは、施設で育った。
あ、きみは歴史の授業で学んでいるよね。
2100年にあった、『魔女いらない運動』
かなり昔にあった『魔女狩り』とは内容がちがう、世間から魔女を追い出す『運動』さ。
ご丁寧に、ハッシュタグまでできたんだよ。いまでもSNSで検索すれば出てくるかもしれない。
『#魔女きえろ』とか、『#魔女退治』とか、『#魔女はゴミ箱に』とか、えーっと、あとなんだったかな。
『魔女の特徴はこれだ』というイラストが投稿されたのがきっかけだった。アカウント? もちろん、匿名だったよ。
そのうち、『この女は魔女だ!』という隠し撮りが投稿されていった。
まあ、ここまでは『魔女狩り』のネットバージョンのような経路だ。
やがて、ある大学の研究所が数百万人の女性を調査してわかった。
魔女には、特殊なDNAがある、と。
それが、僕の家、春川家だった。
母は身体が弱く、とうに天国に旅立っていた。
父は、僕らが施設に行くことを最後まで反対した。施設で待っているのは、魔力を持つ可能性がある子供に施す『教育』だからだ。でもね、反対すれば、今度は父が世間に言われるんだよ。
『おまえが魔女と結婚したから、魔女が産まれたんだ』って。
茜と一緒に家を出た朝のことは、よく覚えている。全く泣かない僕を、父は抱きしめてくれた。
「かわいそうに……譲。なにもわからないから涙も出ないんだろう?」
わかってるよ。父さんにはもう会えないんだよね?
そう言いたかったけれど、これから行く山の向こうにある虹に僕は目を奪われていた。
施設に行く前日の夜は、雷が轟いていた。
激しく窓を叩きつける雨の音が怖くて、僕は、茜のいる部屋の布団に潜り込んだ。
泣いている僕を茜は、一晩中抱きしめてくれた。
僕は、茜を「姉ちゃん」と呼んだことがない。
茜は、父とも、亡くなった母ともちがう風に僕を守ってくれる。そんな気がした。「姉ちゃん」なんて呼んだら、もっと甘えてしまいそうで、僕はいつも茜を呼び捨てにしていた。
「譲。『お姉ちゃん』って呼ぶのが恥ずかしいんでしょ? 仕方のない子ね」
茜は笑って許してくれた。
10歳年上の茜は、僕に甘い。まあ、15歳の姉から見れば、5歳の弟はおもちゃの人形のようにかわいかったのかもしれない。
施設に着くとすぐ、僕と茜は引き離された。
声は聞こえないが、茜はガラスの窓を隔てた向こうの部屋にいた。
「まだ学生なのよ。なんで隔離されなきゃいけないのってアピールしてやるんだから!」
茜はそう言って、中学校の制服である紺色のブレザーに、灰色のチェックのスカートを着てきた。
僕は、机に向かい、白い箱の中身を触らずに当てるというテストをした。さっぱりわからなかった。
テストが終わり茜を見やると、書類にサインをしていた。親指に朱肉をつけて書類に押している。
茜が、スカートのポケットから白いハンカチを取り、涙を拭った。
どうして?
茜が僕よりも、『大人』に近いから?
茜が魔女だから?
僕に気づいた茜が、手を振った。
笑わないでよ、悲しいんだよね。
「茜、茜!」
僕は立ち上がり、窓を叩いた。手が痛い。
涙が、涙が止まらない。
「声に出さずに口を動かすだけよ。魔法なんて簡単、簡単」
と、姉はいつも言っていた。
弟の僕には、魔力の手ごたえなんてちっともわからない。
春川家の魔力は、母の母の、そのまた、母から……と女性だけに受け継がれていくからだ。
だから僕の姉、春川茜は『魔女』
僕、春川譲は『魔女の弟』であり、『普通の男』だ。
僕らは、施設で育った。
あ、きみは歴史の授業で学んでいるよね。
2100年にあった、『魔女いらない運動』
かなり昔にあった『魔女狩り』とは内容がちがう、世間から魔女を追い出す『運動』さ。
ご丁寧に、ハッシュタグまでできたんだよ。いまでもSNSで検索すれば出てくるかもしれない。
『#魔女きえろ』とか、『#魔女退治』とか、『#魔女はゴミ箱に』とか、えーっと、あとなんだったかな。
『魔女の特徴はこれだ』というイラストが投稿されたのがきっかけだった。アカウント? もちろん、匿名だったよ。
そのうち、『この女は魔女だ!』という隠し撮りが投稿されていった。
まあ、ここまでは『魔女狩り』のネットバージョンのような経路だ。
やがて、ある大学の研究所が数百万人の女性を調査してわかった。
魔女には、特殊なDNAがある、と。
それが、僕の家、春川家だった。
母は身体が弱く、とうに天国に旅立っていた。
父は、僕らが施設に行くことを最後まで反対した。施設で待っているのは、魔力を持つ可能性がある子供に施す『教育』だからだ。でもね、反対すれば、今度は父が世間に言われるんだよ。
『おまえが魔女と結婚したから、魔女が産まれたんだ』って。
茜と一緒に家を出た朝のことは、よく覚えている。全く泣かない僕を、父は抱きしめてくれた。
「かわいそうに……譲。なにもわからないから涙も出ないんだろう?」
わかってるよ。父さんにはもう会えないんだよね?
そう言いたかったけれど、これから行く山の向こうにある虹に僕は目を奪われていた。
施設に行く前日の夜は、雷が轟いていた。
激しく窓を叩きつける雨の音が怖くて、僕は、茜のいる部屋の布団に潜り込んだ。
泣いている僕を茜は、一晩中抱きしめてくれた。
僕は、茜を「姉ちゃん」と呼んだことがない。
茜は、父とも、亡くなった母ともちがう風に僕を守ってくれる。そんな気がした。「姉ちゃん」なんて呼んだら、もっと甘えてしまいそうで、僕はいつも茜を呼び捨てにしていた。
「譲。『お姉ちゃん』って呼ぶのが恥ずかしいんでしょ? 仕方のない子ね」
茜は笑って許してくれた。
10歳年上の茜は、僕に甘い。まあ、15歳の姉から見れば、5歳の弟はおもちゃの人形のようにかわいかったのかもしれない。
施設に着くとすぐ、僕と茜は引き離された。
声は聞こえないが、茜はガラスの窓を隔てた向こうの部屋にいた。
「まだ学生なのよ。なんで隔離されなきゃいけないのってアピールしてやるんだから!」
茜はそう言って、中学校の制服である紺色のブレザーに、灰色のチェックのスカートを着てきた。
僕は、机に向かい、白い箱の中身を触らずに当てるというテストをした。さっぱりわからなかった。
テストが終わり茜を見やると、書類にサインをしていた。親指に朱肉をつけて書類に押している。
茜が、スカートのポケットから白いハンカチを取り、涙を拭った。
どうして?
茜が僕よりも、『大人』に近いから?
茜が魔女だから?
僕に気づいた茜が、手を振った。
笑わないでよ、悲しいんだよね。
「茜、茜!」
僕は立ち上がり、窓を叩いた。手が痛い。
涙が、涙が止まらない。