宮司は寝所から跳ね起きると、着替えをそこそこに仮本殿の神座に座り御魂代に深々と頭を垂らす。
 御魂代は御錦に包まれており、荘厳とした佇まいで神座に鎮座している。

「降神の儀もなく、私のところに降りてくださるとは……なんともったいないこと」

 感無量でありながらも畏怖恐々としている宮司の前に降りたのは、荒日佐彦。
「我の声が聞こえ者がお前でよかった。……さて、話があるのだ」
「はい、なんなりと」

「一つは、槙山家の宮司がこの神社の役職から離れ、お前が跡を継いだ件だ」
「急な交代で申し訳ございません。やはり槙山家の者に関わってもらうのが筋でしょう」

「いや、それはもう良い。こちらも納得している。以後、お前が継ぐがいい」
「しかしながらわたくしめには、妻も子もおりませぬ……」
「宮司、お前の目に叶った者に跡を継がせるがいい。お前の目なら信用できる」

 それは宮司にとってこれ以上ない賛辞に聞こえ、鼻をすすりながら声を出す。
「はい、承知しました」

「それと……本日、この村と周辺の『厄』を取り込んだ。これは『禍』に近いもの。人間同士の争いか邪な者たちが蠢いておろう。そちらでも重々祓い清めねばならん」
「はい。わたくしの力の及ぶ限り、精一杯務めさせていただきます」

 それから、しばしの間静寂が起きた。
 もうお去りになられたか? ――と思うも、まだ重厚で荘厳な圧が目の前に鎮座しているのを宮司は感じ、頭を上げられない。

 一つ、溜め息が漏れた。

 神が溜め息を?

 何か機嫌を損ねるようなことをしたのだろうか?
 いや、もしかしたら献上品が途中から変わったことに不満が?

「発言の許可をいただいてもよろしいでしょうか?」
 ああ、と小さいがハッキリとした応答に宮司は口を開く。

「もしや、お納めしました献上品に何か問題が……?」
「いや、問題ない。むしろ短い期間でよくあれだけ支度を調えたと感謝している。……白花、――下界で『うさぎ』と呼ばれていた我の妻にあつらえたようにどれも似合っていた。お前が我が妻を想い調えたのだろう?」

「決して、他意なぞございません。……そうですか、よい名前を与えられ、あなた様に可愛がられているようで安心しました」

「それと……槙山家の者に伝えよ。『神信を怠るな』と」
「それは……! もしや、槙山家に禍いが? やはり、引き続き辻結神社を奉るよう説得いたします!」

「神職から離れただけで、突然に滅びるわけではない。……だが、今までの加護がなくなる分、己等が努力せねばこれ以上栄えることなどない」

 ――直系は、自らの行いを改めよ。我が妻に感謝せよ。








「最後にそう告げて、お帰りになりました」

 さっそく宮司は、朝早く槙山家に出向き御祭神の言葉を伝えた。

 献上品については話さなかった。
 娘の美月が同席している。また機嫌を損ねてヒステリックに騒がれると面倒だからだ。
 
 神のやりとりから最後の言葉まで伝えたが、槙山家の当主勇蔵とその家族は渋い面を崩さない。

「宮司。それは前の仕返しか?」
「……はっ?」

 当主の言葉に宮司は驚き、ポカンと当主である勇蔵を見つめる。

「わしが神職から降りる、その際に押し倒したのを根に持っているのか? それとも献上品を取り返したことの仕返しか?」
「いやいや……! そのことなどもう、わたくしの頭の中から抜けておりました! 神職から降りることも帝都に行くのならやむなし。献上品についてはこちらで用意をしました。今朝、こうして参ったのは……」

「――黙れ! 神の声? 信じられるか! 大方そういえば恐れて辞職を撤回し、寄付金でもせしめ取ろうとでも考えているのだろう!」
「神に誓ってそのような考えはありませぬ!」

 老体とは思えぬ宮司の大声に当主家族は、身を固まらせた。

「辻結神社の御祭神は、おそらく今までの槙山家の献身に感謝し、その後のことを案じてわたくしめにお言葉をお伝えくださったのでしょう。それを伝えに参上したまで!」

 そう言い切ると宮司は立ち上がり、形だけの礼をして屋敷を去った。

「……困ったものだ。きっと神のお言葉を真剣に考えることなどしないだろう」

 伝えることは伝えた、と宮司は呟くと社務所へ戻った。
 まだまだ遷宮の準備で忙しい。