ベッドに移って、由梨に背中を向けるように横になった。その【仲のいい男の子】には今まで一度も会っていない。本当にそんな人がいたの、と疑ってしまう。本当に仲がいいなら、きっと会いに来てくれているはずなのに。もしその男の子に会えたら、何か思い出せることがあるかもしれない。彼女は夢の中でいつも見ていた流れ星を思い出す。遠くの空を、一瞬だけ光って消えていく流れ星。その正体を、もしかしたらその男の子なら知っているのかもしれない。彼女はそんな淡い期待を抱き、それを吐き出すように息を吐いた。

いや、家族や友人に会っても何も思い出せなかったんだから、そんな都合のいいこと起きるはずなんてない。

彼女の背中に由梨は「また明日ね」と声をかけて病室を出た。その足で、美容室に向かう。もう閉店していたけれど、雅弘の姿が見える。彼も由梨の存在にすぐに気づいたらしく、ドアの鍵を開けて、中に入れてくれた。

「こんばんはっ!」
「すいません、夜分遅くに。また美緒がお世話になったみたいで」
「いやいや、全然!」

 由梨の少し困惑したように眉をひそめた表情が気になった雅弘は、椅子を用意して由梨を座らせた。そして、奥で飲み物を用意してくれる。

「ティーバッグの紅茶ですけど」

 そう言って温かな紅茶が入った紙コップを由梨に渡す。手のひらに紅茶の熱さが伝わってくる。

「いいえ、ありがとうございます」
「美緒ちゃん、鈴奈ちゃんと一緒に来たんですよ。鈴奈ちゃん、明日退院で、その前に医療用ウィッグを合わせる必要があって」

 鈴奈が、以前から【彼女】によく懐いていたのを由梨もよく知っていた。無事に手術と治療を終えて、記憶を失くしてしまった彼女にも優しく接してくれていたし、彼女も鈴奈に心を許していたのは二人の様子を見ていてすぐに分かった。

「僕、最後に美緒ちゃんの姿を見たのが手術の前だったから、今の姿を見て少しびっくりしちゃいまして」

 まるで無機質な人形のようだった、透き通る瞳には何も映っていなくて、表情も強張ったまま。その姿が、鈴奈の楽しそうな様子を見て少しずつ曇っていくのが分かった。

「美緒ちゃん、記憶がなくなる前は『病気に負けたくない』って言ってたんですか?」
「え?」
「違うんですか? 鈴奈ちゃん、そんな事を言ってましたけれど」

 そんな話、由梨は聞いたことがなかった。けれど、思い当たることがあった。

「俊君のことがあってから、まるで変ったような感じはあったけれど……そんな事を考えていたのかな?」
「あ、その子が美緒ちゃんの彼氏ですか? 鈴奈ちゃんが、彼氏と文通しているのが羨ましかったって言ってて。」
「幼馴染以上、彼氏未満って言うか……今、遠くの病院で入院しているんです。大怪我しちゃって」

 由梨は紅茶を一口飲んで、うつむいてため息をついた。

「俊君さえいたら、何か変わったのかな。美緒だって記憶を取り戻したかもしれないなんて考えちゃって。ダメですね、いい加減受け止めないと」
「……僕が何か言えるような立場ではないんですけど」

 うつむいたままの由梨の力になりたくて、雅弘は由梨にほんの少しだけ近づく。言葉を探しているのか、少しだけ沈黙してから、こう呟いた。

「もういっそ、昔の美緒ちゃんの事を一緒に忘れてしまうのはどうでしょう?」
「……はい?」
「新しく、一から家族になっていくっていうか……生まれたばかりの美緒ちゃんが再び現れたと思って」

 由梨の目からボロボロと涙が落ちていくのを見て、雅弘は慌てだした。

「す、すみません! 事情も碌に理解していないのに、変な事ばっかり言ってしまって」
「いや、怒ってるわけじゃなくて……」

 美緒が生まれた日の事は今でもありありと思い出せる。柔らかく小さな体、か細い泣き声。嬉しそうな両親の表情。今、病室にいるあの子は、あの日の美緒ときっと同じに違いない。

「また、一から家族になれるかな」
「なれますよ!」

 少し大きな雅弘の声が美容室に響く。彼は少し恥ずかしそうに身を小さくするけれど、由梨はそれが面白くて笑っていた。まだ目からは涙が流れる、けれどこれは悲しいからじゃない。未来に向かって、自分自身を奮い立たせる涙だ。

***

 【彼女】は長い間ベッドに横になっていたけれど、寝付くことができなかった。月はもうずいぶん高い所に昇っているのか、カーテンの隙間から月明かりが漏れている。寝ることを諦めた彼女は起き上がり、ベッドサイドから本を取りだそうと体を起こす。確か、この引き出しに入れたはず。引き出すと、目当ての本が出てきた。彼女がそれを手に取ると、その下に見慣れない封筒とピンク色のお守りがあった。彼女は本を置いて、それらを手に取る。健康祈願のお守り、自分で買ったのかな? 彼女は封筒もひっくり返した、それは自分宛ての手紙だった。いつ来たものなのか記憶にない。まだしっかり封をされた封筒を、中にある手紙が破けないように慎重に破るように開けていく。

 中には白い便箋が一枚だけ入っていた。彼女はそれを開く。