体育館に響き渡る幻想的な音楽に乗せ、演者の台詞が聞こえてくる。
三組目の劇が始まると同時に、僕たちのクラスは舞台裏に移動して衣装合わせを始める。一組約三十分の時間制なので、一時間後にはあのスポットライトの下にいると思うと、胃が痛くなって来た。
桜坂の五組は既に衣装を身にまとい、舞台袖で待機している。
「いやぁ、流石に緊張して来たな」
横でクラスの男子にゴテゴテのマントを着せられている幸田が、言葉に反する緊張感のない声でぼやく。
同じように両手を広げ、全身にボロボロの包帯を巻きつけられる僕はそれこそ緊張で声も出ない。台詞のない役で本当に良かった。
下半身は肌が見えないように足の先までぐるぐる巻きにされ、上半身は包帯が少しの隙間から、肌が見える程度に巻かれる。適度に覗く肌は腐敗したような薄汚い化粧が施されており、髪は整髪料でボサボサに形作られる。
細身の身体に血色悪く見せた肌。包帯の隙間から覗く眠そうな目。我ながら、悲しいことに良く似合ってしまっている。
演者全員が衣装に身を包んだところで、三組目の劇が幕を閉じて舞台の垂れ幕が下がった。
五組と入れ替わりで舞台横に移動する。
「琴音、なんでも似合っちゃうね」
某有名ゲームの姫を想像させるふわっとしたピンクのドレスに身を包んだ愛衣が、舞台上に目を向けながら呟く。
降りた分厚いカーテンの前で、四人の演者が幕が上がるのを待っている。その中の一人が桜坂だ。
全員、中世ヨーロッパを想像させる肩から膝までのラピスラズリ色のショールに、その下から覗く白い衣服。髪は後ろ一つで束ねられ、足はサンダルのような革靴だ。しかし、他の三人に比べ、桜坂の衣服は同じものにも関わらず薄汚れている。よく見ると、桜坂を囲むようにして立つ三人は化粧も施しているようだ。
「シンデレラみたいな感じかな?」
「まさにシンデレラみたいな格好の愛衣がそれ言う? いや、確かにそんな感じだとは思うけど」
「でも、あれだね、素材を殺しきれてないよね」
愛衣の言う通り、周りとの身なりの差は大きくあれど、中央に立つ彼女は一輪の華を思わせる。
「それも織り込んでの役選びだろうね」
高めの開演ブザーが鳴り響く。静まり返る会場に思わず息を飲む。
ゆっくりと上がる垂れ幕に合わせ、ナレーションの声が体育館中を響き渡る。
愛衣と僕の予想通り、桜坂の役はシンデレラを想起させるものだった。
四人姉妹の末っ子に生まれ、小悪を重ねる姉たちに虐げられる主人公。彼女が一人除け者にされる理由は末っ子ということに加え、生まれつき声が出せないということにあった。ある日、荷物持ちとして姉たちと街に繰り出した主人公は、旅芸人が行う街劇を目の当たりにして大きな感動を得る。そして、その日から主人公は劇団のパフォーマーを目指す、というのが大まかなストーリー。
随所で主人公の心情を表すような歌が奏でられ、それに合わせてステージ場でダンサーが踊るミュージカルチックな劇のようだ。
舞台上で一言も発さない彼女は、紛れもなく主人公そのものだった。毅然とした演技、台詞がないという難題を感じさせない豊かな表情と動き。
気がつくと、僕は彼女から目が離せなくなっていた。他の役者やダンサーは目に入らず、ただひたすらに彼女を目で追いかける。
しかし、これは僕が彼女に恋しているだとか、見知った関係であるからという理由ではない。きっと、観客も彼女しか目に入らない。
舞台上の彼女は桜坂琴音ではなく、完全に役に染まりきっている。仮面を被っただけではない。その人物そのものになっていた。
そして、物語は終盤。長い年月を経て劇団に入団した主人公は、声を使わず動きだけで大衆を一人残らず魅了し、これからの偉大な活躍を予期させるパフォーマンスをする。
「今流れている曲ね、琴音が作詞したんだって」
「えっ? そうなの?」
「うん。他は脚本の人が考えたらしいけど、最後のこの曲は主人公である琴音に考えてもらった方が良いんじゃないかってクラスでなったらしいよ」
流れる曲に合わせて舞台上を蝶のように彼女が舞う。ダンサーをくぐり抜け、まばゆい笑顔を携えて踊り回る。煌々と降り注ぐスポットライトさえ霞む輝きが、彼女を包み込んだ。
その様子に僕は声が出なかった。
「ちょっと実笠? ……口から血が出てる」
愛衣に指摘され、初めて強く唇を噛み締めていることを自覚した。
「まあ、それもミイラっぽくていいかもね」
愛衣の声が遠くに聞こえた。隣にいるはずなのに、意識が丸ごと身体から抜け落ちてしまうような。
前三組とは比べ物にならない盛大な歓声と大きな拍手で、五組の劇は幕を閉じた。舞台から演者がぞろぞろと、僕たちとは反対の袖にはけていく。
不意に彼女が振り向いた。その瞬間、周りがスローモーションのようにゆっくりになる。まるで僕と桜坂だけが時間に取り残されたように――。
彼女の視線はまっすぐに僕を捉えている。役に染まりきっていた時のような、きらびやかな表情ではなく、幾度と見た薄い微笑み。
多分、僕は彼女を睨みつけていた。
凍った彼女の表情が、じわっと溶け出す。
それは瞬きと同時に弾け、一筋の粒となって頬を伝う。
一度こぼれてしまうと、そのあとはぽろぽろととめどなく溢れ出した。
先ほどの曲が脳裏をこだまする。
――小さな檻にはいたくない
――声なんていらない私にはこの腕と足があるのだから
――みんなとの毎日が楽しいの
――つくり笑いなんて必要ない
――さあ私を見て
――今の私は輝いているでしょ?
――この気持ちあなたにはわかるはず
――特別なの
――普通なんて平凡なんてつまらないじゃない?
――だから私は今幸せなの
こんなの全部、嘘だ。