夏休み明け一ヶ月ほどで学園祭が開かれるというのは無理がある。毎年のことだが、休み明けテストが終わった途端、校内は学園祭で使うダンボールやら装飾品が雑に積まれだす。
一、二年は各クラスごとに出店を催す。食べ物系でも良いし、アトラクション系でも、とにかく利益が出なければ何でも良いようだ。
一年の時はクラスでお化け屋敷をやり、僕はひたすら裏でBGMやSEの操作。二年の時はクレープ屋。食材の下準備を行うだけで役目を終えてしまったので、学園祭のほとんどを首からダンボールの看板をぶら下げて校内を徘徊しているだけで終わった。
そして、高校生活最後の学園祭。今年も地味な役回りで終わるのだろうと考えていたが、どうやら僕に与えられた役は、序盤から終盤までほとんど出っ放しという、随分と人の目を引くものだった。
幸田の演じる勇者のお供三人衆の一人で、勇者と契約したミイラ人形という設定らしい。人形だから、言葉を話すことはできず、台詞は一つもない。それゆえか、僕に渡された台本には最初から赤字で、動きは大胆かつ滑稽にと書かれていた。
ちなみに王女役は愛衣がやるらしい。最初は違う人が立候補していたのだが、役が決まった次の日、クラス中に幸田と愛衣の付き合っているという情報が流れ、王女役だった人が辞退してしまったのだ。
愛衣は心底、やりたくなさそうにしていたが、よくよく考えて他の人が劇で寸止めとはいえ、キスのシーンをすることは容認できなかったのだろう。今ではギャルな立場に似合わず、文芸部の人とよく話している。
「じゃあ、今から二時間は体育館を貸し切ってあるから、演者と照明の人は体育館に来てね」
委員長の呼びかけにもちろん返事することはなく、誰それ構わず一人で廊下に出る。
「おーい、実笠一緒に行こうぜ!」
聞き馴染みのある声に呼び止められ、振り向くと案の定、主役の二人がそこにいた。
「二人で行けばいいだろ」
「そんなこと言うなって。行き先は一緒なんだから、構わないだろ」
上からのしかかる肩の重圧と男臭さをため息と一緒に受け入れ、愛衣を盗み見る。しかし、彼女も僕を見ていたようで、目が合ってしまい、僕の言わんとしていることがバレたようだ。
「あのねぇ、実笠は私とこ、幸田くんが付き合ったからって、遠慮して引くことはないよ。ただでさえ、実笠は友達が少ないんだから、本当にひとりぼっちになるでしょ?」
「そうだぞ~。遠慮されたら、それはそれで気持ち悪いしなぁ」
互いに視線を交わし、微笑み会う二人の間を僕は凝視する。どんなに頑張っても、もう赤い糸は見えない。
もしかしたら、僕が見えなくなった日から二人の赤い糸に変化があって、今は見えないところで繋がっているかもしれない。前例などないけど、二人を見ていると実際に繋がっているようにしか思えないくらい仲睦まじく、お似合いに見える。
「そういえば、五組の劇って琴音が主役なんでしょ?」
愛衣の言葉に思わず胸が軋む音が聞こえた。彼女とは、夏休み明けのあの日以降、会う機会がなく、顔すら合わせていない。
「そ、それ本当?」
「ん? 実笠知ってたんじゃないの?」
「初耳だよ。なんで、桜坂が……?」
愛衣は困ったように眉をひそめた。その様子を見てか、幸田が話に割り込んで来た。
「なんでも、五組の劇は声が出せない主人公の話らしい。詳しくは知らないけどさ。たぶん、それで桜坂に決まったんだと思う」
「な、なんで桜坂なんだよ! 別に誰でもいいだろ?」
この数日で、彼女が声を出せなくなったことはクラスを離れた僕たちの耳にまで届いていた。噂はたちまち広まり、彼女は一気に最悪の形で避けていた注目を浴びることになってしまった。
「琴音は美人で、キャラも立つし、なにより……」
「主人公の気持ちがより分かるとか、そんな感じの理由だろうな。ふざけた話だ」
普段は温厚な幸田の声色が、この時は少し怒りの感情を含んでいた。
「桜坂も断ればいいのに。いや、断れなかったって言った方が正しいか……」
「どうして?」
「フリップ越しだと、自分の感情をうまく伝えられないだろうし、周りの声が揃えば揃うほど、声に出せない桜坂は断りづらくなる」
それに、彼女は明確な理由がないと断らない。彼女がどれだけお人好しかは、僕が一番分かっている。
「ひっど……なにその理由。やりたくないことをやらせるなんて、そんなのいじめじゃん!」
「まあ、でも割と仲良くやってるみたいだぜ? ほら」
体育館に着き、幸田が顎で差す方を見ると、五組の人たちが一箇所に固まって談笑をしている。その中には桜坂の姿もあった。フリップ越しで会話する彼女に対して、周りの人たちは嫌悪を抱いていないようだ。随分とリラックスした態度で会話をしている。
案外、彼女は劇に乗り気なのかもしれない。だとすれば、僕たちのここまでの話は杞憂なものだ。
「五組ー! 早く撤収してよ! 次は私たちの組の順番なんだから!」
委員長は早く練習がしたいようで、体育館に着くなり僕たちの前の番だった五組を追い出そうとする。僕たちのクラスの委員長と五組の委員長は仲が悪く、互いに舌を出し合って牽制しあう。
五組の面々がぞろぞろと体育館を出ていく最中、桜坂が不意に振り向いた。彼女は僕たちに目を向けると、裏返しにしていたフリップを表にした。そこには『頑張れ!』という文字が書かれている。
彼女はすぐにフリップをひっくり返し、軽く手を振って体育館を出ていった。
「なにあれ、かっこいい……」
隣で幸田のつぶやきが聞こえた。愛衣は素早く首を縦に振って共感している。
「琴音、ちゃんとうまくやってるっぽいね」
「そうだな。じゃ、俺らも負けてらんないなー」
桜坂はクラスの人たちと頑張っている。僕たちも彼女を見習わなければいけない。
「むきーっ! 絶対に五組には負けないよ! みんな、早く準備する!」
委員長は壇上にあがり、台本をメガホンがわりにして各所にやる気を振りまく。
学校の空気は、学園祭モード一色だ。
僕も、最後の学園祭くらい頑張ろう。せめて、自分の変な役ぐらい完璧に演じてみせよう。
秋のひんやりとした夕風が頬を撫でる。
学園祭まで、残り二十日。