こんなにも大きな声が自分から出るなんて知らなかった。
もしかしたら、なぎに聞こえてしまったかもしれない。でも、そんなことを気に留めて次の言葉を飲み込むことなんてできない。
「お前ら、子供をほったらかしにして、いつまで言い合ってるんだよ!」
頭が痛い。喉も痛い。でも、それ以上に胸に突き刺さったいくつもの棘が、痛い。
なぎの両親は唖然とした表情で僕を見る。二人揃って全く同じ表情をすることにすら腹が立った。
一度吐露すると、もう止まらなかった。
「なんで、自分の子供を放って置いて平気なんだよ! 子供より喧嘩を優先するなよ! そんなに相手のことが気に入らないなら、なぎがいないところで存分にやれよ! わざわざ、子供の前で醜態晒すなよ! あんたら、どんだけ精神幼稚なんだよ! 子供の方がよっぽど賢くて、強いよ! 子供はいつまでも親が仲悪いことを引きずるんだぞ! 部屋で布団を頭まで被って必死に耳を塞ぐ子供のこと考えたことあるのかよ! 口を出したら、その矛先がこっちに向く。だから、必死に耐えるしかない。何で喧嘩しているのかもよく分からず、ふとした時に思い出すんだよ。自分が怒られているわけでもないのに、なぜか親が怖くなる。子供は親を選べないんだから、お前ら親が子供に我慢をさせてどうするんだよ! そんなに仲悪いんだったら、なんで産んだんだよ! お前らは赤い糸が繋がってないんだから、どうあがいても幸せになれないんだよ! もう、いいからさっさと離婚しろよ!」
激しいめまいによろめいた。胸が苦しい。膝に手をつき、滴る汗でにじんだアスファルトを睨みつける。
後半はただの八つ当たりだ。僕が自分の両親に言えずにいたことを、ただ似たような他人にぶつけただけだ。
なぎの両親が今、どんな顔をしているのか僕には見えない。見る資格もない。急に声を荒げて、怒り喚くただの狂人に見えているのだろうか。
祭りで周囲は騒がしいはずなのに、音なんて何も聞こえなくて、自分の切らした息だけが静寂に響いた。
今すぐ座り込みたい衝動を抑え、なぎの両親に背を向けて歩き出す。後方から声が聞こえてきた気がするが、よく聞き取れなかったし、聞こうともしなかった。
駐車場を後にして、砂浜に寝転んだ。汗ばんだ首筋に砂が張り付いて気持ち悪い。
砂浜を見下ろす上の道路には人がぎっしりといるくせに、砂浜には誰もおらず、せいぜい海上で花火を打ち上げる準備をしている小舟が暗がりに見えるくらいだ。
もう、何も考えられなかった。気がつけば、スマホを耳に当てて、愛衣に電話をかけていた。
息切れは治るどころか、激しさを増すばかりだ。
「もしもし? 実笠? どうしたの?」
「今、横に幸田いるか?」
「えっ? 幸田くんなら、トイレ行ってるけど」
「愛衣、幸田に告白するのやめてくれ」
「……はぁ? 意味わかんないんだけど」
愛衣は状況が把握できていないのか、電話越しに戸惑いをあらわにする。無理もない。僕もよく分からずに喋っているのだから。
「愛衣と幸田は赤い糸が繋がってないんだよ。だから、絶対に付き合ったってろくなことにならないんだから、諦めろよ」
「……本当に訳が分からない。どうしたの?」
「どうもしてないさ。僕はいたって正常で、真面目な話だよ。とにかく、幸田は諦めてよ」
無意識に足で砂浜を蹴っていることに気づいた。飛び散る砂が目に入って、すごく痛い。
「ずっと、協力してたじゃん。何、いまさらやめろっていいだしてんの? 本当にどうしたの? ……おかしいよ、実笠」
「だから、愛衣は僕と赤い糸が繋がってるんだよ! だから、幸田とは幸せになれないんだって! 愛衣のために言ってるんだよ僕は!」
「…………それ、新手の告白?」
「そんなんじゃない」
「じゃあ、嫌がらせ?」
「だから、そうじゃないんだよ……。本当に……」
「もう、実笠が何考えてるのか理解できない。とにかく、私は今から幸田くんに告白するよ。実笠がなんて言おうと」
電話が一方的に切られる。スマホを砂浜に放り捨てた。
波のさざめきが後方から聞こえる騒音をかき消して、僕の周りを漂う。空には雲ひとつない満点の星空が広がっている。
口の中でガリッと固い感触が広がる。どうやら、飛び散った砂は目だけじゃなく、口の中にも入っていたようだ。
滑稽すぎて笑えて来た。
「ははっ……変人すぎるだろ。ただのやばいやつじゃん」
我慢し続けて来たものを全て吐き出したっていうのに、残ったのは胸をつんざくような痛みと、ジャリジャリとした口の中の異物だけだ。
身体を起こす気にもならず、ただひたすらに砂浜で大の字になって目を閉じ、波の音を聴き続けた。
刹那、身体の芯を震わせる轟音が響き渡り、閉じた瞼越しに光が視界を白く塗りつぶす。目を開けると、一面に光の花が咲き誇っていた。
花火は大きさや色、形を変えて次々と夜空に咲き乱れる。その様子を僕は瞬きせずに見つめ続けた。
真上に打ち上がる花火は、気を抜けば落ちてくるんじゃないかと思ってしまう。空から燃えかすが灰になって降り注ぐ。
砂浜で花火を見る人がいない理由が、この灰だ。
焦げた煙ったい匂いが、今は心地よく感じる。
でも、毎年見てる花火は今年はなんだかとても醜く見えた。
花火にそんな感想を抱くのは、きっとこの会場で僕くらいだろう。
「……帰りたい」
でも、身体は動かない。いつしか、僕は再び目を閉じていた。
もう、綺麗なものは見たくない。見れば見るほど、自分の汚いものがより影を濃くするから。
不意に、隣に誰かがいる気配がした。
「綺麗ね。美しすぎて、ちょっと嫌なくらい」
その声を聞いた瞬間、泣きそうになった。情けなくて、幼稚すぎる自分が心底嫌になる。
「そうだね。だから、僕は見たくないんだ。似合わないからね」
「花火にだって、綺麗じゃない部分はあるわよ。例えば、このうざったい煙とか、目に入って痛い灰とかね」
僕の手を温かい何かが包み込む。僕の弱い部分を必死に守ってくれているように感じた。
「そんなの、遠くから見れば分からないよ。綺麗なものは遠くからでも見えるのに、理不尽だよね。煙も灰も遠くから見てる人には関係ない。でも、きっとそういう人たちは、いざ煙とか灰が見えたら、きっとすごく汚い、いらない、って思うんだよ」
なぜか、隣の人は笑っているような気がした。
「いつも近くで見てる人は、汚いなんて絶対に思わないよ。煙も灰もあって、花火って言うのよ。この焦げ臭さだって、灰の雨だって、趣きがあっていいじゃない。私は、そういうのも含めて花火は好きよ。むしろ、今まで花火は好きとは言えなかったの。でも、今日好きになったわ」
目を開ける。
空を見上げる横顔はいつにも増して美しく、花火なんて比べ物にならないくらい綺麗だった。
握られた手が熱く、今にも溶けてしまいそうだ。
この日、僕は赤い糸が見えなくなった。