幸田がたこ焼きを口いっぱいに頬張り、笑顔で隣の愛衣に喋りかけている。顔を上げて返事をする愛衣も、ようやく緊張がほぐれたようで、随分とリラックスして会話を繋いでいるように見える。
 二人は金魚すくいの店を立ち去ったのち、海へと繋がる一本道にずらりと立ち並んだ屋台通りをゆっくりと練り歩く。
 浴衣姿の美男美女が歩いていると、それだけで絵になる。これで、背景に花火が打ちあがろうものなら、もはや見物料が取れてしまいそうだ。

 決して広くない一本道なので、もちろん人も多い。愛衣と幸田の間を大きな綿菓子の袋を持った子供が走り抜ける。そのせいで愛衣は一歩後ろに下がってしまい、二人の間に次々と人が流れ込む。一度、人の波がつくられてしまうと、窮屈な雑踏はその流れを維持しようと人が間髪入れずに通る。
 幸田は人混みをかき分け、愛衣の手を掴み、強引に引き寄せた。結構な勢いが付いていたため、愛衣は幸田の胸に飛び込むような形でよろける。
 急に繋がれた手と密着した身体に固まる愛衣。その顔はもうすでにゆでダコのように真っ赤だ。然しもの幸田も照れたのか、気まずそうに目をそらしている。
 それから先は、ずっと二人の手は繋がれたままだった。

「もしかしてだけれど、私たちって少女漫画とかの脇役ポジションなのかしら」

 隣を歩く桜坂がやけに淡泊な声で呟く。

「上手くいきすぎよな。怖いくらい」

 どうしてだろう。僕と彼女だけ、色が薄く感じてしまう。周りは鮮やかに彩っているのに、二人の周りだけ色素が一段階も二段階も薄く、灰色がかっている。そんな気がした。それが、僕自身の主観だからそう見えるだけなのか、それとも周りから見ても、僕らは異質な二人なのだろうか。

「眩しいな」

「……ええ」

「繋がれた手と赤い糸、どちらが強くて丈夫かな」

 グッと包み込むように強く握りしめられた日焼けした大きな手と、力なくなすがままといった状態の白くて小さな手。

「どちらも切っても切れないものだと思うけれど、私は目に見えるものを信じるタイプよ」

「ということは後者?」

「いいえ、赤い糸が見える篠原くんをずっと見てきた私の目を信じると言っているのよ」

「つまり?」

 彼女はくすっと微笑む。

「私にも、どちらが強いかは分からないわ」

「桜坂に分からないんじゃ、僕には到底分かりっこないね」

 長い一本道を抜けると、愛衣と幸田は人混みをぐるっと大きく迂回して、アーケードへと歩を進める。アーケード内も出店が一定の距離感を保って並んでおり、多くの人で賑わっている。しかし、先ほどよりは道幅が広いため、ここでならはぐれる心配もなさそうだ。
 フランクフルトの屋台で立ち止まった二人は、一度手を離してしまう。

「切っても切れないものが、切れちゃったけど」

「そんなの心配ないわ。人と人の繋がりって糸なんかと違って、切ってもまた繋がるのよ」

 愛衣が一歩前を歩く幸田の方を見ながら、右手をわきわきと不審な挙動で躍らせている。それに気づいてか、彼の無意識か、幸田は屋台から離れるとすぐに愛衣の手をもう一度取った。うつむいて嬉しそうな表情を隠せていない愛衣が眩しく見える。

「ほらね」とご満悦そうに彼女は言う。「とはいっても、糸だって切れたら結べばもう一度繋がるわよ」

 そう言った彼女の視線は、多分彼女にしては珍しく無意識に自分の胸元に向けられていた。そこに、彼女の糸は存在しない。

「ね、今周りに糸が繋がっている男女はいるかしら?」

 彼女の問いに、僕は視線をぐるっと左から右へ流した。

「あ、待ってよ、幽霊くん」

 ちょうど隣を歩く僕らと同い年くらいの男女に、目が吸い寄せられる。男性のことを『幽霊くん』と呼んだ女性と、その呼び名に答えるように視線を女性に向ける男性。二人は胸の中心から糸が互いの方向へと向かってなびくように伸び、繋がっている。
 彼らはヨーヨーすくいの屋台で立ち止まった。男性が二人分払おうとしたのだろうけど、女性は首を振り、隣でヨーヨーすくいをする男性を笑顔で見守っている。

「あの二人が繋がってるのね」

 桜坂が小さく指をさす。

「……うん。僕らと同い年くらいかな?」

 ふと、ドンっと後ろから小さな何かが僕の身体を揺らした。見ると、小さな女の子がぶつかった反動だろうか、鼻を抑えながら立っていた。

「あ、ごめんね。大丈夫だった?」

 目線を少女と同じくらいまで下げるためにしゃがみこむ。まだ、小学校にも入っていないような幼い少女だった。

「うん。なぎの方こそ、ごめんなさい。ぶつかっちゃって」

 なぎと言った少女はぺこりと頭を下げる。礼儀正しい、しっかりとした子のようだ。
 桜坂は周りを見回し、僕と同じくしゃがみこむ。そして、見たことのない明るい笑顔を少女に向ける。

「なぎちゃん、お父さんとお母さんは?」

 なぎはうつむき、自分の服を握りしめた。その表情は不安と困惑、悲しみなど色々なものが含まれているように見える。

「なぎのお父さんとお母さん、喧嘩しちゃってたから、なぎ逃げてきちゃった」

 要するに、迷子ということだろう。
 桜坂はなぎの手を取る。

「なぎちゃん、お父さんとお母さんを困らせちゃダメだよ」

「あぅ、ごめんなさい……」

 しょんぼりとするなぎに彼女は微笑みかけた。

「よし、じゃあお姉ちゃんとお兄ちゃんが、なぎちゃんのお父さんとお母さんに喧嘩はやめなさい! って言ってあげるから、一緒に探しに行こ!」

 なぎが小さく頷いたのを確認すると、桜坂は立ち上がった。

「でも、お姉ちゃん今お腹が空いて力が出ないの。だから、何か食べましょ。なぎちゃん、食べたいものある?」

「な、なぎ、お金持ってない……」

「大丈夫! このお兄ちゃんが奢ってくれるって! よかったね、なぎちゃん」

 子慣れした桜坂になぎも心を許したのか、自ら彼女の手を握った。そして、もう片方の手を僕に伸ばす。向けられた少女の無垢な視線にこそばゆさを感じる。
 小さな手を取り、僕は立ち上がる。

「よし、なぎちゃん。何が食べたい?」

 きょろきょろと周りを見回したあと、なぎは上目な視線を僕に送りながら「りんご飴」と小さな声で呟いた。
 可愛すぎる。いくらでも買ってあげます。

 いつしか、愛衣と幸田はどこかへ行ってしまっていたが、あの二人はもうこの先を見ずとも良いだろう。桜坂もきっとそう思っているはずだ。
 僕と彼女はなぎの手を握り、その場を後にした。