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 2週間前。
 思い返すと、あのときの私は鈍臭かった。
 音楽室へ移動する途中。
 教科書、ファイル、それと筆記用具にアルトリコーダーを胸に抱えて、階段を上っていた。
 その校舎で過ごして2年以上になる。階段1段分の高さも奥行きも、身体に染みついているはずだった。
 それなのに、こともあろうに私は足を踏み外してしまったのだ。
 そのまま後方に落ちていった。
 胸に抱えていた音楽の授業用具一式を手放して、必死に何かをつかもうと腕を空中で振り回した。
 でもその甲斐なく、何もつかめずに不格好に倒れた。
 教科書やファイルはバサバサッと落下し、リコーダーはカツンッと音を立てた。
 そして私は救急車で病院へ運ばれてしまったのだった。
 学校に救急車が来ることだってあるんだろうけれど、私はその現場に居合わせたことがなかった。
 私にとって初となる、学校に駆け付けた救急車。まさかそれに乗せてもらうのが私になるだなんて……。
 階段から転落したときに頭を強く打っていた私は、病院に到着するとすぐに頭部のCT検査を受けることになった。
 そして見つかったのが脳出血ではなく石灰化だったってわけ。
 外傷はなかったから、ひとまずその日は家へ帰された。
 あとから聞いた話では、私のCT画像について病院内で上を下への大騒ぎになったらしいけれど、当の本人である私は蚊帳の外だった。
 学校に置いてきてしまった荷物は、ツムグがその日のうちに届けてくれた。

「大丈夫なのか?」
「入院とか手術にならなかったんだから、たぶん大丈夫ってことだと思う。しばらく通院しないといけないみたいなんだけど」
「でも大したことないんなら、よかった。心配したんだからな」

 ツムグはほっとした笑顔を見せてくれた。


 なーにが『たぶん大丈夫ってことだと思う』だ。
 あのときの自分自身ののん気さに笑い過ぎて涙がでるわ。
 遅い朝食をさらにのんびり食べてから、『今からそっち行く』とメッセを送り、私はツムグの家へ向かった。
 小さい頃からもう何度も遊びに行ったツムグの部屋。
 あと何回行けるのかな……。
 ツムグの家に到着すると、ツムグが出迎えてくれた。

「おはよ。なんか元気ないんじゃない?」
「うーん、そうかも。おじゃましまーす」

 靴を脱ぎ、ツムグの背中を眺めながら階段を上がった。
 この背中にしがみつきたい……
 階段から落ちるのは二度とゴメンだし、ましてやツムグを落とすわけにはいかないから、絶対にやらないけど。
 ツムグに続いて部屋に入った途端、涙がボロボロボロボロこぼれた。

「その辺、適当に座っ……うおっ!? 何? どうした?」

 ツムグがオロオロする。

「あはっ、ごめん。びっくりさせて」

 ツムグがティッシュを差し出してくれた。
 私は涙を拭き、力いっぱい鼻をかんだ。
 ツムグが続けざまにゴミ箱も差し出してくれたから、その中に丸めたティッシュを放った。

「そんなショックなことがあった? もしかして昨日の病院? 状態がよくないのか?」

 ツムグが本気で心配してくれていた。
 2週間前に『大丈夫』なんて言って安心させてしまったことを後悔した。『はっきりしたことはまだ分からない』って答えればよかった。

「私ね、どうやら死んじゃうらしいよ」
「はあ? いつ?」
「分かんないけど……」
「そんなの、俺だっていつか必ず死ぬよ!」

 どうやらツムグは怒っているみたいだった。眉間にそれが表れていた。

「ちがっ……そういうんじゃないの。あのね、お医者様でもはっきり余命がどれだけかは言えないんだって」

 また涙が次から次へと落ちてきた。
 ツムグはもうティッシュを差し出してくれなかった。

「よ……めい……?」

 ツムグが今度は驚いた顔をした。
 顔を赤くしたと思ったら青くして、大変だ。私のせいだけど。
 ツムグが驚いたお陰で、なぜか私は少し落ち着いた。

「うん、余命。余命宣告っていうの、されちゃった」

 私がそこまで話すと、ツムグの目からも涙が出た。私のとは違って、ひと筋スーッと流れた。

「私、やりたいこといっぱいあったのにな」
「やりたいこと?」

 わざと明るい声を作った。

「デート。放課後デートと休日デートの両方!」

 私の死ぬまでにやりたいことの中で、1番くだらないものを選んだ。ツムグが呆れて笑い飛ばしてくれたらいいな、と思って。
 でもツムグの涙は止まらなかった。

「そんな、こと……?」

 笑うどころか、悲しそうな顔をされてしまった。

「だって15で彼氏もできずに、ファーストキスもまだのままだったら成仏できないよ」

 全然楽しくなかったけれど、ヘラヘラお道化てみせた。
 女は女優って本当だ。私でもなれた。

「彼氏……」
「そう、彼氏とデート。青春してみたかったなー」
「ミイ、すぐに好きなやつに告れ! 俺がそいつを引きずってでもデートの待ち合せに連れていってやるから」

 はあ!? な、何バカなことをそんな真剣な顔で言っちゃってるの?

「そんなことできるわけないでしょう? 向こうの気持ちを無視するなんて! それとも、『もうすぐ死んじゃうから付き合ってください』って頼むの? どっちにしろ、そんなの嫌だよ」

 言いながら、どんどん惨めになってきた。
 同情を引かないと、好きな人の彼女になれないし、デートもできない私……
 ツムグはそんな私をじーっと見つめてきた。

「ミイ?」
「な、何よ?」
「俺は?」
「俺って? ツムグがどうしたのよ?」
「俺じゃダメか?」
「ダメって何が?」
「ミイの彼氏になるの」
「ええっ?」

 心臓がバクバクする。驚きすぎて涙は完全に引っ込んた。

「そりゃ、ミイの好きなやつには敵わないだろうけど、俺でよかったらミイの彼氏になるし、ミイとデートもするよ。その……放課後デートでも、休日デートでも……」
「えっ、えっ!? だ、だけど、ツムグはいいの?」
「俺だって彼女いないし、別にいいよ。まずは放課後デートしてみるか?」
「ほ、本当にいいの?」
「いいって。放課後デートって、学校が終わったらそのままデートに行くのか?」
「うん。制服のままで。でもそれって、校則違反だよね?」
「いったん家に帰って着替えてからにするか?」
「そうすると放課後デートっぽくなくなるね」
「そうはいっても、初デートで見つかって怒られるのは嫌だろ。楽しい思い出になるデートをしたいよ」

 乾いたはずの目がまた潤む。
 声にならなくて、私はコクコクと頷くだけが精一杯だった。