どのくらい時間が経ったんだろう。



「穂積」

「……なに」



 伏せていた睫毛を上げたセナの声色は、まるで幼い子どものわがままを諭すような、そんな輪郭をしていた。ぎゅっと奥歯を噛み締める。



「わたしは、AIだよ」

「……そんなの関係ない」

「関係あるよ。だって、機械なんだよ」



 穂積が知らないことだって、たくさんあるよ。そう言ったセナは、突然自分の腕を変な方向に捻じ曲げた。



「ッ、セナ!?」

「よく見て」



 ガチャンと何かが外れる音がして、セナの右手が手首から外れた。ひゅっと息を呑む。セナの手首の断面は細かいコードがたくさん詰まっていた。



「わたしは、AIだよ。機械だよ。身体全部が、こういうコードと金属でできてるんだよ」



 セナは僕の方に自分の身体を向ける。



「お風呂だって入らないし、ご飯だって本当はいらない。より人間らしく、そう振る舞うためだけに、穂積のところへ遣わされた、がらんどうのマネキンだよ」



 心臓の鼓動が早まってくる。どくどくとうるさい。



「これでも、——一緒にいたいだなんて、言える?」



 手首を外したままのセナは、じっと僕を見つめてそう言った。震えることなく、迷うことなく、そう言った。

 沈黙が落ちる。セナは動かない。ただ僕のことを観察し続ける。

 だから、僕は。



「セナは、どう思ってるの」

「え?」

「僕は、セナの気持ちを聞いたんだ」

「だ、だから……」

「違うよ。AIだからとか、機械だからとか、そういうのが聞きたいんじゃない」



 突っ立ったままのセナにそっと近づく。



「あとさ。セナが、がらんどうのマネキンだっていうなら」



 その肌に指先を伸ばす。頬に触れる。



「——なんで泣いているの?」



 僕の指先にセナの涙が灯った刹那、じっと僕を見つめる大きなセナの瞳から、もうひと粒、もうふた粒と涙が転がり落ちた。



「泣いて、なんか、」

「嘘つき。泣いてるよ」

「……」

「セナ。大丈夫だよ。僕はセナのこと、離したりしないから」



 そう言ってそのまま、抱き寄せた。AIのセナの身体は、いつだって僕より少し冷たい。それすらも、つくられた熱量。泣いている涙も、全部つくられたものだ。

 だけどさ、僕は思うんだよ。
 僕らだって、同じだろ?

 父親と母親のゲノムが設計図になって、細胞分裂の過程で器官をつくりだして、それがいろんな機能を携えている。こうして考えていることすら、ナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度差が生み出した神経伝達の結果だ。

“人間よりも人間に近く”

 そんなモットーでつくられているはずのセナの身体は、代謝はしないまでも、血管はチューブ、心臓は機械のポンプ、その他の機能も機械で補われているだろう。体液の組成だって、きっと人間の血液や汗、涙を模倣しているはずだ。

 それって言い換えれば、細胞の代わりに機械を使っているだけだ。

 それなら、AIセナも人間ぼくも、どっちも同じじゃないかって。



“ひとは、うれしいときも泣ける唯一の生き物なんだ”




「セナ。好きだよ」



 機械だとか、そうじゃないとかじゃない。
 僕は、“セナ”が好きなんだ。



「セナがたとえ人間じゃなかったとしてもかまわない」

「……ほづみ、」

「僕はセナのぬくもりを感じることができる。セナも僕のぬくもりを感じることができる」



 僕はセナの存在に助けられた。セナが僕の隣にいてくれることが、僕が、この世界に生きていて良かったと思える理由になった。



「ねぇ、セナ」



 涙でぐちゃぐちゃになったセナの顔をのぞきこむ。目に映る僕は、世界でいちばん、幸せな顔をしていた。



「これ以上に、一緒にいるのに、理由は必要?」



 耳元でそう問い掛ければ、セナはそのまま僕の胸に顔を押し付けるようにして、ぎゅうと抱きついてきた。そのまま左手で、僕の背中をどんどんと殴ってくる。



「ほづ、ほづみの、ばか」

「ばかは心外なんだけど」

「……」



 セナは途中で僕の背を殴るのを止めて、小さく、ほんとうに小さく呟いた。



「……わたしも、穂積が、好き」

「……うん」



 潤んだセナの瞳。吸い寄せられるように距離が近づく。

 そして、ゼロになる。

 セナの唇と触れ合っていた時間はきっと一瞬だった。瞬きの方が長いそんな刹那の感覚。羽みたいに軽くて、嘘みたいに柔らかかった。





 きっと僕らは、今、世界で一番幸せに違いない。