それから半年ほどがすぎた。季節はめぐり、冬になった。
朝。他の患者さんと同じ時間に、病院の自室で目を覚ます。頬に触れる空気はひどく冷たい。
冬は嫌いじゃない。寒いけれど、そのおかげで空気が澄んでいる気がするんだ。深呼吸をする。肺に満ちた冷たい空気は僕の血液をゆるやかに巡らせる。
パタパタと小さな足音がした。自然と口角が上がる。
布団の中でモゾモゾと待っていれば、ガラリとドアが開いて「穂積? 寝てるの?」とセナがひょっこり顔を出す。
「……おはよ、セナ」
腕だけ布団から出してスマホを手に取る。時間を確認する。6:32。
今日は学校はないから、もっとゆっくり寝ていてもいいはずだ。
「もー起きてるなら起きなよ」
「寒いもん」
嘘。別に僕はそんなに寒がりじゃない。温度変化には強いほうだ。
「そりゃ寒いよ。冬だもん」
「寒くて布団から出られない」
「駄々っ子か!」
そう言いながらも、セナは僕のベッドの脇を通り過ぎ、シャッと音を立ててカーテンを開く。
「! 穂積、雪、積もってるよ!」
「え、マジ?」
もうすぐ3月になるっていうのに、こんな時に雪?
「ほら、早く起きてってば!」
セナに手のひらを掴まれる。そのままぐいっと起こされる。
好きな人に起こしてもらえる幸せな朝。
僕はこのためだったら、何度だって——嘘つきになると思う。
今日は定期検診の日だった。僕はこの日をずっと避けていた。
なぜかって。
そんなの簡単だ。
僕が、治ってきてしまっているからだ。
学校のテストだから。行事があるから。そんなことを繰り返して検診を遅らせ続けた。それでも、いつかはやってきてしまうもの、これは学校の冬休みの宿題みたいなものなのだから。
僕のカルテと検診結果を見ながら、菅田先生は「随分、調子が良くなっているね」と興味深そうに言う。
「……はい」
「この調子なら、完治も夢じゃないだろうね」
完治。
完全に、治る。
「でも、まだ少し……たまに、頭痛は起こります」
「そうか……数値的にはもうだいぶいいはずなんだけれど」
何か悩むように顎に手を当てる菅田先生。
そりゃそうだ。
嘘だもん。
でも、治ってしまったら、僕はセナと一緒にいる理由がなくなってしまう。
俯いている僕をみて、菅田先生は「悩み事でもあるのかい」と声をかけてきた。
「え?」
「はるみさんがね、穂積くんの元気がないんだって、報告してくれてね」
はるみさん。ずっと僕の担当の看護師で、もう母親みたいなものだ。三者面談や行事の時には、親の代わりに参加してくれたことだってある。
「どうしたんだい、穂積くん」
菅田先生だってそうだ。
僕は、ずるい人間だ。
菅田先生やはるみさんが僕の完治を心から望んでいることを知りながら、それでも、セナと一緒にいたいんだ。
「別に、大丈夫です」
「そんなに信用ないかな?」
「……」
だめだ。菅田先生に隠しごとはできない。
「……あの、治療用AIのことなんですけど」
僕は、白衣に隠れている菅田先生の膝を見つめながら、勇気を出して尋ねてみた。
「セナがどうした?」
「……僕が、治ったら……どうなるんですか」
なるべく普通に。なんともないように。
そう思うのに、答えが怖くて視線を上げられない。
菅田先生は、困ったように眉を下げてこう言った。
「それは、やっぱり……今みたいにはいかないだろうね」
今みたいには、いかない。
ということは、やっぱり、僕らはずっと一緒にいることなんてできない。
僕は“アイ・ターミナルケア”のただの被験者だ。
成功事例が出たのだ。
この先、彼女は別の人のAIになってしまうのだろう。
「一度、セナに話を聞いてみた方がいいんじゃないかな」
「え?」
セナに?
「彼女もAIとはいえ、知能があるからね。もしかしたら、心、なんてものも持っているかもしれない」
「……」
「とにかく、僕からは……それ以外、言えないな」
「……そうですか」
僕は、落胆を隠し切れなかった。
やっぱり治ってしまったら、一緒にいることはできない。
その事実に重く囚われていた。
だから、菅田先生がどうしてそんなふうに言ったのか、その理由について僕が知るのは——もうずっと後のことになる。