「でも……それだけ辛くても、松村くんはその人を好きであることは諦めてないよね。それがすごいと思う」
ぽろりとこぼれた言葉に、松村くんはずずっと鼻をすすってこう言った。
「それは……、だって、自分くらい、自分の気持ちを受け入れてあげないと可哀想じゃんか」
ハッとした。
「確かに辛いことはいっぱいある。香山が『俺が音楽一緒にしたいって思うドラマーはは松村、お前だけだ』って言ってくるのとか、もうこいつは何考えてんだよって頭ぶん殴りたくなる」
「そりゃ、そうだよ。一発くらいぶん殴ってもバチは当たらないよ」
「ははっ、それは面白そう。……でも、悔しいけどさ、それが一番うれしいんだ。香山が僕のことを頼りにしてるって、そう思ってくれるのが、たまらなくうれしい」
ぐしっと肩からかけたタオルで涙を拭って松村くんはニコッと笑った。
「だからさ、僕はずっと、もういいやってそう思うまで——香山のこと、好きでいようってそう思ったんだよ」
いいのだろうか。
松村くんみたいに、自分で自分を認めても。
セナのことが好きなんだと、そう、認めても。
生きてる意味がわからない僕が、恋愛なんて、できるはずもないのに。
『……』
いつもだったら口を出してくるはずの10歳の僕は、珍しく、何も言わない。
なんか言えよ。なぁ、教えてくれよ、穂積。
『やだね。自分で考えたら?』
ずきん。
「っ」
めまいに少し顔を顰めれば、松村くんは慌てたように僕を支える。
「あっ……ご、ごめんね暑い中ずっと立ちっぱなしなんて、熱中症になっちゃう」
「いや、大丈夫、引き留めたの僕だし」
松村くんは「行こっか」と歩き出す。また蝉の声が聞こえる。きっとずっと鳴いていたのだろうけれど、話に集中していたからか、入ってこなかった。
「聞いてくれてありがと、句楽くん」
「いや……むしろそんな大事なこと、僕に話してよかったのか?」
僕はまだ、松村くんとちゃんと話すようになって数ヶ月しか経っていないのに。
「なんかさ、不思議なんだけどさ」
「え?」
「句楽くんって、なんでも言える雰囲気あるよね」
「……そう?」
「なんか……何話しても、ちゃんと受け入れてくれそうな雰囲気っていうかさ」
コンビニの入店音が鳴る。松村くんは入り口で僕を振り返って笑う。
「もしかしたら、句楽くんのご両親が、そういう方だったのかもしれないね」
父さんと、母さんが?
『お前はさ、もう、気づいてるだろ』
なにが。
『なぁ、穂積。早く、僕を、助けてくれよ』
……。
「句楽くん?」
「あ……そう、かもね」
深く考えたらきっとまた頭が痛くなる。
だから今は、考えない。
なにも。
***
夜の処置室。バイタルをチェックする菅田先生の顔はなぜだか少しだけ険しい。
「セナ、無理なんてしてないだろうね?」
「……してません」
「ならいいけど、最近、数値良くないってことだけはちゃんと覚えておくんだよ」
「はい」
暑い中毎日外に出ていることがよくないのかも。だけれども、もしわたしが病院に残ると言ったら穂積ももしかしたら外に出なくなってしまうかもしれない。
そう思うと、安易にそんなことを口にはできない。
だって、明らかに穂積は変わってきている。簡単に軽口を叩くようにもなったし、日に日に音楽にも身が入っている。良い演奏を届けたいってそう思っている証拠だ。
ここで枷をかけたくないんだ。この調子でいってほしいんだ。
「穂積くんは最近どうなんだい?」
「とても……良い感じだと」
「そうか。そう言えばこの間はけっきょく何があったんだ?」
この間。わたしがひとりで帰ってきてしまった時。
「……すみません、うまく言語化できません」
あれから穂積とは何事もなかったかのように接している。わたしも穂積もなんてこともなかったみたいに、まるで記憶を消してしまったみたいに普通にやり取りをして、一緒に行動している。
それでいい。
穂積にとっても、わたしにとっても。
「セナ。僕はね、穂積くんに立ち直って欲しいと思っているよ」
「はい、もちろん、わたしもです」
「でもね……セナにも、生きることを諦めてほしくないんだよ」
目を瞬く。
「今、なんて」
聞き間違いかと思った。だって菅田先生は今まで、「穂積が」とか「穂積の両親のために」とか、穂積のことしか言ってこなかったのに。
でも、聞き間違いなんかじゃなかった。
「セナにだって、セナの人生があると思っているよ。だから、何かあったら、相談してくれていいんだよ」
「……はい」
唇を噛み締める。ぐっと強く噛み締める。
そうでもしていないと、泣いてしまうと思った。全部正直にぶちまけてしまうと思った。
「それじゃあおやすみ、セナ」
「……ありがとうございました。おやすみなさい」
先生が出ていって、ようやく頬に涙が転がった。
***