松村くんは「そうかもね、でも僕もたまにやっちゃうから人のことはいえないな」と笑いながら、話を続ける。



「僕の髪型がどれだけ変でも、笑ったりからかったりするのは良くないですよねって、そういうまとめに持っていった時にさ」



 横断歩道に差し掛かる。信号は点滅している。少しだけ早足になって僕らは道路を渡り切る。



「……ある子が、立ち上がって、こう言ったんだ」



 反対側の歩道に足を踏み出した時、彼は、懐かしそうに——嬉しそうに、目を細めながら空を見上げて言葉をつむぐ。



「『松村の髪型の、どこが変なんですか』って。『先生、別に変だからからかっていたわけじゃないです』って」

「もしかして、その子、からかってた子なの?」

「そうなんだよ。一番僕のことをからかいに来てた子でさ。だから僕もびっくりしちゃって。先生なんてもう目ぇまんまる」



 今でも笑えると言いながらくすくす思い出し笑いをしている。



「その子、そのまま僕に言ったんだ。『からかってたのが嫌だったならごめん。でも、お前のそのアフロ、似合いすぎてると思って——だから、思わずからかっちまったんだ』ってさ。そんなのってある?」

「それは普通じゃないね……」

「ロックだよねー、ほんとに。先生も収集つかなくなっちゃって顔真っ赤にして『この話は終わり!』とか言ってその日は終わっちゃった」



 松村くんはきっと、視線の先に、あの日を見ている。記憶を、見ている。



「そう言ってくれた子が、ほんとにカッコ良くてさ。ずっと、忘れられない」

「もしかして、松村くん、……その子のこと、好き?」



 前に彼は言っていた。

“ずっと好きな子がいる”

 僕の問いかけに松村くんは困ったように笑って、「うん……その通り」とうなづいた。



「告白しないの?」

「……したいけど、できないんだ」



 そうして彼は、好きな相手に昔からずっと好きな人がいること、自分は絶対に敵わないことを教えてくれた。



「そうなの? 今でも連絡とってたりとかはするの?」

「…………」



 松村くんが黙った。蝉がうるさく鳴いていた。彼はふと歩みを止めて、振り返って僕を見た。



「最近、毎日一緒にいるよ」

「……え?」



 今なんて。

 さいきん、まいにち、いっしょにいる?

 そんなの、バンドのメンバーの中の誰かだって、そう言ってるようなもんじゃ——、





「句楽くん……僕が好きなのは、——香山だよ」



 楸。
 目を瞬いた。


 蝉が鳴いている音だけが僕らの間に満ちていた。




「……驚いた?」

「……や、まあ」

「正直に言っていいよ。ちょっと引いたでしょ?」

「……別に」



 確かに、彼らは幼馴染だと言っていた。小学校が同じなのもうなづける。



「男が好きだなんておかしいよね。でもさ、好きなんだよ。どうしようもないんだ」

「……そっか」

「ね、句楽くんは、恋って何だと思う?」



 恋。

 僕は、伝えられるほどの答えを持ち合わせていない。身体中のどこを探しても、見つけられない。

 黙り込んだ僕に、松村くんは「ははっ、困ってる」と言いながらもう一度空を見上げた。



「この間さ、1学期最後の授業で先生が言ってた話なんだけど、覚えてる?」

「……ホルモンの?」

「そう。結局人間も動物でさ。恋愛もホルモンが引き起こしてるんだって。ドーパミンとか、セロトニンとか、オキシトシンとかさ」



 てことはさ、と松村くんは言う。



「恋も、ただの本能なんだよ。子孫を繁栄させなきゃいけないっていう、なんて言うの、動物としてのさ」

「……そう、なのかも」

「でもそしたらさ——子孫を残せない相手を好きになった僕って、なんなんだろうね」



 絶対に叶わない、相手(ひと)
 許されない、相手(きかい)


 そうだね。
 松村くんの想いも、僕の気持ちも、何のために生まれてきたのか、わからない。

 それでも松村くんは苦笑しながらこう言うんだ。



「いつか、この自分の恋心を解明したいなってそう思ってるから、生物学者になりたいんだ。道はまだまだ遠いけどね」



 困ったみたいに眉を下げて笑って「はー、ずっと誰かに言いたかったんだよね、言えてスッキリしたー」と歩き出そうとしたその手をそっと掴む。今度は松村くんが目を瞬いて僕を見る。



「あのさ」

「え?」

「引いてないよ。僕」



 額から汗が流れる。目に入って沁みる。



「……句楽くん」

「松村くんは、すごいと、思うよ」



 楸は男だ。それだけでもハードルが高いだろうに、更に彼には、ずっと想い続けている人がいる。幼馴染の間柄だ、きっと松村くんもそれは知っているだろう。もしかしたら相談も受けているのかもしれない。

 それなのに、なんでもない顔をしてずっと友達でいる。その裏にはきっと、たくさんの努力が隠れていることだろう。

 僕だったら——そんなふうに、耐えられない。



「すごくなんて、」

「いいや、誰がなんと言おうと、すごいことだよ」

「……そんな、っ」



 松村くんの声が少しだけ、滲む。それを聞いて、僕はそっと目を伏せる。



「蝉、うるさいから……何も、聞こえないよ」



 それを合図にしたみたいに、松村くんは小さく、ほんとうに小さく泣き出した。



「……辛いよ、毎日。なんで僕は好きな人の好きな人の相談を聞いてるんだろうとか、なんでもないふりをしてそばにいるんだろうとか、毎日思ってる」

「……うん」



 その気持ちは少しだけわかる。その話を聞いて思い浮かぶ相手が、僕にもひとりだけいるから。