7月中旬。テスト返却も無事に終わり、何事もなく終業式が訪れた。気がつけば僕は、まるで普通の人みたいに、誰かと触れ合って、誰かとふざけて、そんな日常を過ごせるようになっていた。
敬語はとってしまえば、今までどうやって話していたのかを忘れてしまうくらい簡単なことだった。まるでベールを一枚ずつ外していくみたいに、誰かとのコミュニケーションに対してのハードルが下がっていく。
でもそれは、きっと彼らが——バンドのメンバーが、僕にとって他人ではなくなったと言うだけなのかもしれない。それがいいことなのかよくないことなのか、僕は判断する術を持たない。僕の基準は、セナだから。
「暑い……セナ、大丈夫?」
「うん、このくらいならまだ平気」
セナは機械なので、暑すぎるとオーバーヒートを起こすことがある。日傘で直射日光は防いでいるけれど、反射熱などはどう頑張っても防ぎきれない。というか普通に人間の方が先に熱中症になりそうな暑さだ。
「やっと1学期が終わる……」
「ホヅミ出席日数足りた?」
「ギリギリセーフだったみたい。4、5月に休みすぎたけどその分6月と7月はあんま休まなかったから」
「バンド活動のおかげだね?」
「……」
認めざるを得ない。だって明確に数値で立証されてしまったのだ。過去に刻まれた記憶による僕の発作の頻度は、圧倒的に少なくなった。前は少し掠っただけでも頭痛に苛まれていたのに、今ではもうしっかり思い出そうとしない限りは大丈夫になった。
「てことは後押ししたわたしのおかげだね?」
「……まぁ、そうかも」
「あ、古谷くんたちだ」
せっかく恥を忍んで認めたのに、華麗にスルーされた。とほほ。
「おはよー、ってあれ?」
「なんか変じゃない?」
いつもだったら僕らを見つけたらすぐに絡んでくる3人だったが、今日はどこかおかしかった。セナが挨拶をしても目が虚、ってか焦点あってなくない?
「もしもしー?」
「あっ、桜庭サン」
「古谷くん大丈夫……?」
「ダイジョウブダイジョウブ!」
カタコトの古谷くん。これじゃあどっちがAIだかわからない。
「おはよ、古谷くん、松村くん、楸」
「あ……ああ、おはよ」
僕が挨拶したらようやくこっちの世界に戻ってきた。
「古谷くんがテンパってるのはまあ分からんでもないけど、松村くんと楸まで……」
「いやむしろお前はなんでそんなに落ち着いてられるんだ!?」
古谷くんのテンションがいきなりゲージオーバーする。それもそのはずだ、今日は僕らにとって、ひとつの決戦の日。
終業式の後に、クラスのみんな含め、視聴覚室で演奏を披露する日なのだ。
「おかしいだろちょっとは緊張しろよ!」
「……だって本番じゃないじゃん」
「お前のその冷静さが今は羨ましいよ、穂積」
そういうものなのだろうか。そう思って、僕は少しだけ寂しい気持ちになる。
だって、それだけ緊張するっていうことは、それだけ熱量をかけているってことだろう?
僕はまだきっとそこまでの域には達していないんだ。
「うっし、頑張るぞ」
「うん、頑張ろう」
古谷くんの言葉を繰り返してみる。少しでもみんなに近づくために。と、セナがぎゅっと腕にしがみついてきた。火照った肌にひんやりとしたぬくもりが気持ちいい。
「? どした」
彼女はふわりと笑って僕を見上げる。
「ホヅミ、大丈夫だよ」
「……はは、ありがと」
セナにはお見通しってわけか。かなわないな。
そう思ってセナの頭に手のひらを伸ばした時——
「……やっぱりお前ら付き合ってんのか」
下駄箱の影からこちらを見る目が1、2、3、4、5、6。
「げ」
もちろんその主はあの3人だ。
「げってなんだげって! こら句楽! 今日こそは白状させるからな!」
ガッとかけられるヘッドロック。いつものパターン。
「だから付き合ってないって言ってんだろ!」
「付き合ってない女子の頭ポンポンするかフツー!?」
「僕はしないと思うけどな……」
松村くん! 君だけは味方だって思ってたのに!
「だからセナは妹みたいなもんだって言ってるじゃんか」
「それはそれで羨ましいけどな」
「余計なことを言うなよ楸!」
ああもう、なんでこうなる!
古谷くんの腕から逃げているとき、セナのことが目に入った。彼女はうれしそうに笑っていた。
それだけで、悪くないかな、なんて。
そんなふうに思ってしまう僕は、もしかしたら熱中症かもしれない。