予鈴5分前。セナと同時に席についたその時、「おはよう」と誰かが僕らに声をかけてきた。いつも通りセナへの挨拶だろう、そう思った僕は1限に提出するべく課題をカバンの中から探し続けていたのだが。



「おーい」

「……?」

「句楽に声かけてんだけどなぁ」

「は?」



 やべっ。驚きすぎて思わず剣呑な声を出してしまった。

 声の主は、古谷光輝(ふるやこうき)という僕らのクラスメイトだった。確か彼はクラス委員で、かつ、軽音学部にも所属していた気がする。僕が一番近づかないタイプの陽キャだ。



「うわっ怖っ、そんな威嚇しないでくれよ」

「や、え、えっと……ごめん」



 ぎゅんっと心臓が縮こまった感じがして少し呼吸が浅くなる。誰かに話しかけられるといつもこうなる。度がすぎると発作につながるから、できるだけ目を合わせないように小さく言葉を落とす。



「いやわりーわりー。いきなり声かけたらびっくりするよな!」



 説明するより早く本人が性格を的確に表現してくれた。ありがたい。こういうとこ。僕にはできない。しようとも思わないけど。



「で、えっと」

「……」

「……えっと、その、あのさ」



 黙り込んだままの僕の目の前で、彼は困ったように眉を落としていた。そっちが勝手に話しかけてきたんだろ。こうなるってわかってたくせに、何で困ってんだよ。

 これ以上休みたくない。この状況ですらストレスなんだ。さっさと終わらせて、いなくなってほしい。



「何か、用?」



 ああ、面倒臭い。何で僕が助け舟を出さなきゃならないんだ。

 ところが古谷くんはそんな僕の気持ちなんかつゆ知らず、声を出したことに顔をパァッと輝かせてくれた。さすが陽キャ。光輝って名前なだけあるな。



「金曜日、句楽休みだったじゃん?」

「……」

「その日によ、文化祭の出し物決めがあったんだよ」

「……」


 無言でうなづく。そういえば担任がそんなようなことを言っていた気がしなくもない。僕には関係ないことだからとちゃんと聞いていなかった。だってそうだろ、人がたくさんいる場所なんかに、誰が望んで行くものか。



「で?」

「で、……」



 古谷くんが言いづらそうに目をそらした瞬間、キーンコーンカーンコーンと予鈴がなった。よし、これでこの状況も終わりにできる。さっさと自分の席に戻ってくれ。

 そんな感情が絶対に顔に出ているだろうに、彼は予鈴の間、全く僕の前から動こうとしなかった。そうして、予鈴がなり終わるのを待って、彼は唐突に両手を合わせて僕を拝んだのだ。


「頼む!」


 パンッという威勢のいい音がさらに鼓動を加速させていた。今の音でこちらを振り向いた人も数人いる。目線が刺さって本当に居心地が悪い。



「……あのさ、何でもいいから早くして」



 思わずこぼれた剣呑な言葉ですら今の彼には届かない。こっちのことなどお構いなしに、そのまま頭を下げてきた。



「お前の力を貸してくれ!」

「……」

「お前が身体弱いのは知ってる。だから無理に文化祭に出ろとは言わない! けど、けどよ——力を貸して欲しいんだ!」



 瞬間、黒い感情が胸を染める。どく、どく、と心臓が脈をうって、その感情を全身に広げていく。

 だから。
 だから、嫌いなんだ、人間っていう生き物が。

 こっちの事情をわかったようなふりして、結局は自分の利益ばかりだ。

 そりゃそうだよ。誰かのために頑張ったって、そんなの誰も見てない。努力は報われるとか、神様は見ていてくれるとか、そんなのは都合のいい妄想だ。

 だから、僕はセナ(AI)しか信じない。
 


「句楽、あの、聞こえてる?」

「……」



 古谷くんに答えなきゃならないのに、何をいえばいいか分からず奥歯を噛みしめる。口を開いたその時、ガラッと教室のドアが開いて「座れー」と言いながら担任が入ってきた。



「詳しくは後で!」



 バタバタと忙しなく古谷くんは自分の席に戻っていく。彼が遠ざかっていくのに合わせて僕の心臓も落ち着いていく。



「なんだったんだ……」



 席に着く時、ちらりと隣に座るセナを見た。僕の目に映ったセナは、前を向いていた。いつも通り机の上に肘をついて、頬を両手で支えていた。

 その横顔が、なぜか——少しだけ泣き出しそうに見えて。



「……?」



 目を瞬いた。

 次に視界に入ったセナはもう、いつも通りだった。

 気のせいだったのかな、とそう思った。