つけっぱなしのテレビからは、幼い子どもの笑い声と、若かりし頃の両親のはしゃぐような声が流れて来る。

 そして時々、豪傑のようなじいちゃんの笑い声と、もうほとんど思い出せない、ばあちゃんの声も。

 これも毎年の光景だ。

 この日、うちのテレビは俺の幼い頃のビデオ記録に電波ジャックされる。

 一日中、俺の幼い頃の映像が流される。

 だからうちでは、この時期やたらと多い戦争番組も、玉音放送も流れることはない。

 確かに忘れてはいけない歴史の一ページであるけれど、さすがにそんな映像や音声を聞きながらこのパーティーメニューを囲むのは忍び難く耐えがたい。


「ねえこの写真見てよ。こんなにかわいかったんだね、享ちゃん」


 キッチンの方から、母親のはしゃぐ声が届いた。

 大方昔の写真でも見ているのだろう。

「毎年見てんじゃん」と軽くあしらうと、「ねえ、お父さん」と今度はグラスを運ぶ父親に同意を求める。

 いい歳して、まるで若い夫婦のように毎年二人であんなふうにはしゃいでいる。


 どーんとまた大きな音が鳴って花火が弾ける。

 その絢爛豪華な花々が、俺の視線を夜空に引き戻した。