「何、言って……、」
「ん、なに? どうかした、ひなちゃん? 顔、強張ってるけど。」

――行かないの、レストラン。
そう言って、直樹くんがぱちりと目を瞬かせる。本当に、きょとんと。
そしてややあってから、ああ、と何かに気がついたかのようにぽんと手を打った。

「蒼の好きな人、ってことか。……ごめんごめん。そうなんだよ、もともと蒼が好きなのはひなちゃんだったんだ。ひなちゃんと蒼は両想いだったんだよ。あの手紙の時もさ。」
「は……?」
「でもさ、蒼は僕のために手紙をわざわざ音読してみせてまで、『こいつのことなんて好きじゃないです』って示してくれてさあ、本当優しいよね。僕が精一杯不安そうな顔をしてみせてたからかな? 筆箱をこっそりカバンから抜いておいたから、僕はひなちゃんが教室に戻ってくるだろうってわかってたけど……まあ、蒼はそんなこと知らなかっただろうしね。」

――何を言われているのか、わからない。
意図せず、呼吸の間隔が短くなってくる。
久保さんの顔色も、紙のように白い。

「それにしたってお人好し過ぎると思わない? 『僕は宮野さんのことが好き』『幼なじみの蒼に協力して欲しい』って言っておいたら、あんなことまでしてみせるってさ。……まあ多分、友達への誠意と恋心の板挟みで頭が真っ白になってたんだろうけど。でなかったらあの、口は悪いけどお人好しの蒼が、好きな子からのラブレターを『気持ち悪い』なんて言うはずないもんなあ。」

あれは傑作だったな、と、彼は声を上げて笑った。
そしてそのまま、階段を下り始める。

「でも、ひなちゃんは蒼じゃなくて僕の頬を選んでくれるんだもんな? すごい嬉しいよ。」

――ほら、早く行こう。
そう言った彼の笑顔に、たまらなくなった。
私は地面を蹴ると、彼の腕を思い切り掴んで身体をこちらに向かせ、その顔を引っぱたいた。
その途端、笑顔だった直樹くんの顔から、表情が抜けた。……すとん、と。音がしたかのようだった。

「……は? なんのつもり?」
「――私はあの時、忘れ物を取りに教室に戻った。あの時の忘れ物は筆箱だった。筆箱をカバンからわざと抜いたなら、あの時の光景を見せるつもりだったってことだよね。蒼が、自分のために私の手紙を回し読みするところを。」

茜くんは正しかった。
私はもっと、きちんと周りを見るべきだった。

「あなたは、蒼の好きな人を奪ってやりたかっただけで、私のことなんか好きでもなんでもなかった。」

騙していたんだ、最初から。……いや、彼は、騙しているつもりですらなかったのかもしれないけど。
でなければ、全てを話してなお『僕を選んでくれるんでしょ?』とは言わないはずだから。
私はずっと、彼の気持ちに『気づけなかった』と思っていた。当たり前だ。彼がほしかったのは、『蒼の好きな人』であって、『私』じゃなかったんだから。
いや。――そんなことは、別にいい。

「私を騙してたのは構わない。あなたの好意がまったくのからっぽだったってことに気づかずに、ふらふらふらふらしてた私が愚かだっただけ。蒼とちゃんと話をしようとせずに、逃げてたのが悪かっただけ。……でもね、」

蒼はあなたのために自分の気持ちを捨てた。
そのあとも、きっとあなたのことを応援してた。


「蒼を騙して利用したことだけは、絶対に許さない……!」