「……え?」

私は蒼の言っている意味がよくわからず、ただ間抜けに目を瞬いた。

――茜くんが、なんだって?

「いや……あのさ。母さんに、茜がこの町に来てるんだってこと、話したんだよ。そうしたら母さんが、『それは変だ』って。」
「変……? なんで? どういうこと?」

 話が見えない。
 私が困惑していると、蒼はどこか険しい顔をしたまま続けた。

「……母さんいわく、数年前の茜の引っ越しは引っ越しじゃなかったらしいんだよ。――ぶっちゃけると、伯父さんの借金が嵩んでの夜逃げだった。ひなんちに親戚のそういうとこは知られたくないからって、引っ越しってことにしたんだと。」

どくん、と心臓が嫌な音を立てる。
私、そんな事情、知らない。きっとお母さんも知らないだろう。
……茜くん、そんなこと、一言も言ってなかった――。

「夜逃げした当初はまだかろうじて連絡がついたらしい。で、そのまま茜の家は一家離散。茜は施設に預けられて、それ以降、うちからも茜の親とも茜とも連絡取れてないらしいんだよ。」
「で、でも! 茜くんは『親とハデにケンカした』って……!」

確かに彼はそう言った。だから、家出をせざるを得なかったのだ、と。
しかし蒼は冷淡に首を振って否定してみせた。

「ならたぶん、それはウソだ。施設を出て、また実の親と暮らすっていうのは考えにくい。夜逃げするほどの借金がそんなにすぐに返せるわけないし、茜の入ってた児童養護施設はだいたい高校まで面倒を見るってとこだった。だったら、親と喧嘩して家を出たっていうのはおかしいだろ。」
「じゃ、じゃあ……そうだ、いいお家の養子になったんじゃない?そうすれば、引き取り先の人を親って言っても不思議じゃないでしょ?」
「でも、お前にもおばさんにも『篠崎茜』って名乗ってたんだろ? 養子になったんだったら、普通なら名字だって変わってるはずじゃないか?」
「ッ、」

反論材料が見つからず、言葉に詰まる。
血の気が引いていく。

「本当は別の名字に変わってたけど、お前には嘘をついて篠崎を名乗ってた……って可能性はある。でも、その理由がわからない。というかそもそも、名字が変わったことを悟られたくないなら、そもそも名字なんて名乗らなければいい。篠崎茜だ、ってちゃんと名乗らなくたって、あの顔だ。ただ『茜です、久しぶり』って言うだけで、お前は茜の名字を自然と『篠崎』だって思うはずだからな。」
「……!」

たしかに、そうだ。
……思い返してみれば、茜くんの言動には「アレ?」と思うところがいくつかあった。
まず、目的。彼の『家出』が、それだけの理由でなされたことではないことは、ノートのあの新聞から察せられる。わざわざ家出にノートを持ってきたということは、やはりそういうことだ。
それに、おそらく彼は、どこかの宿に泊まることを想定していなかった。たぶんだけど、私かお母さんに接触して、私の家に寝泊まりしようと初めから考えていたんじゃないかと思う。……幼なじみの家を当てにするのは理由としてはわかるけど、蒼の家に何も連絡しないというのは、やっぱり不自然だ。普通なら幼なじみの家より従兄の家に泊まるだろう。

――彼は叔父叔母を通じて自分の居場所が親に知られるのが嫌だ、と言っていた。
でも、蒼の言葉が正しいなら、それはおかしい。だって茜くんは、蒼の両親が自分の両親と連絡がつかないことを、わかっていたはずだから。
つまり――彼が私の家に泊まる必要は、ないはずなんだ。

(どうなってるの……⁉)

蒼の話と照らし合わせて考えると、茜くんの言動と現実には矛盾点が多すぎる。
茜くんは、私にウソをついていた?
でも、もしウソをついていたとして――何がウソなの? 彼の言っていること、やっていること、目的も、何もかもがデタラメなら、どこから何を考えていいかもわからない。

「なあ、あいつは誰なんだ? ……顔は間違いなく茜だ。オレたちが似てるってことは、親戚内でもよく言われてたことだ。兄弟みたいだって言われてた……。」
「蒼……。」
「でも、本当にあいつは茜なのか? どうして必要もないのにひなの家に居候なんかしてる?どういう素性でどんな目的があるんだ?」
蒼が、コーヒーの入った紙コップをぎゅっと両手で握りしめた。音を立ててゆがんだ紙コップに、きついシワが刻まれる。
「――あの『茜』は得体が知れなすぎる。」
「……。」
「オレも母さんたちも、茜とその両親について、これ以上のことはわからない。だから……気をつけろよ。いずれにせよ、早く追い出した方がいい。」

そう言うと。
蒼はベンチから立ち上がり、私を見た。
そして、きゅっと眉を寄せてから――くるりと背を向けた。

「……じゃーな。佐古との勉強会、楽しめよ。」

そう残し、蒼は去っていった。
一人残された私は、半ば呆然と、蒼の背中を見送った。