「うーん……。」
「どうかした?」
「うん、ちょっと……って、うわっ⁉ 直樹くん⁉」

 気がつけばすぐそばに直樹くんの顔があり、私はイスごとその場を飛び退いた。
 素っ頓狂な声が広くない図書室全体に響き、司書さんが眉をしかめたのが見えた。

「そんなに驚かなくてもよくない?」
「ま、まず驚かせないでくれると嬉しいんだけど……。ここ図書室だよ……。」

 顔のすぐ横にイケメンの顔、心臓に悪すぎる。
 一瞬でドッと疲れてそう言うと、直樹くんは苦笑して「ごめんごめん。」と頭をかく。

「でもなんか、悩んでるみたいだったからさ。どうしたのか気になって。」
「あ、あー……。」

 うなり声、声に出てたのか。恥ずかしい。

「な、なんでもないよ! ただ、勉強でわからないところがあって、それで悩んでただけ!」
「ああ、数学の問題?」

 直樹くんが、私の手元を覗き込む。閲覧スペースの机に広げられているのは、数学の参考書とノートだった。
 うなっていたのは別件だけど、数学の問題でもつまづいていたので、私はうなずいた。

「えっと、そうなんだよね。この応用問題がいまだにうまく解けなくて……。」
「ああ、これね。僕もあんまり好きじゃないけど、コツはわかるよ。」
「え、ほんと⁉ あの、聞いたら教えてくれたり……?」
「あはは、もちろん。」

 朗らかにうなずいた直樹くんが、解説を指さしながらコツを教えてくれる。
 ふむふむ頷きながらメモをして、実際に類似問題を解いてみて、解答と自分の答えを照らし合わせてみる。
 それがきちんと合致していたのを確認して、私は思わず「やった!」と声を上げた。
 うーん、直樹くん、すごい。やっぱり、頭いいんだなあ。

「ありがとう、直樹くん。さすがだね!」
「そんなことないって。成績は蒼の頬がいつもいいしさ。」

 改めて感心してほめると、直樹くんの表情が、ふと暗くなった気がした。
 彼の陰った顔を見るのははじめてで、私は一瞬、息を呑む。

「あれ、そうだっけ? ごめん、二人とも成績がいいのは知ってたんだけど。」
「うん。……僕は塾に行ってて、蒼は行ってない――しかも運動部の中でも活動日が多いサッカー部でバリバリ活躍までしてるのに、蒼の方が勉強までできる。まったく、天は二物を与えないって、絶対嘘だよなあ。」
「ああ……たしかに。蒼、昔から要領いいから……。」

 おどけるように肩をすくめてみせる直樹くんに、苦笑する。そう、蒼はわりと天才肌だ。努力なしでなんでもできそうなイメージは、私にもある。
 彼の言う通り、天は二物でも三物でも与えるものだ――でも、蒼は意地っ張りなところがあるから、陰で努力をしてるのかもしれないけど。

「でも、蒼は天才肌だから、人にものを教えるのってあんまり上手くないと思うよ。デリカシーもあんまりないから、わからないところを質問しても、『なんでわからないのかわからない』って本気で言ったりする。」
「い、言いそう……というか、やけに詳しい想像じゃない?」
「経験談なので……。」

 まだ蒼と距離が開いていなかった、小学校高学年のころのことだ。蒼は解説を聞いても首をひねる私に、『なんでわかんないんだ?』って本気で不思議そうだった。

「あはは、なるほどなあ。それならたしかに詳細なイメージになるわけだ。」
「だから、教え方は断然直樹くんの頬が上手! あと、普通に教え方も蒼より優しい。」
「不器用なとこあるし、話し方もわりとぶっきらぼうだもんね、あいつ。」
「そうそう。」

 そっくりな顔立ちなのに、茜くんは勉強の教え方もうまいし、優しいけど。

「……なので、勉強を教わるなら蒼より直樹くんの方がいいかな、なんて――、」