「――それよ、それ!」

 すると、嫌そうに眉をしかめた久保さんが、私を指さした。

「今まで、『佐古くん』って呼んでたくせに、いきなり『直樹くん』なんて呼ぶようになってさあ。意味わかんないんだけど。」
「あ……。」

 はっとする。……たしかに、それはそうだ。呼び方の変化は、大きな変化だと言えるだろう。
 私たちのような高校生にとって、名前を呼び合うということはそれなりに親しいということを示す。久保さんのような華やかな女子であれば違うのかもしれないが、私のように地味な女子が男子を名前で呼ぶということは、仲がいいのだろうと捉えられるだろう。

 あの時は『別におかしくない』って言葉に、『そうかも』って思っちゃったけど――そうだよね。周りから見てもやっぱり奇妙だったのかもしれない。

「というかね、あんたが直樹と二人で空き教室にいたってところを目撃した子もいるの。それを、翌日からこれ見よがしに名前呼び? ふざけてるの?」
「しかもさー、直樹に『ひなちゃん』とか呼ばせちゃって。なんなの? 調子に乗らないでくれる?」
「私、別に調子に乗ってなんて……。クラスメイトで友達なんだし、別に名前で呼んでたっていいかなって、それだけだよ。」
「はあ? あんたみたいな地味でぱっとしないやつと、直樹が友達なわけないじゃん。直樹と対等であるつもりでいること自体が、調子に乗ってるって言ってんの。」
「……ッ。」

 たしかに、私が地味でぱっとしないのは事実だ。イケメンで、優しくて明るくて、蒼と同じようにクラスの中心人物の直樹くんと釣り合ってないことも、彼に好意を寄せられるに値するような女子じゃないことだってわかってる。
 ――でも。

「とにかく、これ以上直樹とベタベタしないで。友達面も迷惑だからしないで。あたしらの友達差し置いて直樹と付き合うなんて一番ありえないからね、わかった?」
「……迷惑っていうのは、直樹くんが言ったの?」
「は?」

でも……友達同士だっていうことは、そんなに悪いことかな。
 たとえ、悪いことだったとして、そういう私のあやふやな態度に腹を立てていいのは、それこそ直樹くんだけのはずじゃないか。

「私が直樹くんとどんな関係になったって……それに文句を言える人がいるんだとしたら、直樹くんの彼女だけだと思う。久保さんって、直樹くんの彼女なの?」
「は? あんた、何言って……、」
「私は蒼のことが好きだし、まだ諦めきれてない。……でも、直樹くんと友達として仲良くしたとして、私の態度が思わせぶりだって非難していいのって、直樹くんだけだよね?」

 声は震えていたが、きっぱり言い切った。

 ……ちゃんと、自分が何を言ってるのか、わかってる。
 この言葉は、彼女らにとっては、むかつく以外の何物でもない物言いだと思う。――それは間違いなく。
 でも、私には、友達としてこれから仲良くなっていこう、という直樹くんの言葉に応えることが、そんなに悪いことには思えなかった。
 
 だって、何も悪いことはしていない。
 私だって既に振られているのだ――このまま蒼のことばかり見ていていいのか、迷うこともある。

「意味わかんない……。引くんだけど。」
「信じられない。あたしたちが忠告してあげてるの、気づかないの?」

 険しい顔をした久保さんたちが、低い声で口々につぶやく。
 そして、彼女はチッ、と小さく舌打ちをすると、私を鋭く睨みつけてきた。

「あんたの言い分、あたしは絶対認めないから。……あたしの方が先に直樹が好きだったのに、あんたにとられるなんて絶対許せない。しかも、蒼に告ったばっかの、フラフラしてる女なんかに……!」
「……、」

「あんたがどういうスタンスでいようと、もしもこれ以上直樹に近づくようなら、あたしにも考えがあるから。」

 そう吐き捨てて、久保さんたちはさっさと階段を上っていった。
 私はその背中を半ば呆然と見送って――、そのまま踊り場の床に座り込んだ。