『ひな! だいじょうぶ?』

 甲高い声を上げて、こちらに走ってくるのは水色のスモッグを来た小さな男の子だった。その手には、どこからかつんできたらしい小さな白い花。
 私ははた、と顔をあげた。幼稚園のそばにある、少しだけ広い公園の、芝生の上。
 そしてすぐに、ああこの子は蒼だ、と頭のどこかで声がした。――五才のころの、蒼。

『ひっく、う、いたい~……。』
『な、なくなよ! ほら、これ、あげる!』

 私は、ついさっき転んだ時にすりむいたひざが痛くて泣いていた。
 蒼はわんわん泣く私を見ておろおろしながら、私に白い花と、クローバーを差し出す。

『四つ葉のクローバー。持ってると、しあわせになるんだって。あかねにおしえてもらったから、クローバーいっぱいあるところでさがしてきた!』
『しあ、わせ……?』
『うん。だからすぐにいたいのもとんでっちゃうよ。ね?』

 ほら、と蒼がもう一度、私に向けて白い花とクローバーを差し出した。
 涙をこぼしながら受け取って。ひざが痛くて、でも、それ以上に蒼が私のために花をくれたのが嬉しくて。
 蚊の鳴くような声だったけれど、私はしぼり出すように言った。

『ありがと、蒼……。でも、いいの? 私がもらっちゃって。蒼がみつけたんでしょ?』
『どーいたしまして。いーの、だいじょうぶ。これからつらいことがあったりしたら、おれがまたこうやってたすけてあげるからな!』
『ほんと?』
『ほんと。だからひな、大きくなったらおれのおよめさんね? そうしたら、ずーっとおれがひなをまもってあげられるから!』

 蒼はそう言って、私の両手を取った。
 私は夢を見るような心地で、大きく頷いて、言う。

『――うん! ずっとずっと、一緒だよ!』



  *



 目を閉じているはずなのに、朝日がまぶしい。
 光が、目の奥で瞬く。
 うーん、と小さくうめいて丸まった。おかしいな、シャッターを閉めてから寝たんだから、朝日がダイレクトに顔に当たったりしないはずなのに。どうして――。

「あと十分……。」
「いいけど、朝ごはん冷めちゃうよ?」
「ん~……うん⁉」

 がば、と飛び起きる。布団をはねのけ、勢いよく顔を上げる。
 はねのけた掛け布団がぶつかりそうになったのか、「おわ!」と言って一歩あとずさったのは、

「あ……茜くん⁉」

「うん、おはよひな。やっと起きた?」
「ななななななんで茜くんが私の部屋に⁉」

 ってことはさっきのセリフは茜くんか! 
 そう正しく理解し、私はあわてて跳ねのけた掛布団を引き寄せた。焦って、顔が真っ赤になるのがわかった。
 朝ごはんを作ってくれたのはありがたいけど……そうじゃない! 
 いくら幼なじみとはいえ、勝手に入ってこられるのは困ります!

「だってひな、全然起きてこないからさ~。起こしに来たんだよ。」
「いや、だからって、ノックとか……!」

 抗議をしようと思ったが、

「したって。ドンドンって、けっこう大きな音で叩いてみても、なんも言わなくて、一瞬焦ったこともあったかな。」
「うっ……。」
「途中からソーラン節のリズムで叩いてたのに、ぜんっぜん気づかなかった?」
「私の部屋のドアでタイコの達人しないでもらっていいかな……。」

 まあ確かにおっしゃるとおり、ぜんっぜん気づかなかったんですけど。
 はー、とため息をついてベッドから降りる。――部屋の窓のシャッターはすでに開いていた。茜くんが明けてくれたんだろう。

「シャッターとかいいから、起こしてくれたらよかったのに。」
「んー、だって、ひなの寝顔、ちょっとだけ見たかったしさ。可愛かったよ?」
「ぎゃー⁉ っちょ、ちょっと茜くん、なんッてこと言うの‼」

 私は素っ頓狂な声を上げた。

「え? じゃあなんて言えば……あ、子どもみたいに口開けて寝てたぜ。癒された。」
「なお悪い‼」

 なんてことだ、恥ずかしすぎる。
 思わず呻いて顔を覆う。
 好きな人にそっくりで、しかも大人っぽくてかっこいい年上の男子に、口を開けて寝ているところを見られたなんて。信じられない。
 うう、なんて地獄だ。
 穴があったら入りたい。いやむしろ穴を掘って入りたい。私はあああ、と声を漏らしながら顔を手で覆った。