西山綺佐さんへ

 同じクラスの細谷瑞來です。
 本当は口で言いたかったけど、僕はよく愛想無しとか口下手とか言われることが多いので、ここに書きます。
 西山さんのことを最初は女子の一人としか見てなかったけど、一年の体育祭のとき、リレーで転けた男子からバトンを受け取って、その後めちゃくちゃ速くて一位獲って、なんか格好よくって。それから、なんとなく気になっていました。
 あとは陸上大会のとき。陸部が中心で出場する大会だったんだけど、覚えてる?たしかバレー部も参加させられて、西山さんいるなって、待機所で勝手に思ってました。
 たぶん、俺はあのとき浮かれていて、競技目前にシューズを履き替え忘れたことに気がついて、前走者を見ながら焦ってました。でも、西山さんが届けに来てくれて、すごい形相で来てくれて、俺にめっちゃ怒ったよね。「何やってんの!陸部クビになっちゃうじゃん!」って、怒ってた。競技前だから「落ち着いて頑張れ」とか言われんのかと思ったけど、怒られてすごくビックリしました。
 すぐ、好きになりました。
 素直に笑ったり、怒ったり、そういうところを見ていて、好きだと思いました。

 だから、付き合ってください。
 西山さんのことが好きです。

 細谷瑞來


 ❀ ˖*

 合唱『蛍の光』をうろ覚えな唇が刻む。広い体育館のなかで反響する柔らかな歌詞が、不覚にも胸を締め付ける。

 “ふみ読む月日 重ねつつ”

 靄から解放された便箋に走る、瑞來の綺麗な文字。綺麗なのに、途中で「僕」が「俺」になっていたり、敬語とそうでないときが入り交じっていたり。そんな、素直な気持ちを綴ってくれた彼と彼のことを一人、思い返す。
 そして、溢れ出す涙に合わせて浮かび上がる、中学三年生の彼から届いたメッセージ。

 “この手紙が、高校三年の卒業式の日に届きますように”
 “それと、空似のお姉さん。もし恋人に振られたら、そいつをぶん殴ってください”

 目一杯書かれた便箋の裏に、走り書きされていた。


「ぶん殴る、ねぇ……」

 体育館から校舎へ続く、渡り廊下の道中。すすり泣く生徒たちがチラホラ見られて、なんだか少し安堵する。目尻をハンカチで拭いながら、さすがにぶん殴れないよなぁ、と後ろを振り返る。
 隣のクラスが体育館を出るところで、澄ました顔で歩く瑞來の姿もそこにはあった。

 瑞來くん。ぶん殴るのは無理だけど、そうだな、そのくらいのカウンターは浴びせてあげられるかも。
 私は脇に避けて立ち止まり、息を吸う。

「瑞來!」

 通りに並んで歩く生徒たちの視線が、一斉に集まってくる。それよりも、私は人混みにまみれる瑞來の顔を捉えるのに必死で、塀を越えてもう一度、

「瑞來——!」

 立体感のある大きな瞳が、ギョロリと張る。桜色の唇が「え?」と言っている。サイズぴったりのブレザーをスラリと着こなして、いつも通り格好いい。

「大好きだったよ——!」

 卒業証書の入った筒を振り上げて、塀に乗り上げて、瞠目した彼の瞳に私を映す。

 ああ、なんだ、こんなことか。
 いつからか、瑞來との温度の差ばかりを気にして口に出来なくなっていた言葉が、再び体を熱くする。

 ——わかったから、声デカいよ。

 交わる視線の中、端來は困ったように眉を下げて、ほんのり笑みを乗せる。軽く手を上げて返事をくれた端來の姿に、視界が滲んだ。

「……バイバイ」

 あのね。大好きだよ、端來。

 教室に向かって走りながら、途中、廊下の窓から空を見上げる。なんだかうるさい春を感じたくなって、窓を開ける。

「なんだ、全然静かじゃん」

 “西山さんのことが好きです”
 そう綴られた便箋を取り出せば、同封していた花びらが掌に落とされる。
 そういえば、とブレザーの胸ポケットを探った私は、ある願いを込めた花びらを同じ掌にそっと並べる。二つは寄り添い、笑っていたけれど、

「——あ、」

 手紙に入れていた一枚が春の風に攫われて、青い空に溶けていく。私は残った一枚を握りしめて、弾けるように笑った。


 ——瑞來くんが家出少女と出会った日のことを、忘れてくれますように。
 ——どうか、瑞來の次の恋が、とびきり幸せなものになりますように。


 End.