「笑いすぎじゃない?そんな変な顔してた?」
「いや……よく考えると、その顔が一番似てるなと思って」
「え?」
「俺の彼女に」
サラリと放たれるフレーズに、不覚にも胸が鳴る。昨日恋人になったばかりの私が聴いたら、卒倒するかもしれない。
かわいい、もそうだけど、瑞來は意外と躊躇いそうな言葉を不意に、サラリと言ってしまうから、私の心臓はいつも呻いていた。
「ふうん。なるほどねぇ。じゃあ、瑞來くんは私の元カレに似て、結構甘党だね」
「あ……」
ちょっと頂戴、とパックを取り上げると、唖然とした表情が視界に映った。
「甘党……なんですか、元カレさん」
ねっとりとした甘さが広がると同時に、瑞來くんは訊ねる。
「うん。私が作るケーキをね、毎回褒めてくれたよ」
「ケーキ……バレンタインとか、ですか」
「そう。毎年って、約束したから」
探るような会話のなかで、瑞來くんはやっぱり、と言いたげに頷いた。
毎年って、約束していたのに——。
いちごオレを返し、封筒を開きながら思い出す。
中三のホワイトデーに約束したのに、守れたのはたったの一度だけ——高校二年の冬から、私はチョコレートケーキを作れなくなってしまった。
「ごめんっ、今年は市販にしちゃった」
「いや、全然いいけど」
淡々と言って、市販のボンボンショコラを頬張りながら、瑞來はどうかしたの?と訊いてくれた。私がパティシエになりたいと意気込んで、よくケーキを焼いているという話をしていたからだ。
だから、瑞來には言えなかった。家業を姉が継ぐと決まって、私にはもう夢を追う意味がなくなってしまった、と。どうしても言えなかった。
「いやぁ、時間なくってさ」
ほら、もうすぐ受験じゃん。
そう誤魔化して、弱音を吐き出すことが出来なかった。劣等感に皮を被せて、とにかく笑って誤魔化した。
全部、些細な積み重ねだったのかもしれない。
弱い気持ちを隠したことも、繕ったことも、自分ばかりが背負っている気でいたことも——瑞來の心に積もっていたことに、私は気づくことが出来なかった。
好意が薄れていることに気がついて、それでも倦怠期なんて誰にでもあるから、と。私たちなら大丈夫だ、と。根拠もなく、信じていた。
「ちゃんと、見れてなかったんだなぁ……」
——瑞來のこと。
便箋を受け取る間際で、視界が滲む。向かい合う瑞來くんは、再びハンカチを差し出した。
結局借りることになってしまうなんて、年上なのに恥ずかしい。
「俺は……いまの綺……お姉さんを知ってるから、」
綺佐と言いかけた少年の唇が、微かに震える。
「だから、きっと未来は変わってると思います。その恋人も、もっと貴方の気持ちに気付けると……、」
「アハハッ、やっぱ優しいなぁ、瑞來くん」
借り物のハンカチに涙を沈めて、目尻を拭う。そのまま鞄からペンを取り出し、彼に差し出した。
「ここに、書いて欲しいの」
「え?」
「『この手紙が、高校三年の卒業式の日、届きますように』って」
靄がかった便箋の端に、彼の視線が移る。抵抗されるかと思っていたけれど、彼はすんなり頷いて、綺麗な文字を走らせた。
そして封筒に入れると、その表面にゆっくりと刻んだ。
“西山 綺佐様”
あれはやっぱり、瑞來からの手紙だったんだ。
「あーっ、待って!それと花びら」
彼が封をする寸前で私は止める。
「持ってるでしょ、さっき拾った花びら」
「持ってますけど……もしかして、」
「うん。それも中に入れて欲しいの」
外れ桜の花びらを、願いが叶う時まで持っていられたら——。
この迷信を、少なくとも私は信じてる。だって瑞來からの手紙は、しっかり三年後に届いていたのだから。
私は封をした手紙を受け取り、自分の下駄箱にそっと置いた。
「瑞來くん、最後にもう一つお願いがあるんだけど——」
「最後?」
「そう、最後」
今はなんの変哲もなく置かれた手紙から、瑞來くんへ視線を移す。やっぱり、学ランよりもブレザーが似合うよなぁ、と距離を詰めながら、私は唇を割った。なんでか少し、震えていた。
「私に、キスしてくれないかな」
不規則に思えた時空を越えるトリガーも、数を重ねれば見えてくる。思い返せば、いつも瑞來くんに触れた直後に白い光に包まれていた。
「は?!」
彼は途端に赤く染まる。私が貰ったファーストキスはとても穏やかだったけど、彼の内心は荒波を立てていたのかもしれない。そう思うと、なんだか今さら微笑ましい。
「ごめんごめん、彼女持ちに口にしろなんて言わないから。ほっぺでいいよ」
ね、お願い。
横顔を差し出すと、大きな息が上から落ちる。こっそり覗いた表情は、まだ赤く染まっていた。
「……分かりました」
「あ、そうだ。もう一つお願いあったわ」
「なんですか?」
今度私に、ネクタイの結び方教えてやってよ。
「ありがとね、瑞來」
桜色の唇が近づいて、口づけが頬に伝う。
零れた涙を掬うような、優しく、穏やかなキスだった。
「いや……よく考えると、その顔が一番似てるなと思って」
「え?」
「俺の彼女に」
サラリと放たれるフレーズに、不覚にも胸が鳴る。昨日恋人になったばかりの私が聴いたら、卒倒するかもしれない。
かわいい、もそうだけど、瑞來は意外と躊躇いそうな言葉を不意に、サラリと言ってしまうから、私の心臓はいつも呻いていた。
「ふうん。なるほどねぇ。じゃあ、瑞來くんは私の元カレに似て、結構甘党だね」
「あ……」
ちょっと頂戴、とパックを取り上げると、唖然とした表情が視界に映った。
「甘党……なんですか、元カレさん」
ねっとりとした甘さが広がると同時に、瑞來くんは訊ねる。
「うん。私が作るケーキをね、毎回褒めてくれたよ」
「ケーキ……バレンタインとか、ですか」
「そう。毎年って、約束したから」
探るような会話のなかで、瑞來くんはやっぱり、と言いたげに頷いた。
毎年って、約束していたのに——。
いちごオレを返し、封筒を開きながら思い出す。
中三のホワイトデーに約束したのに、守れたのはたったの一度だけ——高校二年の冬から、私はチョコレートケーキを作れなくなってしまった。
「ごめんっ、今年は市販にしちゃった」
「いや、全然いいけど」
淡々と言って、市販のボンボンショコラを頬張りながら、瑞來はどうかしたの?と訊いてくれた。私がパティシエになりたいと意気込んで、よくケーキを焼いているという話をしていたからだ。
だから、瑞來には言えなかった。家業を姉が継ぐと決まって、私にはもう夢を追う意味がなくなってしまった、と。どうしても言えなかった。
「いやぁ、時間なくってさ」
ほら、もうすぐ受験じゃん。
そう誤魔化して、弱音を吐き出すことが出来なかった。劣等感に皮を被せて、とにかく笑って誤魔化した。
全部、些細な積み重ねだったのかもしれない。
弱い気持ちを隠したことも、繕ったことも、自分ばかりが背負っている気でいたことも——瑞來の心に積もっていたことに、私は気づくことが出来なかった。
好意が薄れていることに気がついて、それでも倦怠期なんて誰にでもあるから、と。私たちなら大丈夫だ、と。根拠もなく、信じていた。
「ちゃんと、見れてなかったんだなぁ……」
——瑞來のこと。
便箋を受け取る間際で、視界が滲む。向かい合う瑞來くんは、再びハンカチを差し出した。
結局借りることになってしまうなんて、年上なのに恥ずかしい。
「俺は……いまの綺……お姉さんを知ってるから、」
綺佐と言いかけた少年の唇が、微かに震える。
「だから、きっと未来は変わってると思います。その恋人も、もっと貴方の気持ちに気付けると……、」
「アハハッ、やっぱ優しいなぁ、瑞來くん」
借り物のハンカチに涙を沈めて、目尻を拭う。そのまま鞄からペンを取り出し、彼に差し出した。
「ここに、書いて欲しいの」
「え?」
「『この手紙が、高校三年の卒業式の日、届きますように』って」
靄がかった便箋の端に、彼の視線が移る。抵抗されるかと思っていたけれど、彼はすんなり頷いて、綺麗な文字を走らせた。
そして封筒に入れると、その表面にゆっくりと刻んだ。
“西山 綺佐様”
あれはやっぱり、瑞來からの手紙だったんだ。
「あーっ、待って!それと花びら」
彼が封をする寸前で私は止める。
「持ってるでしょ、さっき拾った花びら」
「持ってますけど……もしかして、」
「うん。それも中に入れて欲しいの」
外れ桜の花びらを、願いが叶う時まで持っていられたら——。
この迷信を、少なくとも私は信じてる。だって瑞來からの手紙は、しっかり三年後に届いていたのだから。
私は封をした手紙を受け取り、自分の下駄箱にそっと置いた。
「瑞來くん、最後にもう一つお願いがあるんだけど——」
「最後?」
「そう、最後」
今はなんの変哲もなく置かれた手紙から、瑞來くんへ視線を移す。やっぱり、学ランよりもブレザーが似合うよなぁ、と距離を詰めながら、私は唇を割った。なんでか少し、震えていた。
「私に、キスしてくれないかな」
不規則に思えた時空を越えるトリガーも、数を重ねれば見えてくる。思い返せば、いつも瑞來くんに触れた直後に白い光に包まれていた。
「は?!」
彼は途端に赤く染まる。私が貰ったファーストキスはとても穏やかだったけど、彼の内心は荒波を立てていたのかもしれない。そう思うと、なんだか今さら微笑ましい。
「ごめんごめん、彼女持ちに口にしろなんて言わないから。ほっぺでいいよ」
ね、お願い。
横顔を差し出すと、大きな息が上から落ちる。こっそり覗いた表情は、まだ赤く染まっていた。
「……分かりました」
「あ、そうだ。もう一つお願いあったわ」
「なんですか?」
今度私に、ネクタイの結び方教えてやってよ。
「ありがとね、瑞來」
桜色の唇が近づいて、口づけが頬に伝う。
零れた涙を掬うような、優しく、穏やかなキスだった。