「あ、えっと……用事っていうか……」
「ん?」
「そう、最近さぁ、あんまり二人の写真投稿できてないじゃんっ。だからたまには外に出て、写真撮りたくて——」
笑って、笑って、堰を切ったように吐き出すと、目の前の表情が大きなため息をつく。
ああ、間違いだったな。って、その事実だけはしっかりと心に染み着いた。
「何……俺らって、アプリのために付き合ってんの?」
瑞來は鼻から息を抜くようにして笑う。傷口が抉られた瞬間だった。
その後のことは、正直あまり覚えていない。でも、思い起こした今分かるのは、あのとき喉に詰まらせた言葉はもう、瑞來には届かないということ——。
「相手の温度に合わせることばっかり考えて、その結果素直に自分の気持ちも言えなくなって……バカだなぁ、私」
外れ桜から舞い降りる花びらが、頬を撫で、はらはら落ちる。堪えた涙の代わりにしては、勿体ないほど優しかった。
「それは、振られた恋人とのことですか?」
まだ隣に立っていた瑞來くんが、無垢な調子で首を傾げる。
「うん。というか、私のこと。私のバカさ加減のこと」
「バカなんですね」
「うん、大分。……本心とか言葉って、思ったそのときに口に出さないと意味ないんだなぁって、やっと気づいたよ」
当番のとき、本当は最後まで一緒に居て欲しかったの。
あのときは、久しぶりに瑞來と一緒に手を繋いで、外を歩きたかっただけなの。
写真をたくさん撮ってSNSに載せていたのは、私が安心したかっただけなの。
今さら瑞來に説いたって、もう遅いのに。
取るに足らないプライドで、喉を詰まらせた言葉に賞味期限があるってこと、私は知らなかった。
「——それはきっと、お互い様じゃないですか」
暖かい風が、長く伸ばした髪を攫う。耳に掛けて隣を向けば、瑞來くんは大人びた表情で桜を見上げていた。
「お互い様……?」
「相手の恋人……だった人も、何もかも素直に伝えられていた訳ではないと思うから」
大人びた横顔で、大人びたことを言う。それなのに、
「俺は、まだガキなのでよく分かりませんけど」
なんて、急に少年を盾にして笑うところは、なんだか狡い。
向けられた笑みに元恋人を探したくなって、私は視線を持ち上げた。
「そうだったら、傷つけたのもお互い様だ」
「え?」
「自分だけが傷を抱えてる~って、思ってたから。きっと、何気ない言葉とか態度で傷つけたこと、沢山あったと思うなぁ」
……今となってはもう、確かめようはないけれど。
見上げた桜が、茜色の空に溶けていく。涙で自分の視界が滲んだからだと気がついたのは、ポケットティッシュを差し出されたからだ。昔、よく駅前で配られていた英会話教室の広告が入っていた。
「ありがと。気ぃ利くじゃん」
「なんか、お姉さんの涙は心に痛かったので」
「え?」
「なんとなく、ですけど」
少し高いところから流された視線に、どきりとする。
「なんか、瑞來くんには貰ってばっかだわ。年甲斐もなく」
「そんなに変わんないでしょ」
「うん、確かに」
「……でも、恋愛については疎いから——俺」
歯切れの悪い台詞を横目に、涙を拭う。すると瑞來くんはリュックを前に背負って、強引にチャックを開いた。
「良かったら、これ読んでみて欲しくて」
差し出されたのは、中から取り出された一枚の便箋。裏返しにされているけれど、インクが微かに滲んでいる。
「え……手紙? えっ、もしかして、例のラブレター?!」
「声がデカイです」
「ご、ごめん……だって、」
だって、ビックリして。どうして私に見せてくれるのだろう。
「お姉さんなら、ただの他人だしいいかなって」
「言い方よ」
「すみません。自分の性格上、かなりむず痒いことをしてるっていうのは分かってるんですけど……いや、だから確かめておきたくて」
——失敗は、なるべくしたくないから。
続けられた言葉と実直な瞳に、心臓が大槌を叩く。
瑞來が想いを寄せていた相手が誰なのか。何事も平然とこなす彼が、ここまで真剣に想いを抱えるなんて。もしや別れ際に放たれた “好きな人” って——……。
「お姉さん?」
すると、八の字に曲がった凛々しい眉が覗き込む。
「ごめんっ、……あの、もちろんよ!私が責任もって添削してあげるっ」
「はい。お願いします」
邪念を捨てて、薄い便箋を受け取る。下敷きの上で書いたのだと分かる滑らかな手触りに、瑞來らしさを噛み締めた。
しかし、裏返してみて、私は瞠目した。
「え…………?」
「どうかしました?」
見えない。初めて瑞來くんに会ったとき同じように、まるで靄でも掛かっているかのように、罫線の上に書かれた文字だけが見えないのだ。
「瑞來くん、あの、見えなくて」
正直に伝えると、え?と彼の手が伸びてくる。すぐ傍まで顔が近づいて、その距離と垣間見える下睫毛にドキドキしていると、指先が微かに触れ合った。
どれ、見せてください。俺は普通に見えますけど。と言いながら、私を覗き込む。
瞬間、白く光った。全身を眩い光に包まれて、ああ、またこれかと息を吐いた。
しかし、今回はどうしてか海に浮かんでいるかのように体も、心も穏やかで。視界は変わらず眩しいけれど、目蓋を閉じれば、暖かい何かに抱き締められているようだった。
「——……」
私は手に握ったままの便箋を、胸に当てる。
ごめんね、持ってきちゃった。……でもさ、もしかして。瑞來が書いたこの手紙が、いま私を包み込んでくれているのかな——。
次に辿り着いたのも、春だった。三度目の春だ。
外れ桜が風に揺れている。その景色まで同じだから、別の時間へトリップし損ねたのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
「また会いましたね、お姉さん」
「おう、会ったね、少年」
後ろから声を掛けられて振り返れば、前よりも背丈がぐんと伸びた瑞來くんが居て、
「会ったら訊きたかったんです」
「うん?」
「あなたは、タイムリーパーですか」
彼は、優しい稲妻を私に落とした。
「ん?」
「そう、最近さぁ、あんまり二人の写真投稿できてないじゃんっ。だからたまには外に出て、写真撮りたくて——」
笑って、笑って、堰を切ったように吐き出すと、目の前の表情が大きなため息をつく。
ああ、間違いだったな。って、その事実だけはしっかりと心に染み着いた。
「何……俺らって、アプリのために付き合ってんの?」
瑞來は鼻から息を抜くようにして笑う。傷口が抉られた瞬間だった。
その後のことは、正直あまり覚えていない。でも、思い起こした今分かるのは、あのとき喉に詰まらせた言葉はもう、瑞來には届かないということ——。
「相手の温度に合わせることばっかり考えて、その結果素直に自分の気持ちも言えなくなって……バカだなぁ、私」
外れ桜から舞い降りる花びらが、頬を撫で、はらはら落ちる。堪えた涙の代わりにしては、勿体ないほど優しかった。
「それは、振られた恋人とのことですか?」
まだ隣に立っていた瑞來くんが、無垢な調子で首を傾げる。
「うん。というか、私のこと。私のバカさ加減のこと」
「バカなんですね」
「うん、大分。……本心とか言葉って、思ったそのときに口に出さないと意味ないんだなぁって、やっと気づいたよ」
当番のとき、本当は最後まで一緒に居て欲しかったの。
あのときは、久しぶりに瑞來と一緒に手を繋いで、外を歩きたかっただけなの。
写真をたくさん撮ってSNSに載せていたのは、私が安心したかっただけなの。
今さら瑞來に説いたって、もう遅いのに。
取るに足らないプライドで、喉を詰まらせた言葉に賞味期限があるってこと、私は知らなかった。
「——それはきっと、お互い様じゃないですか」
暖かい風が、長く伸ばした髪を攫う。耳に掛けて隣を向けば、瑞來くんは大人びた表情で桜を見上げていた。
「お互い様……?」
「相手の恋人……だった人も、何もかも素直に伝えられていた訳ではないと思うから」
大人びた横顔で、大人びたことを言う。それなのに、
「俺は、まだガキなのでよく分かりませんけど」
なんて、急に少年を盾にして笑うところは、なんだか狡い。
向けられた笑みに元恋人を探したくなって、私は視線を持ち上げた。
「そうだったら、傷つけたのもお互い様だ」
「え?」
「自分だけが傷を抱えてる~って、思ってたから。きっと、何気ない言葉とか態度で傷つけたこと、沢山あったと思うなぁ」
……今となってはもう、確かめようはないけれど。
見上げた桜が、茜色の空に溶けていく。涙で自分の視界が滲んだからだと気がついたのは、ポケットティッシュを差し出されたからだ。昔、よく駅前で配られていた英会話教室の広告が入っていた。
「ありがと。気ぃ利くじゃん」
「なんか、お姉さんの涙は心に痛かったので」
「え?」
「なんとなく、ですけど」
少し高いところから流された視線に、どきりとする。
「なんか、瑞來くんには貰ってばっかだわ。年甲斐もなく」
「そんなに変わんないでしょ」
「うん、確かに」
「……でも、恋愛については疎いから——俺」
歯切れの悪い台詞を横目に、涙を拭う。すると瑞來くんはリュックを前に背負って、強引にチャックを開いた。
「良かったら、これ読んでみて欲しくて」
差し出されたのは、中から取り出された一枚の便箋。裏返しにされているけれど、インクが微かに滲んでいる。
「え……手紙? えっ、もしかして、例のラブレター?!」
「声がデカイです」
「ご、ごめん……だって、」
だって、ビックリして。どうして私に見せてくれるのだろう。
「お姉さんなら、ただの他人だしいいかなって」
「言い方よ」
「すみません。自分の性格上、かなりむず痒いことをしてるっていうのは分かってるんですけど……いや、だから確かめておきたくて」
——失敗は、なるべくしたくないから。
続けられた言葉と実直な瞳に、心臓が大槌を叩く。
瑞來が想いを寄せていた相手が誰なのか。何事も平然とこなす彼が、ここまで真剣に想いを抱えるなんて。もしや別れ際に放たれた “好きな人” って——……。
「お姉さん?」
すると、八の字に曲がった凛々しい眉が覗き込む。
「ごめんっ、……あの、もちろんよ!私が責任もって添削してあげるっ」
「はい。お願いします」
邪念を捨てて、薄い便箋を受け取る。下敷きの上で書いたのだと分かる滑らかな手触りに、瑞來らしさを噛み締めた。
しかし、裏返してみて、私は瞠目した。
「え…………?」
「どうかしました?」
見えない。初めて瑞來くんに会ったとき同じように、まるで靄でも掛かっているかのように、罫線の上に書かれた文字だけが見えないのだ。
「瑞來くん、あの、見えなくて」
正直に伝えると、え?と彼の手が伸びてくる。すぐ傍まで顔が近づいて、その距離と垣間見える下睫毛にドキドキしていると、指先が微かに触れ合った。
どれ、見せてください。俺は普通に見えますけど。と言いながら、私を覗き込む。
瞬間、白く光った。全身を眩い光に包まれて、ああ、またこれかと息を吐いた。
しかし、今回はどうしてか海に浮かんでいるかのように体も、心も穏やかで。視界は変わらず眩しいけれど、目蓋を閉じれば、暖かい何かに抱き締められているようだった。
「——……」
私は手に握ったままの便箋を、胸に当てる。
ごめんね、持ってきちゃった。……でもさ、もしかして。瑞來が書いたこの手紙が、いま私を包み込んでくれているのかな——。
次に辿り着いたのも、春だった。三度目の春だ。
外れ桜が風に揺れている。その景色まで同じだから、別の時間へトリップし損ねたのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
「また会いましたね、お姉さん」
「おう、会ったね、少年」
後ろから声を掛けられて振り返れば、前よりも背丈がぐんと伸びた瑞來くんが居て、
「会ったら訊きたかったんです」
「うん?」
「あなたは、タイムリーパーですか」
彼は、優しい稲妻を私に落とした。