図書委員の仕事の一つ、放課後の受付は当番制で、週ごとにローテーションでペアが決まる仕組みだった。一ヶ月前から瑞來との当番が待ち遠しくて、適度にサボろうと思っていた委員にも力が入った。
 でも、瑞來はその週の当番に来ず、代理を頼んでいた。その年、一人もインターハイに行けなかった陸上部では、スパルタメニューが課されていて、委員に顔を出す暇がなかったらしい。
 もちろん私も応援していたけれど、委員の帰りに寄った部室でボードゲームをする瑞來を見て、頭に血が上った。
 部活終わりの息抜きくらい普通だし、わざわざ部室を探りにいく彼女の方が迷惑極まりない。分かっていたはずなのに、また私だけか、と涙が溢れた。分かっていたはずなのに、心のなかでは瑞來を責め続けた。

 私はこんなに楽しみにしていたのに。
 ボードゲームをやる時間があったんなら、少しくらい顔出せたんじゃないの。
 瑞來にとって、私との時間ってそんなに優先順位の低いものなの?

 そう責め続けた。——きっと、タイミングも悪かった。

 当時の私の家では、出来の良い姉が製菓学校から良い成績を持ち帰ってきて、両親は「後継ぎがこんなに早く決まるなんて」と顔を綻ばせていた。私は家族のことが好きだったし、本心から笑っていたけれど、両親が放った言葉を思い出す度に夢は抉られた。

 —— 綺佐は、毎日髪の毛のアレンジとか頑張ってるし、美容師とかか? そうだ、スタイリストも合うかもしれない。

 毎日アレンジを頑張っていたのも、最先端を着飾っていたのも、瑞來の隣に居たかったからなのに。夢のためなんかじゃなかったのに。


「出来ないなら、始めっから委員なんて入らなきゃ良かったのに」

 部室を覗いた翌週、定例の委員会が終わった後、私は瑞來を咎めた。

「は?何だよ急に」

 タイミングが悪かったのは瑞來の方も、だ。ハードな部活のストレスが溜まっていたのだろうけど、迷惑そうに歪められた表情は、私の心を斬り付けた。

「……この前の当番、瑞來がサボったから私一人でやったんだよ」
「だから、サボりじゃなくて部活だって言ってあったろ。それに代理も立てたし……ああ、もういいよ、俺が悪かったよ」

 体はこちらに向いているのに、部室へ向けられる瑞來の意識に腹が立った。

「なに? もういいって」
「だから、俺が悪かったって言ってんだよ」
「私との当番が嫌なら、そう言えばいいのに」
「そんなこと言ってないだろ」
「だって、他の当番にはちゃんと来てるじゃん。どうしてっ、私のときだけ——」
「だから、タイミングが…………。分かったよ、次からはちゃんと行くから」

 だから、だから——そう切り出される度に、自分が物分かりの悪い不良品のような気がしてくる。惨めで、子どもで、情けない。
 その日は、涙で滲んだ視界のなかで瑞來の背中を見送った。

 約束通り、瑞來は次の当番から来るようになった。その頃にはさすがに喧嘩を引きずってはいなかったけど、図書室に訪れると、斬り付けられた心の傷が少し疼いた。

「中学のときもさ、図書委員やったよね。一緒に」
「あー……そうだったな」
「うん。そうだった」

 受付で並んで座っているだけで、大したことは話していなったと思う。
 でも、それだけで良かった。瑞來の部活の休みは少なくなっていたし、少しでも一緒にいる時間が増えるだけで良かった。

「ごめん。もう行かなきゃ」

 瑞來が、途中で当番を抜けざるを得ないこともあったけど、もう何も咎めなかった。

 —— もう少し一緒にいたい。

 そんな我が儘を言って、またああして、私だけが斬り付けられるのは嫌だった。

 でも、無防備なときに限って傷は抉られる。

 それは、久しぶりに瑞來の部屋を訪れたときだった。何をするでもなくベッドに寄りかかり、互いに別の漫画を読んで、たまに綺麗な横顔を盗み見た。
 こっち向かないかな。こっち向いたら、キスしてくれないかな。
 殊勝に思い伏せながら、活字を呑み込むだけの大きな瞳に落胆して、視線を戻すの繰り返し。でも、ひっそり瑞來が読み終わる瞬間を狙って、次の巻へ伸びる手を私は掴んだ。

「ね、天気いいしさ、ちょっと出ない?」

 出来るだけ愛想よく、可愛げのある声で放ったつもりだった。

「なんで?」

 しかし瑞來は微動だにせず、次の巻を手に取る。視線は私に向けられているけれど、意識はまたしても別のところにあるようで、虚しさが心を占めた。

「なんでって……」
「今日は勉強するって言ったの、綺佐だろ」

 勉強なんてもうやる気はないし、もうしてない。
 瑞來に会うための口実を下手に作ってしまった自分に、辟易した。同時に、ひやりとしたその瞳に脈が沈んだ。

「外に用事でもあんの?」

 訊かれて、喉が詰まる。何が詰まっているのか、そのときは分からなかった。