相馬くんは、登志也くんと真次郎くんの間に挟まれて固まっている。部室じゅうから集まる視線。でも、両腕をがっしりつかまれているから、逃げ出すこともできない。
 何も言えない相馬くんの代わりに、登志也くんが声を上げた。

「こいつ、相馬瑞己っていって、俺と真次郎の幼馴染みなんだ。帰宅部の一年生なんだけど、舞台に興味があるってんで連れてきた。打ち上げ、参加させてやってくれ」

 イケメン双璧と名高い二人の間にいて、相馬くんも全然、見劣りしない。スタイルがいい。顔はうつむきがちだけれど、その角度だと、まつげの長さやスッと通った鼻筋がかえって際立っている。

 部長がにこやかに言った。
「舞台に興味がある人なら誰でも大歓迎! 演劇部は毎日活動ってわけでもないし、兼部も自由。これを機に、気軽に入部してくれていいんだよ」

 真次郎くんが相馬くんの肩をぽんぽん叩いた。
「そういうことだ。おまえの事情に合わせて、俺や登志と同じように、公演前だけスポット参加する形でいい」

 瑞己くんは、ぷるぷると小刻みにかぶりを振った。
「……だけど、真くん、僕が人前で何かするなんて……」
「じゃあ、その手先の器用さを活かして裏方を手伝ってみろ。おまえ、高校では変わりたいと思ってるんだろ? できそうなところから挑戦しろ。文化祭公演までなら、俺も登志もついててやれる」

 ちょっと意外。マイペースでちょっと俺さま気質の真次郎くんがこんなに世話を焼くなんて。
 と思っていたら、真次郎くんにじろっとにらまれた。

「そよ。おまえ今、何か失礼なことを考えてただろ」
「え、別に。ただ、珍しいなーって思っただけで」
「何が珍しいんだ? ともかく、こいつは裏方志望だ。面倒見てやれ」

 真次郎くんは有無を言わせず相馬くんを引っ張って、わたしと友恵のところに連れてきた。
「本当に入部させちゃうの? 無理やりに見えるんだけど」
「気にするな。頼んだぞ」

 わたしに告げて、真次郎くんは登志也くんと一緒に、部長たちのところに行ってしまった。こちらには完全に背を向けている。
 取り残された相馬くんは、うつむいたまま固まっていた。

「あの、相馬くん?」
 呼びかけると、相馬くんは弾かれたように顔を上げて、真ん丸な目でわたしを見た。
「は、はいっ」
「とりあえず、演劇部へようこそ。公演の打ち上げって、だんだんテンションが上がって変なノリになっていくんだけど、びっくりしないでくださいね」

 相馬くんは目を見張ったまま、こくこくとうなずいた。
 友恵がわたしと相馬くんの顔を見比べて、にんまりした。

「ここは、そよちゃんに任せるね」
「えっ?」
「相馬は人としゃべるのが得意じゃなくて、女子は特に苦手なんだ。声が出なくなったり血の気が引いたりして、体がうまく使えなくなるんだなって、見ててハッキリわかる。一年生の間ではもう有名になってる話だよ。でも、そよちゃんの前では声が出てるよね、相馬?」

 女子としては背の高い友恵は、相馬くんと同じくらいだ。でも、背筋を伸ばして堂々とした友恵に対して、相馬くんはびくびくと身を縮めている。おかげで相馬くんのほうが小さく見えてしまう。
 確かに友恵はいかにも気が強そうだし、古武術を習っていて腕っぷしも強い。ちょっと弱気な男子が萎縮してしまうのは、よくあることではあるんだけど。
 相馬くんのおどおどした感じは、相手が友恵だからってだけじゃないみたい。ほかの一年女子や登志也くんが部長たちに説明する声が聞こえてくる。

「高校に上がってからは、普通の教室で授業を受けることもできている。ただ、人前に立つことや大勢が密集する集会、女子と一対一で話す場面で、めまいを起こして立てなくなったことがあった」

 まさに今も、相馬くんは唇が真っ白だ。すっかり血の気が引いている。このままじゃ倒れてしまいそう。
 友恵が丸椅子を二つ取ってきて、わたしのそばに置いた。

「ほら、二人とも座りなよ。そよちゃん、あとはよろしく」
 じゃあね、と手を振ると、友恵はみんなのところに行ってしまった。教室を二部屋ぶち抜きにした部室は広い。だから、本当に「行ってしまった」という感じ。わたしと相馬くんは、置いていかれてしまった。

 しょうがないな。
 わたしは笑顔をつくった。相馬くんは、すがりつくような目でわたしを見ていた。でも、目が合うと、うつむいてしまう。
 人に慣れてなくて震えてる子犬。友恵が相馬くんのことをそんなふうに表現していた。あれから三週間ほど経っているけれど、相変わらず相馬くんは臆病そうな子犬のままだ。

「ごめんね、相馬くん。うちの部員、ちょっと強引な人ばっかりで。でも、悪気はないんですよ。どうぞ座って」
 わたしが丸椅子に腰掛けると、相馬くんもおそるおそる続いた。隣り合うような、向かい合うような、斜めの位置だ。

「……僕こそ、ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「あの……皆本さんが言ったように、僕、人前で……特に女子の前で、ろくにしゃべれなくなるんで……」
「でも、わたしが相手なら、何となく平気なんでしょ?」

 相馬くんはうなずいた。
「自分でも、なぜだかわからないんですけど……すみません。勝手に、知り合いみたいな振る舞い方、しちゃって」
「謝らなくていいって。人と人の相性って、理屈じゃないんですよね。わたしはいろんな人と一緒に舞台をつくった経験があるんだけど、初めましての瞬間からなぜか馬が合うような不思議な出会いって、やっぱりあるんですよ」
 相馬くんにとってのわたしも、たぶんそういうことなんだろう。

 わたしは相馬くんの顔色を確認した。さっきよりは血の気が戻ってきているみたい。
 こうやってみると、相馬くんは本当にきれいな顔をしている。横顔というにはやや斜めの角度。うつむきがちなせいで顔に影ができていて、大人っぽく見える。

 わたしは改めて、相馬くんに告げた。
「舞台、観に来てくれてありがとうございました。演劇に興味を持ってくれたんですか?」

 相馬くんは、両手をギュッと握り合わせた。
「す、すごくよかったです、舞台。『儚き君と、あの日の続きを』……きれいな物語、だと思いました。先輩が台本を書いたんですよね?」
「一応ね。でも、みんなで話し合ってつくり上げたんですよ」
「みんなで、ですか?」
「そう。わたしひとりの視点では気づかなかったことを、たくさん指摘してもらいました。特に登志也くんや真次郎くん、頼りになるんですよ」

 相馬くんがちょっと視線を上げて、かすかに笑った。
「あの二人、ズバッと言うでしょう?」
 わたしも笑った。
「うん、本当にズバッと言うよね。でも、それがありがたい」

「怖くないですか?」
「それはないかな。あの二人とは、小学校の頃からよく知ってるんです。二人とも口が悪いところはあるけど、根はまじめで、演劇が本当に大好きなんです。だから、厳しいことを言われても怖くはないですよ。相馬くんは、あの二人のこと、怖い?」

 相馬くんはチラッと、登志也くんと真次郎くんのほうを見た。内緒話みたいにこっそり言う。
「僕は、物心ついた頃にはもう、あの二人に面倒を見てもらっていて、昔はよく泣かされていました」
「いじめられちゃった?」
「い、いえ、僕が勝手に怖がってただけです。子供の頃の二歳差は大きいし、あの二人、めちゃくちゃ賢いじゃないですか。プレッシャーがすごくて……」

「プレッシャーを感じるのはよくわかる。子供の頃からあの二人と仲がよかったって、どういうつながりなんですか?」
「えっと……個別指導塾つながりって言えばいいかな」
「あの二人が子供の頃から行ってる塾って、わたしも知ってます。小さな塾で、選ばれた精鋭みたいな人しかいなくて、ものすごく偏差値が高いんでしょう?」

 そこの塾長さんのことは、わたしも知っている。町の名士として有名で、市民ミュージカルの稽古のときにも差し入れをくださるんだ。それこそミュージカルの世界から飛び出してきたかのような男装の麗人で、大きな病院を経営している一族の人だ。

 相馬くんは気まずそうに視線をさまよわせた。
「今は個別指導塾なんですけど、もとは違うんです。託児所というか、放課後児童クラブというか。塾長先生と、うちの父と、登志くんや真くんの親と、医学部の学生時代からの付き合いがあるらしくて……」
「へえ、親の代からの付き合いなんだ」
「はい。それで、登志くんや真くんが赤ちゃんの頃、保育園をどうしようって話が上がったとき、塾長先生がつくったそうです。それがそのまま、僕たちの年齢が上がったら放課後児童クラブになって、今は個別指導塾です」

「すごい。豪快な解決方法ですね。ああ、そっか。登志也くんのご両親は、塾長さんの系列の病院に勤めてるんだ。真次郎くんのところは個人のクリニックだけど。相馬くんのお父さんもお医者さんなんですか?」
「ええと、父も病院勤めですけど、臨床検査技師で、患者さんじゃなくてサンプルが相手の仕事です。父も僕と同じで、人と接するのが昔からうまくないらしくて……」

 人と接するのがうまくない。そうは言うものの、相馬くんの口調は少しずつ冷静になってきている。わたしと話をすることに、だんだん慣れてきたみたい。
 顔も姿もよくて、どうやら頭もよくて、親御さんが医療系のお仕事をしている。同じような条件で育ったはずの登志也くんと真次郎くんは、ふてぶてしいほど堂々としている。
 それだというのに、相馬くんがこんなに気弱な様子なのは、過去に一体何があったんだろう?
 理由や事情が気になる。でも、下手に踏み込んだら、きっと傷つけてしまう。
 わたしは好奇心を抑えて、話を切り換えた。

「今、相馬くんは帰宅部なんですよね?」
「はい。学校に慣れるまでは、と思って」
「そっか。演劇部に入るのは難しい? 無理は言いません。でも、公演の準備や稽古にかからない時期は活動がないし、部活の中ではけっこう気楽なほうだと思いますよ」

 相馬くんは、握り合わせた手をそろそろとほどいた。
「自由な部だっていう話は、登志くんからもしょっちゅう聞いてます。僕、中学でも部活に入ってなくて、それを心配した登志くんが毎晩一緒にランニングしてくれてるんです。雨の日は一緒にジムに。それで、演劇部の話も聞いてて」
「登志也くんが毎晩必ず走ってるのは知ってるけど、相馬くんと一緒だったんだ。あの登志也くんのランニングについていけるって、足が速いんだね」
「必死でついていってるだけですよ。ついていかないと、知らない場所で置いていかれますから」
「ああ、登志也くんらしい。やることなすこと、かなり無茶苦茶だよね」

 わたしが嘆いてみせると、相馬くんは、ふわっと柔らかく笑った。今日、この部室に入ってからいちばんの笑顔だ。
 チラチラと、さっきから、登志也くんや真次郎くんがこちらの様子をうかがっている。相馬くんは二人に背中を向ける角度だから、きっと気づいていない。
 あの二人にとって、相馬くんは大事な弟みたいなものなんだろうな。人と話すことに難しさを感じてしまう相馬くんを、演劇部に引き込んで大丈夫かどうか、二人で作戦を練っていたのかもしれない。一応ゴーサインを出したものの、やっぱり心配なんだ。
 大丈夫な気がするよ、と、わたしは目顔で二人にメッセージを送ってみる。相馬くん、少しだけど、肩の力が抜けてきてるよ。

「ねえ、相馬くん。次の公演は八月と九月にあって、七月に準備に入るまでは、部としての活動はのんびりなんです。だから、七月頃にまた声を掛けさせてもらっていいですか?」
 相馬くんは、うつむきがちな顔を上げて、わたしを見つめた。光を映し込んだ目がきらきらしている。
「お願いします。やってみたい気持ちはあるんです。本当は、登志くんや真くんがやってた市民ミュージカルも興味がありました。でも、今年は参加しようと思っていた年に、僕、こんなふうになってしまって……だけど、だから、高校では、挑戦したいです」

 わたしは嬉しくなった。
 自分の好きなことに興味を持ってもらえていた。一緒にやってみたいと言ってもらえた。それって、胸がじんと熱くなって鼓動が高鳴ってしまうくらい、嬉しいことなんだ。

「よかった。歓迎します。裏方志望ですよね?」
「はい」
「助かります。裏方、いつも人手が足りなくて困ってるんです。次の公演の準備を始める時期には必ず声を掛けるから、連絡先、教えてもらえますか?」

 サラッと事務的に言ったつもりだ。スタッフの連絡先を把握するって、必要なことだから。
 それだというのに、スマホをポケットから取り出す手がちょっと震えてしまった。ああもう、どうして変に意識してしまうんだろう? 相馬くんにちょっかいを出したら、わたし、きっと登志也くんと真次郎くんに締め上げられるよ。
 相馬くんもスマホを取り出した。わたしの手元を見て、あ、と声をもらす。

「スマホカバー、同じですね」
「え? あ、ほんとだ。春休みのバザーで買ったんですよ。凝ってるけど、手作りなんだって」
 濃い青から淡い青までのグラデーションに、縁起がいいとされる和の模様、青海波が白で描かれている。
「先輩もバザーで?」
「うん。色がきれいで一目惚れ。相馬くんもバザーに行ったって言ってましたよね」

 相馬くんが小さく笑い声を立てた。
「バザー、行きました。このスマホカバーを作っている人は、塾長先生の知り合いだから、紹介してもらったんです。SNSでも人気がある人で、アサスケさんっていって、物静かな人でした」
「クリエイターさんは、男の人?」
「はい。人前に出るのは苦手だって言って、売り子は奥さんに任せて、本人はテントの奥に隠れていたんです。塾長先生に呼び出されて、ようやく表に出てきて、たじたじになっていて。親近感がわきました」

 相馬くんは、くすぐったそうに笑っている。笑ったその顔から、わたしは目が離せない。
 胸の中で、しゅわしゅわと、炭酸の泡が弾ける。そんな心地。

 いきなり、登志也くんのよく通る声が、わたしと相馬くんを呼んだ。
「そよ、瑞己! ファンからの差し入れだとよ。ほら、ジュース受け取れ!」

 登志也くんが、ぽいとペットボトルを放った。
 ペットボトルはくるくる回転しながら、ゆったりとした放物線を描いて、わたしめがけて飛んでくる。
「ちょ、え、え?」
 運動神経抜群の登志也くんはコントロールも完璧で、わたしが素直に手を出せば、そこにペットボトルが落ちてくるはずだった。
 でも、こんないきなりじゃ慌てるでしょ? しかも片手はスマホでふさがっている。

 ……気づいてしまった。
 デジャ・ヴだ。わたし、この瞬間を知っている。
 夢に見たんだ。
 わたしは今からペットボトルを取り落とす。

 案の定だ。あせってしまったわたしの手指は、ペットボトルを弾いてしまう。
 あ……、と声が出たかもしれない。
 でも、その瞬間。

 サッと、相馬くんが動いた。

 椅子から離れて、わたしのそばにひざまずく格好で、伸ばした左手でペットボトルが床に落ちる前につかまえていた。
 相馬くんが微笑んだ。

「落ちなくてよかった」
 ほっとしたようなその顔は、少し大人びて見えた。
「あ、ありがとう」
「どうぞ」

 差し出されるペットボトルを受け取りながら、わたしは、頬のほてりを感じていた。困ったな。震える小犬状態を脱したら、相馬くんって、本当にカッコいいんだ。
 登志也くんが相馬くんに何か言いながらペットボトルをまた放って、相馬くんは危なげなく受け止めた。

「食べ物や飲み物は投げちゃダメだよ、登志くん」

 やんわりと、相馬くんが登志也くんをとがめた。小声だったから、わーわー騒ぐ登志也くんの耳には届かなかっただろうけれど。
 丸椅子に座り直した相馬くんに、わたしは改めてお礼を言った。

「ペットボトル、キャッチしてくれてありがとう。今の場面、夢で確かに見たんです。飛んでくるペットボトルを見た瞬間に思い出したんだけど。夢の中では、わたし、ペットボトルを落としたんですよね」
「落としたり壊したりっていう、あの予知夢ですよね?」
「そう。でも、また相馬くんにフォローしてもらっちゃった。ありがとうございます」

 相馬くんは、白い歯をのぞかせて笑った。
「お役に立ててよかったです。舞台の裏方でも、うまく使ってください。僕、わりと器用なほうなので」
 そう言った相馬くんは、ぱぱっとスマホを操作して、連絡先のIDを表示してくれた。
 連絡先を交換する。

 相馬瑞己。

 メッセージアプリの友だち一覧に加わったその名前は、文字の群れから一つだけ離れて、くっきりと浮かび上がってくるみたいに思えた。

***