ゴールデンウィーク直前の土曜日。
 我らが演劇部のわかば本編公演が市民ホールで上演された。
 ホールはお客さんで満席。立ち見も出たみたい。

 反響も上々だった。
 万雷の拍手というものを久しぶりに体感した。「うちの町の子たちは頑張ってるねぇ」みたいな、お義理の拍手ではなかったんだ。市民ミュージカルで知り合った大学生からも「大学演劇のコンクールで健闘できるレベルだよ!」と言ってもらえた。
 アンケートでは「脚本がよかった」という、ありがたい声をいっぱいいただいた。脚本担当としてクレジットされているのはわたしだから、わたしの名前も挙げていただいていたんだけど。

「何だか後ろめたいな。わたしひとりの力じゃないんだもん」

 部室で一人、わたしはつい声を上げてしまった。
 裏方のわたしは、大道具と一緒に顧問の先生の車に積まれて、一足先に部室に戻ってきたところだ。片づけられるものは片づけてしまった。ほかの部員が戻るのを待ちながらアンケート用紙をパラパラしてみたら、脚本を誉める文章が目に入ってきたというわけ。

 でも、買いかぶりなんだよね。
 わたしがいったん台本を仕上げた後も、結局は部員一同、本番ギリギリまで意見を出し合って演出に手を加え続けた。台詞をごっそり変えたところだってある。全員の台本が書き込みだらけになった。
 あんなふうに、台本がわたしひとりの手を離れて座組全員のものになっていくと、わたしはほっとする。

 最初にみんなの前に台本を出すときがいちばん恥ずかしいし、怖いんだ。わたしひとりが自分の中身を見せることになるから。
 その後、ほかのみんなもどんどん自分の中身をさらけ出しながら、演技をしたり台本に手を加えたりしていく。そうするうちに、恥ずかしさも怖さも消えてしまう。

「今回は特に、最初がきつかったなぁ」

 しみじみとつぶやく。
 何せ、いちばん初めに見せたのが、台本じゃなくて小説だったんだから。わたし、小説は一本しか書いた経験がない。その唯一の小説の一部を見せたわけで。
 部員一同の返事を待つ間の気まずさと居たたまれなさを、まざまざと思い返すことができる。

「終わりよければすべてよし!」

 わたしは声に出して宣言した。思い返すのも、もうやめよう。
 紆余曲折あったけれど、わかば公演は大成功だったんだ。
 ほどなくして、部員がぞろぞろと部室に戻ってきた。車で運びきれなかった小道具や工具なんかをそれぞれ抱えている。「お疲れー」と言いながら部室に入ってきては、手にしたものをパパッと棚にしまっていく。
 まだ帰ってきていないメンバーは買い出し班だ。これから部室で開く打ち上げのために、お菓子やジュースを買いに行っている。

「みんな、お疲れさまです。お客さんに書いてもらったアンケートはここだよ」

 わたしがアンケート用紙の束をバサバサやると、先輩たちがこっちにやって来た。わたしはもう目を通したから、部長にアンケート用紙を渡して、衣装の片づけに加わる。
 一緒に裏方をやっていた友恵が、わたしに言った。

「アンケート、脚本のこと書かれてたでしょ?」
「うん。見たの?」
「いや、客席にいた友達からのメッセージでね、『脚本にめちゃくちゃ感動した。アンケートにも書いたよ』って」
「わぁぁ、ありがたいけど申し訳ない。わたしが一人で書き上げたわけじゃないのに」
「それでも、そよちゃんの原案があったから、ちゃんと仕上がったんだよ。わかば公演『(はかな)き君と、あの日の続きを』、いろんな人に刺さるロマンスになったよね」
「ありがとう。恋愛もの書くの苦手すぎて、いっぱい足を引っ張ったけど、みんなのおかげで形になりました」

 でも、と友恵はわたしに耳打ちした。
「あんなに大事にしてた運命の恋人たちの夢、こんな形でお客さんに公開しちゃってよかったの?」

 夢を記録するところから、あの小説は生まれた。
 それを打ち明けた相手は、今までたった二人。大叔母と友恵だ。
 なのに今回、こうして舞台にした。原案の小説の明治時代編をまず何人かの先輩に読んでもらって、OKをもらってから台本にして、演劇という形で部員全員と共有して、短編公演は新入生の前で、本編公演は市民ホールいっぱいのお客さんの前で披露した。

「たぶん、これでよかったんだと思う。自分でも不思議だけどね。このタイミングで見てもらわなきゃいけない気がしたんだ」
「見てもらう? 誰に?」
「わからない。でも、舞台作品との巡り合わせって、そういうものじゃない? ああいうきっかけだったからあの台本が書けたとか、そのタイミングだったから観劇した作品がめちゃくちゃ刺さったとか。理屈で説明できない何かが、よくあるでしょ?」

 友恵は肩をすくめた。
「そういう論法でいくなら、今回の舞台は、そよちゃんの運命の恋人が観に来るからってことになるよね」
「う、運命の恋人って、何それ? 何度も言ってるけど、あの夢の続きが今の自分だなんて、わたし、思ってないよ」
「いや、あんな夢をずっと見ていながら無関係です傍観者ですって、それは無理がある気がするんだけど」
「だけど、夢を見たせいで泣きながら起きるとか、そういう感じじゃないんだよ。わたし、舞台でも本でも、感情移入したらすぐ泣くでしょ。あの夢はもっと遠いっていうか、他人事の距離感っていうか」

 いや、もしかしたら、心を鈍らせることを無意識に選んでいるのかもしれない。
 だって、あれだけくり返し見る夢に毎度泣かされていたら、心がすり減ってしまいそうだ。眠るのが怖くなる。夜、眠りにつくたびに、最愛の人との死別を体験することになるかもしれないなんて。

「他人事の距離感ねぇ。そよちゃん、夢の中では神の視点なの?」
「うーん……場面によるかな」
「少なくとも小説に書き起こしてあるのは、彼女視点だよね?」
「まあ、明治の話は、確かにそうなんだけど」

 台本では、そのへんの視点のブレや制約に関しても修正が入った。彼の役を務める先輩が「演じていて違和感があるんだが、男が本音を語りすぎじゃないか?」って言い出したんだ。
 改めて見直してみたら、確かにそうだった。
 物語の主軸は彼女で、お客さんと視点を共有するのも彼女のほうだ。彼は、彼女にとってどことなくミステリアスな存在のはずなのに、彼が台詞で語りすぎたらバランスが成り立たない。
 でも、それなら彼の心情や立場をどう説明しようか? それをクリアするために新たな工夫が必要になって、全員で意見を出し合った。
 そんなふうに、演じながら鋭い指摘をズバズバ入れてくれる仲間たちだから、とても信頼できる。わたしが頭の中でこね回すばかりだった物語が、頼もしい仲間たちの実演と分析を経て、どんどん鮮やかな姿を得ていった。

 ふと。
 ひときわにぎやかな声が部室の出入口から響いてきた。

「主役は遅れてやって来る、なんてな! 待たせてすまねえな、皆の衆!」

 よく通る声の持ち主は、()()()くんだ。普段から舞台用の声の張り方をしてるんじゃないかってくらい、本当に声が大きい。
 登志也くんの隣で、(しん)()(ろう)くんがしかめっ面をしている。

「耳元で叫ぶな。うるさい」

 そりゃね、肩を組まれた状態で登志也くんの大声を聞かされたら、耳がキンとするよね。
 ()(じょう)登志也くんと(あら)(まき)真次郎くんは、わたしより一学年上の先輩だ。でも、「先輩」じゃなく「くん」づけで呼んでいるのは、二人が市民ミュージカル時代からの演劇仲間だから。
 二人が並んで立つと、とにかく華がある。子供の頃から見慣れたわたしの目にも、登志也くんと真次郎くんがイケメンなのはよくわかる。しかも二人ともすさまじく勉強ができる。

 登志也くんは、目が大きくて眉がくっきりした、彫りの深い顔立ちだ。勉強の成績だけじゃなく、運動神経も抜群で、演劇部随一のアクションスター。ただし、元気がよすぎるというか、落ち着きがないというか、もはや小学生男子みたいというか。
 真次郎くんは切れ長な目が涼しげで色白、薄い唇の赤さが色っぽい。演劇部と科学部を掛け持ちしていて、ものすごい論文を書いたりもしている。でも、常に眉間にしわを寄せていて、言葉の切れ味が鋭すぎるし、ひたすら無愛想で偏屈だ。

「役を演じてる間は、二人ともあんなに健気な雰囲気だったのにな」
 わたしが思わずため息をつくと、友恵も深くうなずいた。
「登志也くんの演技、透明感があるんだよね。儚い役もうまかった。真次郎くんは笑顔に気品があって、今回はまさに貴公子だった。なのに、役を離れたらこれだもんね」
「顔と頭はいいけど、残念なイケメンに分類されるやつ」
「そう、それ。舞台上の姿を鑑賞するだけっていうのが、あの二人の正しい使用法だと思う」

 真次郎くんが登志也くんの腕を払いのけながら、廊下のほうを振り向いた。
「おい、そんなところにいてどうする? さっさと来い」
 誰かそこにいるみたい。

「で、でも、やっぱり僕は……」

 聞こえるかどうかの小声を、わたしの耳はしっかり拾った。
 ドキッとした。
 そう何度も聞いたわけではないけれど、わかる。覚えている。
 いや、でもそんな、まさか。

「いいから来い!」
 真次郎くんが腕を伸ばし、ぐいっと、その人を引き寄せた。
 やっぱり、そうだった。

「相馬、(みず)()くん」

***