これは、わたしがいつも見る夢。
 幼い頃からくり返し、何度も見てきた夢の物語。
 主人公は、運命の二人。
 生まれ変わって何度も巡り会いながら、結ばれることのない二人だ。

 初めは、バラバラの物語だと思っていた。何組もの、報われない恋人たちなのだと。
 ひとつながりの物語だと気づいたのは、小学三年生のときだ。
 市民ミュージカルで、小梅ヶ原市の歴史をテーマにした作品をやった。そのとき、初めて意識したんだ。
 この世に時代の流れというものがあるんだってこと。
 わたしが生きている「今」という時代は、過去の歴史の積み重ねの上に存在しているんだってこと。

 過去は、忘れ去られたり記録されたりしながら、今につながっている。
 もしかしたらわたしが夢に見るあの二人の物語は、まったく別々の二人なのではなくて、あらゆる時代を生きる、同じ二人なんじゃないか。そんな気がした。
 この直感は、きっと間違っていない。根拠なんてないけれど。

 小学六年生の社会で日本の歴史を習って、中学でも歴史の授業があって、ふと気になったことを図書館で調べてみたりもした。そうやって勉強していくうちに、二人の時代背景が見えるようになった。
 髪型や着物、洋服の形や、町の様子。
 やっぱりそうだった。二人は、いろんな時代を生きている。時代の流れに翻弄されながら、生まれ変わってはすれ違って、恋はいつも悲劇に終わる。そしてまた生まれ変わって……。

 どうしてわたしがこんな夢を見るんだろう?
 もしかして、わたしがこの二人のどちらかだというの?
 まさか、と否定した。
 だって、恋をしている自分なんて、少しも想像できない。それに、もしもわたしがあの夢の続きを生きているのだとしたら、運命の恋人と出会ったとしても、結局は悲劇に終わるんでしょう?
 そんな恋なら、したくない。わたしは恋がわからないままでいい。

 でも、儚い運命を背負う二人の姿にどうしようもなく惹きつけられるのもまた事実だった。
 だから、わたしはその夢の物語をノートに書きつけていた。書き始めたのは、まだ歴史の勉強を始める前の、小学五年生の頃。
 初めはへたくそな日記に過ぎなかったそれも、繰り返し書いているうちに、だんだん形が整っていった。「小説」と呼べるようになっていったんだ。

   *

 これは、わたしが見る「運命の恋人たちの夢」だ。
 転生をくり返す、叶わない恋の物語。

   *

 二人が初めて出会ったのは、江戸時代。現代から数えて、約二百年もの昔。
 彼女は不治の病をわずらっていた。彼は若い医者だった。
 江戸の町の外れにある療養所で、彼女は最期のときを待つ身だった。
 もちろん彼は、どうにかして彼女の病を治そうと試みた。でも、彼の懸命な看病もむなしく、彼女は息を引き取ってしまった。

 ほんの五ヶ月、そばにいただけだった。想いを伝え合うどころか、その感情が何なのかさえ、答えを探せないままの関係。
 彼女が残した手紙には「生まれ変わって、また出会えたら、お話ししたいことがあります」とだけ書かれていた。

 遺された彼は、優しい笑顔の下に悲しみを隠して、独りで歳を重ねていった。やがて、時代は幕末の動乱へ。
 彼は、幕府の政治を批判したと噂され、禁書を隠し持っているという罪で、牢に入れられた。
 優しさと辛抱強さは牢の中でも変わることなく、彼は、流行り病で苦しむ囚人たちの手当てに奔走した。その病が彼にもうつって、暗い牢の中でひっそりと死んでしまった。

   *

 時が流れた。
 おそらく、半世紀ほどの時が。

   *

 明治時代の終わり近く。
 文明開化と盛んに謳われていたのも、一世代前のこと。
 貿易で栄える横浜の、成功した商家の息子と、どうにか体面を保っている下級華族の娘がいた。
 二人は許嫁(いいなずけ)同士だった。

 むろん、政略結婚だ。成り上がりと後ろ指差される商家は、由緒ある華族と親戚になりたかった。名ばかり立派な華族は、経済的援助をしてくれる商家と親しくしておきたかった。
 婚約当初はそんなふうだったけれど、実のところ、とてもうまくいっていた。許嫁同士の二人は互いを想い合っていて、両家の間を上手に取り持った。二人にとっても両家にとっても幸せな結婚が約束されているかに思えた。

 でも、大学に通う彼が血を吐いて倒れたことで、状況は一変。彼は結核をわずらっていた。その当時、結核を治療するための薬はまだ存在しなかった。
 不治の病である結核の患者は、人里離れたサナトリウムで過ごすことになる。彼は半年ほどサナトリウムで暮らしていたけれど、儚く逝った。彼を看取った彼女は病気がちになって、ほんの一年のうちに命を落とした。
 明治という、まだまだ古風で厳格な時代だったから、二人は手をつないだことさえなかった。

   *

 また、時が流れる。
 明治の終わりから数えて、三十年余りが過ぎた。

   *

 戦時中だった。
 太平洋戦争の終盤。
 軍は、日本の旗色が悪いのを隠している。けれど、父も兄も親戚も、男たちが次々と南方や満州へ送られて手紙ひとつ届かないとあっては、残された女たちが希望なんて持てるはずもない。
 彼女は女学生だった。『源氏物語』や『紅楼夢』のような恋物語が大好きだった。現代語訳されたものだけでは飽き足らず、くずし字で書かれた古文や、漢字で綴られた白話小説を読めるようになりたかった。
 だから、学び続けたいという夢を抱いていた。お嫁にも行かず女学校に残ってずっと学んでいられたら、と。

 彼女の夢は、戦争のせいで砕かれた。
 まだ中等学校の途中だというのに、その春からすべての授業がなくなって、隣町の飛行機工場に働きに行くことが決まったのだ。
 女学校のみんなと一緒だから、まだよかった。仕事でやけどをすることも、粗末な食事しか出ないことも、毎日のように空襲に見舞われることも、何とか耐えられた。
 当然ながら、恋にうつつを抜かしていられる状況ではなかった。
 でも、彼女は出会ってしまった。

 彼は、まわりの工員からも一目置かれる設計士だった。工場での立場はずっと上なのに、工員や女学生に交じって、遅れがちな作業のために手を動かしてくれる人。
 女学生たちがまとめて叱られて落ち込んでいたとき、彼はどこからともなく国語の教科書を調達してきて、授業をしてくれた。聞けば、大学では工学を勉強していたけれど、本当は国文学の研究をしてみたかったらしい。
 楽しそうに和歌の解説をする彼に、女学生たちはみんな憧れたけれど、彼女の想いは特別だった。
 どう説明しようもないけれど、彼女にはわかってしまったんだ。ずっと巡り会いたかったあの人だ、と。

 それからほどなくして、彼のもとに赤紙が届いた。彼は出征してしまい、二度と帰らなかった。
 彼女もまた、激しさを増す空襲の犠牲になった。
 季節が一つ巡って、晩夏。
 戦争が終わった。

   *

 そしてまた、時が流れる。
 戦争の足音はすっかり遠のいて、町の様子もだんだん現代に近くなってきた頃だ。

   *

 彼女は恋をしていた。友達にすら明かしたことのない、秘めた恋だ。
 図書館で見かける彼を、いつしか目で追うようになっていた。彼と目が合うこともあった。そんなとき、彼はほんの少し口元を微笑ませて、かすかに頭を下げてくれる。
 たったそれだけ。言葉も交わさないし、名前も知らない。
 わかるのは、彼が近所の男子校に通っているということ。中高一貫の進学校だ。同い年くらいに見えるが、本当は年上かもしれないし、年下かもしれない。

 話しかけてみる勇気などなかった。彼が返却するところを見た本を、こっそり借りるのが精いっぱい。坂口安吾や安部公房といった、少し難しい純文学ばかりだ。彼が読んでいるからという理由がなければ、きっと手に取ることもなかっただろう。
 渡せない手紙を、いつも革のカバンの奥に隠していた。何通も書いて、そのたびに、ただしまい込んで。

 彼は、あるときからふっつりと図書館に来なくなった。
 交通事故だったと、ずいぶん後になって、司書さんから聞かされた。顔なじみの司書さんは、何となく会釈を交わす彼と彼女を知り合いだと思っていたらしい。
 彼女は後悔した。どうして勇気を出して手紙を渡さなかったんだろう?
 二度と会えなくなる日がこんなに早く来るなんて、思ってもいなかった。
 彼女の心に突き刺さった後悔は、一生、どうしても消えなかった。

   *

 明かせなかった恋の痛みを感じたまま大人になった彼女は、ひょっとしたら、わたしの大叔母だったのかもしれない。
 大叔母は、父方の祖母の妹だ。おしゃれで博識なレディだった。ずっと独身だったらしい。大人になったら誰もが結婚するのだと思っていた幼いわたしに、大叔母は「世の中には、いろんな価値観を持つ人がいるのよ」と教えてくれた。
 わたしは、背筋を伸ばして生きている大叔母のことが好きだった。
 その大叔母が亡くなって、もう三年になる。

 大叔母は、わたしにとって人生でいちばん初めの読者だった。わたしの書いたものを読んでもらっていたんだ。くり返し見ているあの夢の物語も、背伸びして書いてみた舞台の台本も。
 自分の書いた物語を読んでもらうというのは、心の内側にある情景を見せるということだ。
 それは、秘密を明かすことにも似ている。
 だから、大叔母も教えてくれたんだ。わたしは運命の人に手紙を渡しそびれたのよ、と。

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