休み時間は残り5分を切っていた。でも、私には行かないといけない場所がある。
私に答えを導き出してくれた彼の元へ。まだ屋上にいる保証はない。なにせ、未だに空からは大粒の雨が降り注いでいるのだから。
廊下の窓には無数の水滴が、何度も何度も窓を打ち付けている。
屋上からどこかに避難していてほしいと願う気持ちと、まだ屋上で待っていてほしいという願いが交差する。
湿気のせいで、朝時間をかけてクルッとアイロンで巻いてきた前髪は、おでこにピッタリと張り付いてしまった。
走っていることもあり、余計におでこに張り付いて気持ちが悪い。湿気なのか、汗なのか区別すらつかない。
目の前に11段の階段が見えてくる。ここを登れば屋上は目前。
1段1段踏み外さないように、慎重に駆け上がっていく。ギィィィィと重たそうな音をたて、開かれていく扉。
雨は止んでいた。雲の隙間から覗かせる太陽の光に照らされた彼が、1人寂しく濡れた制服に身を包み立っていた。
「意外と早かったね・・・戻ってくると思わなかったよ」
「ほんっと君こそ、何してるのよ」
彼の行動に呆れつつ、内心喜んでしまっている自分が隠し切れない。
表情には出していないが、微かに声のトーンが1オクターブ上がった気がした。
「おかえり。ところで、君のドッペルゲンガーは消えたのかい?」
「ドッペルゲンガー?」
「正確には、もう1人の自分は視えなくなったの?」
あぁ、そういうことか。もう1人の自分。所謂、ドッペルゲンガーと彼は表現したのか。実にわかりやすく、非現実的で彼らしい回答。
「うん。先輩だった。私の姿なんて初めからいなかったのようにスッキリとね」
「それはよかったよ。卒業おめでとう。これで、過去の自分とはおさらばだ!」
「ありがとね。染井くんのおかげで、本来の私の気持ちを取り戻せた。それに、これからも悠とは仲の良い幼馴染としてやっていけそう!私がもう1度ここに来たのは、このことを報告するためと君の答えを聞いていないから」
「答え?」
なんのことか理解していない彼。他人のことには敏感なくせに、自分の話したことは忘れてしまっている様子。
ちょっとずるくて可愛らしい。
「なんで私が『大切な人』なの?」
思い出したかのように、顔に緊張感が走る彼。余裕そうだった柔らかな表情が一転して、ガチガチに固まっていく。
「そ、それはまた今度ではダメだろうか・・・」
「だ〜め!!!」
「わ、わかったよ」
観念したらしく、話す気になったらしい。依然として、緊張感は隠しきれていない。
初めて目にする彼の表情に、思わず笑みが溢れてしまう。
「君・・・梓さんが僕の絵を唯一褒めてくれたから。隣の席になったあの日、僕の絵を見て梓さんが『現代のピカソじゃん!』って言ってくれたのが、僕は嬉しかった。僕の絵は誰にも理解されなかったから。昔のピカソのようにね。でも、梓さんだけは僕の絵を見て、才能を認めてくれた唯一の人だった。僕の好きなことを否定せず、純粋に褒めてくれたのは君だけだったんだ。それ以来、僕は自信が持てなかった自分の絵に、自信を持てるようになったんだ」
私はどうやら、『現代版のピカソ』だと口出していたらしい。恥ずかしい反面、それが彼の助けになったのなら結果的にはよかったのかもしれない。
「私は今でも、染井くんの絵はすごいと思ってるよ。あ、じゃあ。私は染井くんのファン1号だね! 頼むから有名な画家になってよ!そしたら、私も自慢できるからさ」
「梓さんの期待に応えられるよう頑張ってみるつもりではいるよ。だからさ・・・その・・・」
なぜか、言葉が濁り始める彼。滴る黒い髪の毛の先端から雫がポタポタと地に落ちてゆく。
「うん?」
「これからは、思い出という絵を僕と一緒に描いていきませんか・・・」
「え・・・あっはははは!何そのセリフくさいよ。でも、染井くんらしいね」
「そ、それで答えの方は?」
「んー、考えておくね!」
「そ、そんな〜」
あからさまにがっかりしている君に意地悪しちゃった。本当は気持ちが傾き始めているなんて、今は恥ずかしくて言えないからね。だから、もう少しだけ待っていてほしいな。
先ほどまでの雨が嘘だったかのように、雲は徐々に私たちから遠ざかり、青一色に染まる空が頭上を満遍なく占めていた。
まるで、真っ青なキャンバスに白い絵の具を点々と垂らしたかのような美しい景色。
私の門出を祝ってくれている眺め。次この景色を見ることができるのは、滅多にないかもしれない。
今日、私は過去の自分を卒業したんだ。そして、明日からは新たな1ページが描かれようとしている。
もちろん、悠や北見先輩。そして、現代のピカソくんと一緒に進む未来への思い出に向かって。
私に答えを導き出してくれた彼の元へ。まだ屋上にいる保証はない。なにせ、未だに空からは大粒の雨が降り注いでいるのだから。
廊下の窓には無数の水滴が、何度も何度も窓を打ち付けている。
屋上からどこかに避難していてほしいと願う気持ちと、まだ屋上で待っていてほしいという願いが交差する。
湿気のせいで、朝時間をかけてクルッとアイロンで巻いてきた前髪は、おでこにピッタリと張り付いてしまった。
走っていることもあり、余計におでこに張り付いて気持ちが悪い。湿気なのか、汗なのか区別すらつかない。
目の前に11段の階段が見えてくる。ここを登れば屋上は目前。
1段1段踏み外さないように、慎重に駆け上がっていく。ギィィィィと重たそうな音をたて、開かれていく扉。
雨は止んでいた。雲の隙間から覗かせる太陽の光に照らされた彼が、1人寂しく濡れた制服に身を包み立っていた。
「意外と早かったね・・・戻ってくると思わなかったよ」
「ほんっと君こそ、何してるのよ」
彼の行動に呆れつつ、内心喜んでしまっている自分が隠し切れない。
表情には出していないが、微かに声のトーンが1オクターブ上がった気がした。
「おかえり。ところで、君のドッペルゲンガーは消えたのかい?」
「ドッペルゲンガー?」
「正確には、もう1人の自分は視えなくなったの?」
あぁ、そういうことか。もう1人の自分。所謂、ドッペルゲンガーと彼は表現したのか。実にわかりやすく、非現実的で彼らしい回答。
「うん。先輩だった。私の姿なんて初めからいなかったのようにスッキリとね」
「それはよかったよ。卒業おめでとう。これで、過去の自分とはおさらばだ!」
「ありがとね。染井くんのおかげで、本来の私の気持ちを取り戻せた。それに、これからも悠とは仲の良い幼馴染としてやっていけそう!私がもう1度ここに来たのは、このことを報告するためと君の答えを聞いていないから」
「答え?」
なんのことか理解していない彼。他人のことには敏感なくせに、自分の話したことは忘れてしまっている様子。
ちょっとずるくて可愛らしい。
「なんで私が『大切な人』なの?」
思い出したかのように、顔に緊張感が走る彼。余裕そうだった柔らかな表情が一転して、ガチガチに固まっていく。
「そ、それはまた今度ではダメだろうか・・・」
「だ〜め!!!」
「わ、わかったよ」
観念したらしく、話す気になったらしい。依然として、緊張感は隠しきれていない。
初めて目にする彼の表情に、思わず笑みが溢れてしまう。
「君・・・梓さんが僕の絵を唯一褒めてくれたから。隣の席になったあの日、僕の絵を見て梓さんが『現代のピカソじゃん!』って言ってくれたのが、僕は嬉しかった。僕の絵は誰にも理解されなかったから。昔のピカソのようにね。でも、梓さんだけは僕の絵を見て、才能を認めてくれた唯一の人だった。僕の好きなことを否定せず、純粋に褒めてくれたのは君だけだったんだ。それ以来、僕は自信が持てなかった自分の絵に、自信を持てるようになったんだ」
私はどうやら、『現代版のピカソ』だと口出していたらしい。恥ずかしい反面、それが彼の助けになったのなら結果的にはよかったのかもしれない。
「私は今でも、染井くんの絵はすごいと思ってるよ。あ、じゃあ。私は染井くんのファン1号だね! 頼むから有名な画家になってよ!そしたら、私も自慢できるからさ」
「梓さんの期待に応えられるよう頑張ってみるつもりではいるよ。だからさ・・・その・・・」
なぜか、言葉が濁り始める彼。滴る黒い髪の毛の先端から雫がポタポタと地に落ちてゆく。
「うん?」
「これからは、思い出という絵を僕と一緒に描いていきませんか・・・」
「え・・・あっはははは!何そのセリフくさいよ。でも、染井くんらしいね」
「そ、それで答えの方は?」
「んー、考えておくね!」
「そ、そんな〜」
あからさまにがっかりしている君に意地悪しちゃった。本当は気持ちが傾き始めているなんて、今は恥ずかしくて言えないからね。だから、もう少しだけ待っていてほしいな。
先ほどまでの雨が嘘だったかのように、雲は徐々に私たちから遠ざかり、青一色に染まる空が頭上を満遍なく占めていた。
まるで、真っ青なキャンバスに白い絵の具を点々と垂らしたかのような美しい景色。
私の門出を祝ってくれている眺め。次この景色を見ることができるのは、滅多にないかもしれない。
今日、私は過去の自分を卒業したんだ。そして、明日からは新たな1ページが描かれようとしている。
もちろん、悠や北見先輩。そして、現代のピカソくんと一緒に進む未来への思い出に向かって。