「おい、奏良、今日は誕生会をするぞ」
「五歳の誕生日おめでとう。お誕生日っていうのはこの世界に生まれた特別な日なんだから」
「ケーキおいしそう」
五歳になったばかりの少年の笑顔はあどけなくて、いつもニコニコしていた。
「パパは理科の先生でサッカーが得意です。ママは本を書く人で、いつもパソコンで仕事をしています」
幼稚園のお父さんとお母さんのことを発表する時に、奏良がひらがなで書いた作文だ。
大学で生物学を学んだリンローは高校教師になった。もちろん体育会系ぶりは健在で、サッカー部顧問だ。
私と言えば、文学部を卒業して出版社に勤務していた。
結婚する前から書いていた小説が結婚前に受賞して、晴れて小説家デビューを果たした。
結婚後は執筆業に専念して、育児をしながら小説家としてお金もいただけている。
小説を書くきっかけは空くんが亡くなったことで、私の気持ちをぶつける場所が文字でしかできなかったこと。
その発散場所はインターネットの世界で、小説として発表することだった。
ぽっかり空いたスキマ風を埋めるための手段が執筆活動。
好きこそものの上手なれ。
最初こそへたっぴな文章だったけれど、いつの間にかたくさんの読者がついた。
自分の物語を読みたいと言ってくれる人がいる。
次の話を待ち望んでくれる人がたしかに存在している。
その事実は、自然と生きる糧となる。
ファンだという人たちとの交流もネットを介して行われていた。
私は今、生きている意味を感じている。
死のうと思った経験も大切な人を失ったどん底の気持ちも、小説を書くための貴重な経験になった。
悲しい気持ちも束縛の辛さも全部小説の中に詰め込んだ。
人生何がきっかけになるかはわからない。
きっかけは空くんのことを形として忘れないように残したかった。
それが最初に書いた小説だった。
三人の青春小説。
実話ベースということもあり、つい感情移入しながら、精神を削って書いたはじめての作品。
誰も読むこともないだろうと、書きなぐったものをコンテストに応募した。
泣ける青春ものとしてネットで人気を博した。
何者になれるさかもわからないと思っていたあの時。
自分が何かを生み出すなんて不可能だと思っていた。
才能なんて選ばれた人にのみ与えられるもの。自分には、才能はゼロだと思っていた。
でも、一歩踏み出すだけで何か変わるかもしれない。
リンローが高校卒業前に言った言葉だった。
ラッキーなだけかもしれないけど、私が何者かになれたのは、あの時があったからだ。
空とリンローと出会えたから、今がある。
辛いと思っていた時期があったから今がある。
感情を文字に込めて今、小説家としての想いを発信したい。
こんなちっぽけな自分にもできることがある。
人の心を動かす力が湧き上がる。
誰かを喜ばそうと、面白いものを創りたいという創作意欲が湧いてくる。
私の場合は伝える手段が文字だけれど、それが絵の人もいれば、音楽の人もいる。
自己表現をする手段は無限だ。
他人の素晴らしい作品に心動かされ、私自身も新しい作品を生み出す。
音楽を聴き、絵を眺めて次の話を考える。
子どもの成長を心から喜ぶ。
魅影凛朗と有沢瑠理香は大学を卒業して、社会人になり、結婚した。
二人の間に男の子が生まれた。
その子の名前は奏良。名前の由来は羽多野空。二人の大切な人の名前だ。
「ずっと三人で一緒にいたいよな。もし、おまえらが結婚したら、俺、子どもに生まれ変わるから」
「何言ってるの? 私たち、付き合ってもいないのに」
「俺が死んだら瑠理香のことを守れないだろ。だから、リンロー、お前に託すよ」
ベッドの上での会話だった。後日メールでも読んだけど、彼は本気で私たちのことを応援していた。
この頃には入院先のベッドでしか会話ができないくらい病気が悪化していた。
リンローと私は家族のように毎日お見舞いに来ていた。
日に日に悪化していることは、誰の目からみてもあきらかだった。
更に透き通っていく肌色。顔色は悪く、目の下はクマのようなくぼみがあった。
やせ細った彼を見て、近々面会できなくなるだろうと覚悟していた。
それくらい、治癒は難しいだろうと感じていた。触れられなくなる覚悟は自然とできていた。
「俺、成人したばっかりなのに、長く生きられそうもないな。まるでカゲロウみたいだ」
珍しく弱音を吐く。先が長くないことをわかっているからだろうか。彼からは、恐怖や悲壮感が伝わってこなかった。
この歳で悟っている人という言葉が良く似合う。不思議な落ち着きがあった。
「何言ってるんだよ」
「俺は、亜成虫期をおまえらと楽しく生きられたから。それで後悔はない。でも、リンローと一緒の大学にいって生物学をもっと勉強したかったなぁ」
声も弱弱しく、色白だった肌は最近更に透明感のある白色になっていた。顔色は悪く、手足は痩せたことと筋力の低下で更に細くなっていた。元々持病があって、あまり激しい運動ができなかったりしたらしいけど、私たちと出会ってからは毎日が普通の人みたいに過ごせてよかったと言っていた。知らないところで薬を飲んだり、少し無理をして青春を楽しんだと言っていた。だから、後悔はないって。そんなの嘘だと思う。後悔なんて、絶対あると思う。だって、生きられないことは辛い。死への後悔が絶対に存在しているはずだ。でも、空くんはいつも前向きで、笑顔を最期まで絶やさない人だった。まるで音楽を奏でるかのように――。
空と奏良。似ているけど、違う人間だ。
素敵な良い音楽を奏でるかのように笑って生きてほしい。
これが名前の由来。
奏良が大人になったら、名前の由来を教えよう。
空くんの話もしたいと思う。
私たちには素晴らしい親友がいたという事実を。
人生を変えてくれたという事実を。
生まれ変わりなんていう制度があるかなんて知らない。
でも、私たちは故人の姿をどこかにあると信じてしまう。
それが、魂なのかもしれないし、記憶や想い出なのかもしれない。
前世の記憶なんてないのだから、生きている人の記憶の中で生きるしかないのかもしれない。
私たち夫婦は、空くんのこと、忘れないからね。
空に向かっていつも思う。
私は二種類の恋愛をしたのだと。
はかなげな色白の空くんの雰囲気に惹かれた高校時代の私。
ずっと前からそばで見守ってくれていた人の愛に気づいて、大学生になって交際して、その後、結婚した私。
もしかしたら、空くんとは違う形だけれど、ずっと前からリンローのことは好きだったのかもしれない。
絶対そうだ。だって、リンローといると心地いい。彼がいるだけで幸せだと思えた。
今があるのは、屋上で「友達になろう」と声を掛けてくれた、手を差し伸べてくれた羽多野空がいたから。
軽蔑することなく物おじすることなく接してくれた優しい心があったから。
あの時、偶然屋上にいたのだろうか。もし、偶然だとしたら神様とやらのいたずらのような気がする。
あの時、飛び降りようなんて馬鹿なことをしたから私たちは繋がった。
馬鹿だけど、そんな出来事が今につながる。
人生は失敗と成功が続く連続の物語だ。
偶然が生んだ必然なのかもしれない。
きっとこの先、想像もしない運命が待っている。
でも、それを生み出すのはまぎれもなく自分自身だ。
私たちは彼のことを絶対に忘れない。
命を救ってくれた人。価値観を変えてくれた人。学校を楽しい場所に変えてくれた人。
だって――とてもとても大切な人だから。
「五歳の誕生日おめでとう。お誕生日っていうのはこの世界に生まれた特別な日なんだから」
「ケーキおいしそう」
五歳になったばかりの少年の笑顔はあどけなくて、いつもニコニコしていた。
「パパは理科の先生でサッカーが得意です。ママは本を書く人で、いつもパソコンで仕事をしています」
幼稚園のお父さんとお母さんのことを発表する時に、奏良がひらがなで書いた作文だ。
大学で生物学を学んだリンローは高校教師になった。もちろん体育会系ぶりは健在で、サッカー部顧問だ。
私と言えば、文学部を卒業して出版社に勤務していた。
結婚する前から書いていた小説が結婚前に受賞して、晴れて小説家デビューを果たした。
結婚後は執筆業に専念して、育児をしながら小説家としてお金もいただけている。
小説を書くきっかけは空くんが亡くなったことで、私の気持ちをぶつける場所が文字でしかできなかったこと。
その発散場所はインターネットの世界で、小説として発表することだった。
ぽっかり空いたスキマ風を埋めるための手段が執筆活動。
好きこそものの上手なれ。
最初こそへたっぴな文章だったけれど、いつの間にかたくさんの読者がついた。
自分の物語を読みたいと言ってくれる人がいる。
次の話を待ち望んでくれる人がたしかに存在している。
その事実は、自然と生きる糧となる。
ファンだという人たちとの交流もネットを介して行われていた。
私は今、生きている意味を感じている。
死のうと思った経験も大切な人を失ったどん底の気持ちも、小説を書くための貴重な経験になった。
悲しい気持ちも束縛の辛さも全部小説の中に詰め込んだ。
人生何がきっかけになるかはわからない。
きっかけは空くんのことを形として忘れないように残したかった。
それが最初に書いた小説だった。
三人の青春小説。
実話ベースということもあり、つい感情移入しながら、精神を削って書いたはじめての作品。
誰も読むこともないだろうと、書きなぐったものをコンテストに応募した。
泣ける青春ものとしてネットで人気を博した。
何者になれるさかもわからないと思っていたあの時。
自分が何かを生み出すなんて不可能だと思っていた。
才能なんて選ばれた人にのみ与えられるもの。自分には、才能はゼロだと思っていた。
でも、一歩踏み出すだけで何か変わるかもしれない。
リンローが高校卒業前に言った言葉だった。
ラッキーなだけかもしれないけど、私が何者かになれたのは、あの時があったからだ。
空とリンローと出会えたから、今がある。
辛いと思っていた時期があったから今がある。
感情を文字に込めて今、小説家としての想いを発信したい。
こんなちっぽけな自分にもできることがある。
人の心を動かす力が湧き上がる。
誰かを喜ばそうと、面白いものを創りたいという創作意欲が湧いてくる。
私の場合は伝える手段が文字だけれど、それが絵の人もいれば、音楽の人もいる。
自己表現をする手段は無限だ。
他人の素晴らしい作品に心動かされ、私自身も新しい作品を生み出す。
音楽を聴き、絵を眺めて次の話を考える。
子どもの成長を心から喜ぶ。
魅影凛朗と有沢瑠理香は大学を卒業して、社会人になり、結婚した。
二人の間に男の子が生まれた。
その子の名前は奏良。名前の由来は羽多野空。二人の大切な人の名前だ。
「ずっと三人で一緒にいたいよな。もし、おまえらが結婚したら、俺、子どもに生まれ変わるから」
「何言ってるの? 私たち、付き合ってもいないのに」
「俺が死んだら瑠理香のことを守れないだろ。だから、リンロー、お前に託すよ」
ベッドの上での会話だった。後日メールでも読んだけど、彼は本気で私たちのことを応援していた。
この頃には入院先のベッドでしか会話ができないくらい病気が悪化していた。
リンローと私は家族のように毎日お見舞いに来ていた。
日に日に悪化していることは、誰の目からみてもあきらかだった。
更に透き通っていく肌色。顔色は悪く、目の下はクマのようなくぼみがあった。
やせ細った彼を見て、近々面会できなくなるだろうと覚悟していた。
それくらい、治癒は難しいだろうと感じていた。触れられなくなる覚悟は自然とできていた。
「俺、成人したばっかりなのに、長く生きられそうもないな。まるでカゲロウみたいだ」
珍しく弱音を吐く。先が長くないことをわかっているからだろうか。彼からは、恐怖や悲壮感が伝わってこなかった。
この歳で悟っている人という言葉が良く似合う。不思議な落ち着きがあった。
「何言ってるんだよ」
「俺は、亜成虫期をおまえらと楽しく生きられたから。それで後悔はない。でも、リンローと一緒の大学にいって生物学をもっと勉強したかったなぁ」
声も弱弱しく、色白だった肌は最近更に透明感のある白色になっていた。顔色は悪く、手足は痩せたことと筋力の低下で更に細くなっていた。元々持病があって、あまり激しい運動ができなかったりしたらしいけど、私たちと出会ってからは毎日が普通の人みたいに過ごせてよかったと言っていた。知らないところで薬を飲んだり、少し無理をして青春を楽しんだと言っていた。だから、後悔はないって。そんなの嘘だと思う。後悔なんて、絶対あると思う。だって、生きられないことは辛い。死への後悔が絶対に存在しているはずだ。でも、空くんはいつも前向きで、笑顔を最期まで絶やさない人だった。まるで音楽を奏でるかのように――。
空と奏良。似ているけど、違う人間だ。
素敵な良い音楽を奏でるかのように笑って生きてほしい。
これが名前の由来。
奏良が大人になったら、名前の由来を教えよう。
空くんの話もしたいと思う。
私たちには素晴らしい親友がいたという事実を。
人生を変えてくれたという事実を。
生まれ変わりなんていう制度があるかなんて知らない。
でも、私たちは故人の姿をどこかにあると信じてしまう。
それが、魂なのかもしれないし、記憶や想い出なのかもしれない。
前世の記憶なんてないのだから、生きている人の記憶の中で生きるしかないのかもしれない。
私たち夫婦は、空くんのこと、忘れないからね。
空に向かっていつも思う。
私は二種類の恋愛をしたのだと。
はかなげな色白の空くんの雰囲気に惹かれた高校時代の私。
ずっと前からそばで見守ってくれていた人の愛に気づいて、大学生になって交際して、その後、結婚した私。
もしかしたら、空くんとは違う形だけれど、ずっと前からリンローのことは好きだったのかもしれない。
絶対そうだ。だって、リンローといると心地いい。彼がいるだけで幸せだと思えた。
今があるのは、屋上で「友達になろう」と声を掛けてくれた、手を差し伸べてくれた羽多野空がいたから。
軽蔑することなく物おじすることなく接してくれた優しい心があったから。
あの時、偶然屋上にいたのだろうか。もし、偶然だとしたら神様とやらのいたずらのような気がする。
あの時、飛び降りようなんて馬鹿なことをしたから私たちは繋がった。
馬鹿だけど、そんな出来事が今につながる。
人生は失敗と成功が続く連続の物語だ。
偶然が生んだ必然なのかもしれない。
きっとこの先、想像もしない運命が待っている。
でも、それを生み出すのはまぎれもなく自分自身だ。
私たちは彼のことを絶対に忘れない。
命を救ってくれた人。価値観を変えてくれた人。学校を楽しい場所に変えてくれた人。
だって――とてもとても大切な人だから。