放課後になっても、僕の心の中には何かもやもやとしたものが残り続けていた。
どうして学の話がそんなにも気にかかるのかわからないまま、僕はぼんやりと教室の外を見ている。すでにクラスメイトのほとんどは帰宅しているか、あるいは部活にいっていて、教室には他に二人残っているだけだ。
なんとなく窓から中庭の方を見つめてみる。
特に誰も人はいない。だけどそこで何かがあったような気がする。大切な何かが、大切なものがあったような気がする。
大切なものって何だろう。僕にとってはサッカーだろうか。でもサッカーをするなら中庭ではないだろう。それにサッカーはもう出来ない。病気で止められている。
体には特に影響はない。ないと思う。走ったからって、ひどい息切れがするなんてこともないし、ボールを蹴っていたら足が痛むようなこともない。
じゃあなんで僕はサッカーが出来ないんだろう。サッカーが好きなのに。ボールを蹴る楽しみは他に勝るものはないのに。
そこまで考えてから、本当にそうだっただろうかと頭の中に何かがひっかかっていた。
何かもう少し大切なものがあったような気がする。それは中庭でみた何かとも関係がしている。そんな気がしていた。
そう。僕は忘れている。何かを忘れている。でもそれが何なのかわからない。僕は何を忘れているんだろう。
デジャブみたいな奴だろうか。かつて何かどこかで見たことがあるような気がする現象。学の話に影響されてしまって、何かを忘れている気がしているだけかもしれない。
でももし学の言っている話が自分に関係するのだとしたら、諦めずに何度も僕のもとにきていた女の子は今はどこにいるのだろう。もう諦めてしまったのか。それまで何度もきていたというのに、いま僕のそばにいないというのもおかしいだろう。
ただこの退屈な気持ちが、自分の中でありもしない現象を作り出している。それだけのことだろう。だっていまここにその子はいないのだから。
僕にとって一番大切なものはサッカーで、それ以上のものは何もないはず。見たこともない女の子なんかじゃないはずだ。サッカーが出来ないから、退屈に思っている。それだけだと思う。
なのにかつてほどサッカーに胸が躍らないような気がするのはなぜだろう。病気で出来なくなってしまったからだろうか。
いや、よく考えるとそもそも僕は何の病気なんだ。ストレス性適応障害。曖昧な病名は、僕をはぐらかしているだけのような気もしていた。
もしかしたら僕が抱えている病気は、学がいうように一番好きな人のことを忘れてしまう病気なのか。そこまで考えて僕は首を振るう。いやいや、それはおかしい。もしそうなのだとしたら、いま僕がサッカーが出来ない理由にはならない。好きな人を忘れてしまったとしても、サッカーが出来る出来ないには関係ないだろう。医者に止められている理由にはならない。
冷静に考えてみれば自分のことではないはず。学のいつもの妄想話のはずだ。
でもなぜだかそれが他人事のようには思えなかった。
自分の中に何かがある。僕が知らない何かが、どこかでうごめいている。
僕は何かをつかもうとしている。何かを知ろうとしている。もう少し手を伸ばせば届くはずだと、よくわからない感情が僕を突き動かしていた。
僕は知らなければいけない。知る必要がある。
何かを忘れてしまっているのなら、その何かを思い出さなきゃいけない。
思い出せ。思い出すんだ。僕は思い出さなきゃいけない。
不思議な熱情にかられて、僕は鞄をもって廊下へと向かっていた。
外から帰宅する人達の姿が見える。いつもの風景だ。
でもそこに何かが足りないような気がしていた。何が足りないのかもわからない。
何かをしなければいけない。不安と焦燥が僕の中を駆け回っていた。本当に何かを忘れているかなんてわからないのに、僕の中ではいつの間にかそれが確定した事実のように感じられていた。
頭の中で何かが揺れる。ズキズキと側頭部が痛む。
思わず手を当てるが、痛みはひくことはない。もう少し。もう少しで手が届きそうなのに、届かない。僕の記憶には蓋がされたままだ。
そのせいか痛みをこらえながらも、僕はふらふらと歩き出していた。
気がつくと病院のそばの公園にやってきていた。今日は病院の日ではないのに、どうしてこんなところに来てしまったのだろうか。無意識のうちに先生に話をききたいと思っていたのだろうか。
でも今日は先生は休診だったと思う。だから話を聞くわけにもいかない。
ふと見るとサッカーボールが落ちていた。この公園にはよくサッカーボールが落ちている。誰かが忘れていくのか、それとも近所の子達が遊ぶために、もうずっと置きっ放しにしているのかはわからなかった。でも何となく落ち着かなくて、僕はボールを蹴り上げて軽くリフティングを始めていた。
一回、二回、三回と繰り返すうちに、少しずつ心が落ち着いていく。
やっぱりサッカーが好きだと思う。もう僕はサッカーが出来る。体には何も問題はない。休んでいる間には練習はしていなかったから、感覚は少し衰えたかもしれない。それでも体に染みついた技術は、そう簡単に忘れられるものでもない。
サッカー部に戻りたいな。ふと思う。
いや。馬鹿なことを考えている。サッカー部に戻れるはずもない。病気とはいえ、何回も迷惑をかけているんだ。戻れるわけ……。
いや僕は何の迷惑をかけたんだ。そもそもどうして僕はサッカー部をやめたんだ。
病気のため。それはわかっている。でも具体的に何があって、何をしたのだっけ。記憶が曖昧だった。でも何もなければ部活をやめるはずもない。
やっぱり僕は何かを忘れている。何かを忘れている。もしかしたらそれはサッカーのことだったのだろうか。
ただ何もわからないまま、リフティングを続けていた。
特に邪魔が入らなければ、十回や二十回は軽い。百にも二百でもやれば続けられるだろう。でもこの間は確か邪魔が入ったんだよな。ふと思う。
ただその感じたことに愕然として、僕はボールを落としていた。
邪魔ってなんだ。誰に邪魔されたんだ。
そうだ。確か後ろからすっと足が伸びてきて、ボールを奪い取られた。そして同時にふわりと紺色のスカートが舞って、長い髪が後からついてきていた。
木々の間から差す木漏れ日が、彼女をきらきらと彩っていた。
綺麗だと思った。
そんな幻が僕の前に現れて消えていた。
今のはいったい何だったんだ。
僕はいま見えた景色に、頭の中が混乱してわからなかった。
僕の妄想なのか。いや妄想にしては、はっきりと姿を見て取れた。確かに彼女はそこにいたんだ。
僕の知らない少女。いや、本当に知らないのか。もしかして今の幻の中の彼女こそが、僕が忘れている大好きな彼女なのか。
いやもしかしたら僕が妄想の中で作り出してしまったのかもしれない。
学の話に影響されて、学と同じように何かを生み出してしまったのかもしれない。
ボールはそのまま地面を転がっていく。まだ暖かな日差しは、僕とボールを照らしていた。
春のぬくもりのせいだったのだろうか。僕が見た幻は、あまりにもはっきりとしていて、確かにそこにいたことを感じさせる。
僕は彼女のことを知らない。だけどもしかしたら僕は彼女のことを知っているのだろうか。彼女こそが学の言う面白い話の忘れてしまった少女のことだったのだろうか。
いやありえないだろう。忘れているなんて。忘れてしまっているだなんて。
僕が学に影響されて作り出してしまった幻想の少女なのだろう。
ここにいることが、なぜだか辛く感じて僕はまた再びふらふらと歩き出していた。
どうして学の話がそんなにも気にかかるのかわからないまま、僕はぼんやりと教室の外を見ている。すでにクラスメイトのほとんどは帰宅しているか、あるいは部活にいっていて、教室には他に二人残っているだけだ。
なんとなく窓から中庭の方を見つめてみる。
特に誰も人はいない。だけどそこで何かがあったような気がする。大切な何かが、大切なものがあったような気がする。
大切なものって何だろう。僕にとってはサッカーだろうか。でもサッカーをするなら中庭ではないだろう。それにサッカーはもう出来ない。病気で止められている。
体には特に影響はない。ないと思う。走ったからって、ひどい息切れがするなんてこともないし、ボールを蹴っていたら足が痛むようなこともない。
じゃあなんで僕はサッカーが出来ないんだろう。サッカーが好きなのに。ボールを蹴る楽しみは他に勝るものはないのに。
そこまで考えてから、本当にそうだっただろうかと頭の中に何かがひっかかっていた。
何かもう少し大切なものがあったような気がする。それは中庭でみた何かとも関係がしている。そんな気がしていた。
そう。僕は忘れている。何かを忘れている。でもそれが何なのかわからない。僕は何を忘れているんだろう。
デジャブみたいな奴だろうか。かつて何かどこかで見たことがあるような気がする現象。学の話に影響されてしまって、何かを忘れている気がしているだけかもしれない。
でももし学の言っている話が自分に関係するのだとしたら、諦めずに何度も僕のもとにきていた女の子は今はどこにいるのだろう。もう諦めてしまったのか。それまで何度もきていたというのに、いま僕のそばにいないというのもおかしいだろう。
ただこの退屈な気持ちが、自分の中でありもしない現象を作り出している。それだけのことだろう。だっていまここにその子はいないのだから。
僕にとって一番大切なものはサッカーで、それ以上のものは何もないはず。見たこともない女の子なんかじゃないはずだ。サッカーが出来ないから、退屈に思っている。それだけだと思う。
なのにかつてほどサッカーに胸が躍らないような気がするのはなぜだろう。病気で出来なくなってしまったからだろうか。
いや、よく考えるとそもそも僕は何の病気なんだ。ストレス性適応障害。曖昧な病名は、僕をはぐらかしているだけのような気もしていた。
もしかしたら僕が抱えている病気は、学がいうように一番好きな人のことを忘れてしまう病気なのか。そこまで考えて僕は首を振るう。いやいや、それはおかしい。もしそうなのだとしたら、いま僕がサッカーが出来ない理由にはならない。好きな人を忘れてしまったとしても、サッカーが出来る出来ないには関係ないだろう。医者に止められている理由にはならない。
冷静に考えてみれば自分のことではないはず。学のいつもの妄想話のはずだ。
でもなぜだかそれが他人事のようには思えなかった。
自分の中に何かがある。僕が知らない何かが、どこかでうごめいている。
僕は何かをつかもうとしている。何かを知ろうとしている。もう少し手を伸ばせば届くはずだと、よくわからない感情が僕を突き動かしていた。
僕は知らなければいけない。知る必要がある。
何かを忘れてしまっているのなら、その何かを思い出さなきゃいけない。
思い出せ。思い出すんだ。僕は思い出さなきゃいけない。
不思議な熱情にかられて、僕は鞄をもって廊下へと向かっていた。
外から帰宅する人達の姿が見える。いつもの風景だ。
でもそこに何かが足りないような気がしていた。何が足りないのかもわからない。
何かをしなければいけない。不安と焦燥が僕の中を駆け回っていた。本当に何かを忘れているかなんてわからないのに、僕の中ではいつの間にかそれが確定した事実のように感じられていた。
頭の中で何かが揺れる。ズキズキと側頭部が痛む。
思わず手を当てるが、痛みはひくことはない。もう少し。もう少しで手が届きそうなのに、届かない。僕の記憶には蓋がされたままだ。
そのせいか痛みをこらえながらも、僕はふらふらと歩き出していた。
気がつくと病院のそばの公園にやってきていた。今日は病院の日ではないのに、どうしてこんなところに来てしまったのだろうか。無意識のうちに先生に話をききたいと思っていたのだろうか。
でも今日は先生は休診だったと思う。だから話を聞くわけにもいかない。
ふと見るとサッカーボールが落ちていた。この公園にはよくサッカーボールが落ちている。誰かが忘れていくのか、それとも近所の子達が遊ぶために、もうずっと置きっ放しにしているのかはわからなかった。でも何となく落ち着かなくて、僕はボールを蹴り上げて軽くリフティングを始めていた。
一回、二回、三回と繰り返すうちに、少しずつ心が落ち着いていく。
やっぱりサッカーが好きだと思う。もう僕はサッカーが出来る。体には何も問題はない。休んでいる間には練習はしていなかったから、感覚は少し衰えたかもしれない。それでも体に染みついた技術は、そう簡単に忘れられるものでもない。
サッカー部に戻りたいな。ふと思う。
いや。馬鹿なことを考えている。サッカー部に戻れるはずもない。病気とはいえ、何回も迷惑をかけているんだ。戻れるわけ……。
いや僕は何の迷惑をかけたんだ。そもそもどうして僕はサッカー部をやめたんだ。
病気のため。それはわかっている。でも具体的に何があって、何をしたのだっけ。記憶が曖昧だった。でも何もなければ部活をやめるはずもない。
やっぱり僕は何かを忘れている。何かを忘れている。もしかしたらそれはサッカーのことだったのだろうか。
ただ何もわからないまま、リフティングを続けていた。
特に邪魔が入らなければ、十回や二十回は軽い。百にも二百でもやれば続けられるだろう。でもこの間は確か邪魔が入ったんだよな。ふと思う。
ただその感じたことに愕然として、僕はボールを落としていた。
邪魔ってなんだ。誰に邪魔されたんだ。
そうだ。確か後ろからすっと足が伸びてきて、ボールを奪い取られた。そして同時にふわりと紺色のスカートが舞って、長い髪が後からついてきていた。
木々の間から差す木漏れ日が、彼女をきらきらと彩っていた。
綺麗だと思った。
そんな幻が僕の前に現れて消えていた。
今のはいったい何だったんだ。
僕はいま見えた景色に、頭の中が混乱してわからなかった。
僕の妄想なのか。いや妄想にしては、はっきりと姿を見て取れた。確かに彼女はそこにいたんだ。
僕の知らない少女。いや、本当に知らないのか。もしかして今の幻の中の彼女こそが、僕が忘れている大好きな彼女なのか。
いやもしかしたら僕が妄想の中で作り出してしまったのかもしれない。
学の話に影響されて、学と同じように何かを生み出してしまったのかもしれない。
ボールはそのまま地面を転がっていく。まだ暖かな日差しは、僕とボールを照らしていた。
春のぬくもりのせいだったのだろうか。僕が見た幻は、あまりにもはっきりとしていて、確かにそこにいたことを感じさせる。
僕は彼女のことを知らない。だけどもしかしたら僕は彼女のことを知っているのだろうか。彼女こそが学の言う面白い話の忘れてしまった少女のことだったのだろうか。
いやありえないだろう。忘れているなんて。忘れてしまっているだなんて。
僕が学に影響されて作り出してしまった幻想の少女なのだろう。
ここにいることが、なぜだか辛く感じて僕はまた再びふらふらと歩き出していた。