*
翌朝、いつもの時間に起きて支度をして家を出る。高校に進学してから変わらないルーティンの始まりだった。
この日もご多聞に漏れず、短い睡眠時間のせいで重たい瞼をなんとかこじ開けて一歩を繰り出していく。
(うわ、あっつ……)
玄関から外に出た瞬間、もわっとした空気に覆われる。容赦なく照り付ける日差しを腕で遮るも、今度はその腕がじわじわと熱されていくのがわかる。
日陰を踏みながら私は駅を目指す。
最寄りの駅が見えてきたところで、私は足を止める。見覚えのある人物が、駅前のベンチに座っていたから。
「おはよ」
同じ制服を着たその人物は、私を見て立ち上がる。自分よりも背の高い彼女を見上げて私は言った。
「何してんの、啓子」
彼女は、中学からの友人、岩田啓子だった。
「何って、真樹のこと待ってたんだよ。昨日、メッセージ送ったんだけど……」
「あ……」
言われて思い出して、途端に気まずくなる。お風呂上りに啓子からのメッセージを見たのにも関わらず、返信を後回しにしてそのまま忘れていた。それよりも早くユートピアがやりたくてスマホはベッドの上に放り投げたままだった。
内容は何だったか、と記憶を辿るよりも早く啓子が口を開いた。
「久しぶりに、一緒に学校行こうかと思って……」
(あぁ、そういえばそんな内容だったかも)
見たにもかかわらず内容すら記憶にないなんて、友達としてどうなんだろうかと自分でも呆れてしまう。
「ごめん、待たせた?」とだけ言って、啓子の横を通り過ぎていくと、後を追いかけるように啓子も歩き出した。
「ううん……乗る電車知ってたから」
「あぁそっか」
私たちは、始めの頃一緒に登校していた。
中学から同じ高校に上がった女子は私と啓子だけだったというのもあるけど、もともと同じ高校を選んだのは偶然ではない。私たちは、中学二年で同じクラスになって意気投合し、そのままの流れで高校も同じ所を選んだのだ。
それくらい、仲が良かった。
けれど、高校に入ってその関係もあっという間に終わりを告げる。
私たちをつないでいた糸は、ある出来事によってプツリと切れてしまった。それ以来、啓子は乗る電車をずらして、一緒に登校することはなくなった。
(そうだよね、……電車の時間ずらしたのはそっちだもんね)
「ねぇ、勉強してる?」
駅のホーム、列に並びながら啓子が言う。
勉強なら、学校で毎日しているじゃん、と頭で考えていると「もうすぐ期末テストでしょ」と呆れた声で付け加えられた。
「あぁ……、もうそんな時期……」
「真樹にとってはテストなんて大したことないよね」
「……」
(どいつもこいつも……いい加減にしてほしい)
舌打ちしそうになった。
私がいつ、テストが大事じゃないなんて言った?
勉強してないなんて言った?
一体私の何を知っているというのだろうか。
みぞおちのあたりからふつふつと負の感情が沸き起こり、溢れそうになった時、
――ファァァァン!
警告音と共にホームに電車が到着した。ブザーやアナウンス、人の動く音、たくさんの騒音に覆われて、私は目をつぶる。
「私なんか、最近授業についてくのもやっとで……――」
啓子の声が遠くなっていく。
「真樹の頭少しで良いから分けてほしいって思ってる」
まるで、私がなんの努力もしていないかのように言われるのは心外だった。
余裕じゃないし、別に頑張ってないわけでもない。授業に出れば真面目に聞いているし、宿題だってやっている。塾にこそ通ってないが、わからない所があれば先生に質問して理解できるまでちゃんと突き詰めている。
周りはいつも、あたかも私の心を知っているかのように、勝手に決めつけるんだ。
決めつけた物言いをされる度に、私の胸の中には澱が溜まっていくようだった。そしてそれは、浄化されることも排出されることもなく私の中に溜まり続けている。
(まるで、ユグドラシルみたいじゃん)
心ない言葉たちが黒いドロドロの悪意となって、私の心を少しずつ侵食していくのだ。
(浄化できない私はどうなるんだろう……)
「悪意」を浄化しようとプレイする人達がたくさんいるユートピアと違って、私は浄化の仕方もわからなければ、助けてくれる人もいない。このまま「悪意」に侵されていずれ死んでしまうのだろうか、とぼうっとする頭の隅で思う。
「……樹、真樹? ねぇちょっと聞いてる?」
遠くなっていた意識が、啓子の声によって引き戻される。私は「う、うん、聞いてるよ。期末テストでしょ」と慌てて返した。
「……違う……」
「えっ、ごめん、なんだった? ちょっと考え事してて」
「……もういい、大丈夫」
それきり啓子は黙り込んでしまい、私が再度謝っても話してはくれず、電車に乗ってからも沈黙が続いた。
(まぁ、いっか……、本人がいいって言ってるんだし)
これ幸いと、私はドアに寄りかかって目を閉じる。久しぶりに啓子と話したせいか、頭の中に高校に入学したての頃の二人の姿が浮かび、チクリと胸が締め付けられた。
(……こんなことなら、一緒の高校になんかするんじゃなかったな)
後悔先に立たずとはこのことで、だからといって待ち伏せまでして待っていた啓子を断るという選択肢はなかったのだけど。
一緒に登校していた頃は楽しかったのに、と胸の内で思う。あれほど中学で意気投合して、大人になってもずっと親友だと思っていた啓子と、こんな風になってしまったことがなんだかとても虚しかった。
いつの間にか電車は高校の最寄り駅に着いて、私は啓子の後に続いた。駅を出ると、目の前の大通り沿いに同じ制服を着た生徒たちがまばらに列をなしていた。
少し上り坂になっている道を真っすぐ行くと私たちの通う私立高校がある。
私たちの家からたった三駅しか離れていないここは、ちょうど市の境目となり住所も市外となる。そのためか、私たちの中学からわざわざこの高校を選ぶ生徒はほとんどいない。
私が知る限り、同じ中学からはスポーツ推薦で男子が数名入学しただけで、私たち以外に女子生徒は来ていない。
同中の生徒がほとんど行かない、というのがこの高校を選んだ決め手だった。
啓子は中学三年の時、クラスの女子からいじめを受けていた。違うクラスだった私が助けられることはたかが知れていて、啓子はだんだんと保健室登校になってしまう。
登下校と休み時間しか一緒にいられなかった私は、日に日にふさぎ込んでいく啓子を見かねてこの高校の受験を提案したのだ。
偏差値が落ちるため、担任からは何度も考え直せと言われたけれど、私はそんなことどうでもよくて頑として首を縦には振らなかった。
そして私の提案は、結果として功を奏した。中学の時の女子が居ない環境は、啓子にとってなんのしがらみのない自由な世界となり、彼女を生き返らせた。以前のような笑顔が戻り、とても楽しいスタートを切った。
ただ一つ残念なことは、その笑顔の理由の中に私は居ないということ。
入学後、クラスが別れてしまったため、昼休みは一緒に過ごそうと約束していた二人だったけど、それはただの一度も叶わなかった。
『ごめん、真樹。クラスの子たちとお昼食べることになったんだ』
入学式から一週間経った頃、午前授業が終わり一日授業の初日。初めてのお昼休みに意気揚々と啓子をクラスに迎えに行った私に、彼女はそう告げた。チラッと教室内に視線を送る啓子につられて見た先には、こちらを伺う四、五人の女子の姿があった。
『え……?』
視線を目の前の啓子に戻した私の口からは、驚きの声が漏れ出る。
だって私はクラスの子からの誘いを断ってきたのだから。
(それならもっと早く教えてくれれば良かったのに)
『登下校もクラスの子と一緒の電車で帰ることにしたから、今日から別々で帰ろ。お互いクラスにも馴染まないとだし、ね』
ガツン、と頭を殴られた気がした。
その突き放すような言葉に、私は数秒固まっていたと思う。
どうにか笑顔を作って、『そ、そうだね。わかった』と返事をしてその場から離れた。廊下は、お手洗いや購買に行く人でがやがやと騒がしい。私は、歩く度に交互に視界に入ってくる自分の上履きをじっと見つめながら自分のクラスへと戻った。
幸い、最初に誘ってくれた由香と千尋が快く迎え入れてくれたおかげで、クラスで孤立することはなく助かった。それに、もともと啓子のために選んだ高校なのだから、啓子が楽しく高校生活を送れるのならそれに越したことはないのだ。
それでもあの時、私は確かに心の底で「裏切られた」と感じてしまった。
(別に、喧嘩したわけでもないんだけど……)
その後から、啓子と昼も登下校も一緒になることはなくなり、私は今も一人で通学している。
だから今日、啓子が私を待っていたことに少なからず内心驚いていた。
結局、私たちは無言のまま学校に到着する。上履きに履き替えて階段を登っていけば、あっという間に教室のある階に着いた。
「じゃ、私こっちだから」
「うん……、またね」
(なんか、言いたい事あったのかな……)
あの一件以来、今の今まで一緒に登校することなんて一度もなかったのに、突然こんな風に時間を合わせて待ち伏せてまで会いにきたのだから、きっとそうなんだろうと思う。
だけど、胸のわだかまりが残ったままの私には、「何かあったの?」とたった一言を聞くことができなかった。
翌朝、いつもの時間に起きて支度をして家を出る。高校に進学してから変わらないルーティンの始まりだった。
この日もご多聞に漏れず、短い睡眠時間のせいで重たい瞼をなんとかこじ開けて一歩を繰り出していく。
(うわ、あっつ……)
玄関から外に出た瞬間、もわっとした空気に覆われる。容赦なく照り付ける日差しを腕で遮るも、今度はその腕がじわじわと熱されていくのがわかる。
日陰を踏みながら私は駅を目指す。
最寄りの駅が見えてきたところで、私は足を止める。見覚えのある人物が、駅前のベンチに座っていたから。
「おはよ」
同じ制服を着たその人物は、私を見て立ち上がる。自分よりも背の高い彼女を見上げて私は言った。
「何してんの、啓子」
彼女は、中学からの友人、岩田啓子だった。
「何って、真樹のこと待ってたんだよ。昨日、メッセージ送ったんだけど……」
「あ……」
言われて思い出して、途端に気まずくなる。お風呂上りに啓子からのメッセージを見たのにも関わらず、返信を後回しにしてそのまま忘れていた。それよりも早くユートピアがやりたくてスマホはベッドの上に放り投げたままだった。
内容は何だったか、と記憶を辿るよりも早く啓子が口を開いた。
「久しぶりに、一緒に学校行こうかと思って……」
(あぁ、そういえばそんな内容だったかも)
見たにもかかわらず内容すら記憶にないなんて、友達としてどうなんだろうかと自分でも呆れてしまう。
「ごめん、待たせた?」とだけ言って、啓子の横を通り過ぎていくと、後を追いかけるように啓子も歩き出した。
「ううん……乗る電車知ってたから」
「あぁそっか」
私たちは、始めの頃一緒に登校していた。
中学から同じ高校に上がった女子は私と啓子だけだったというのもあるけど、もともと同じ高校を選んだのは偶然ではない。私たちは、中学二年で同じクラスになって意気投合し、そのままの流れで高校も同じ所を選んだのだ。
それくらい、仲が良かった。
けれど、高校に入ってその関係もあっという間に終わりを告げる。
私たちをつないでいた糸は、ある出来事によってプツリと切れてしまった。それ以来、啓子は乗る電車をずらして、一緒に登校することはなくなった。
(そうだよね、……電車の時間ずらしたのはそっちだもんね)
「ねぇ、勉強してる?」
駅のホーム、列に並びながら啓子が言う。
勉強なら、学校で毎日しているじゃん、と頭で考えていると「もうすぐ期末テストでしょ」と呆れた声で付け加えられた。
「あぁ……、もうそんな時期……」
「真樹にとってはテストなんて大したことないよね」
「……」
(どいつもこいつも……いい加減にしてほしい)
舌打ちしそうになった。
私がいつ、テストが大事じゃないなんて言った?
勉強してないなんて言った?
一体私の何を知っているというのだろうか。
みぞおちのあたりからふつふつと負の感情が沸き起こり、溢れそうになった時、
――ファァァァン!
警告音と共にホームに電車が到着した。ブザーやアナウンス、人の動く音、たくさんの騒音に覆われて、私は目をつぶる。
「私なんか、最近授業についてくのもやっとで……――」
啓子の声が遠くなっていく。
「真樹の頭少しで良いから分けてほしいって思ってる」
まるで、私がなんの努力もしていないかのように言われるのは心外だった。
余裕じゃないし、別に頑張ってないわけでもない。授業に出れば真面目に聞いているし、宿題だってやっている。塾にこそ通ってないが、わからない所があれば先生に質問して理解できるまでちゃんと突き詰めている。
周りはいつも、あたかも私の心を知っているかのように、勝手に決めつけるんだ。
決めつけた物言いをされる度に、私の胸の中には澱が溜まっていくようだった。そしてそれは、浄化されることも排出されることもなく私の中に溜まり続けている。
(まるで、ユグドラシルみたいじゃん)
心ない言葉たちが黒いドロドロの悪意となって、私の心を少しずつ侵食していくのだ。
(浄化できない私はどうなるんだろう……)
「悪意」を浄化しようとプレイする人達がたくさんいるユートピアと違って、私は浄化の仕方もわからなければ、助けてくれる人もいない。このまま「悪意」に侵されていずれ死んでしまうのだろうか、とぼうっとする頭の隅で思う。
「……樹、真樹? ねぇちょっと聞いてる?」
遠くなっていた意識が、啓子の声によって引き戻される。私は「う、うん、聞いてるよ。期末テストでしょ」と慌てて返した。
「……違う……」
「えっ、ごめん、なんだった? ちょっと考え事してて」
「……もういい、大丈夫」
それきり啓子は黙り込んでしまい、私が再度謝っても話してはくれず、電車に乗ってからも沈黙が続いた。
(まぁ、いっか……、本人がいいって言ってるんだし)
これ幸いと、私はドアに寄りかかって目を閉じる。久しぶりに啓子と話したせいか、頭の中に高校に入学したての頃の二人の姿が浮かび、チクリと胸が締め付けられた。
(……こんなことなら、一緒の高校になんかするんじゃなかったな)
後悔先に立たずとはこのことで、だからといって待ち伏せまでして待っていた啓子を断るという選択肢はなかったのだけど。
一緒に登校していた頃は楽しかったのに、と胸の内で思う。あれほど中学で意気投合して、大人になってもずっと親友だと思っていた啓子と、こんな風になってしまったことがなんだかとても虚しかった。
いつの間にか電車は高校の最寄り駅に着いて、私は啓子の後に続いた。駅を出ると、目の前の大通り沿いに同じ制服を着た生徒たちがまばらに列をなしていた。
少し上り坂になっている道を真っすぐ行くと私たちの通う私立高校がある。
私たちの家からたった三駅しか離れていないここは、ちょうど市の境目となり住所も市外となる。そのためか、私たちの中学からわざわざこの高校を選ぶ生徒はほとんどいない。
私が知る限り、同じ中学からはスポーツ推薦で男子が数名入学しただけで、私たち以外に女子生徒は来ていない。
同中の生徒がほとんど行かない、というのがこの高校を選んだ決め手だった。
啓子は中学三年の時、クラスの女子からいじめを受けていた。違うクラスだった私が助けられることはたかが知れていて、啓子はだんだんと保健室登校になってしまう。
登下校と休み時間しか一緒にいられなかった私は、日に日にふさぎ込んでいく啓子を見かねてこの高校の受験を提案したのだ。
偏差値が落ちるため、担任からは何度も考え直せと言われたけれど、私はそんなことどうでもよくて頑として首を縦には振らなかった。
そして私の提案は、結果として功を奏した。中学の時の女子が居ない環境は、啓子にとってなんのしがらみのない自由な世界となり、彼女を生き返らせた。以前のような笑顔が戻り、とても楽しいスタートを切った。
ただ一つ残念なことは、その笑顔の理由の中に私は居ないということ。
入学後、クラスが別れてしまったため、昼休みは一緒に過ごそうと約束していた二人だったけど、それはただの一度も叶わなかった。
『ごめん、真樹。クラスの子たちとお昼食べることになったんだ』
入学式から一週間経った頃、午前授業が終わり一日授業の初日。初めてのお昼休みに意気揚々と啓子をクラスに迎えに行った私に、彼女はそう告げた。チラッと教室内に視線を送る啓子につられて見た先には、こちらを伺う四、五人の女子の姿があった。
『え……?』
視線を目の前の啓子に戻した私の口からは、驚きの声が漏れ出る。
だって私はクラスの子からの誘いを断ってきたのだから。
(それならもっと早く教えてくれれば良かったのに)
『登下校もクラスの子と一緒の電車で帰ることにしたから、今日から別々で帰ろ。お互いクラスにも馴染まないとだし、ね』
ガツン、と頭を殴られた気がした。
その突き放すような言葉に、私は数秒固まっていたと思う。
どうにか笑顔を作って、『そ、そうだね。わかった』と返事をしてその場から離れた。廊下は、お手洗いや購買に行く人でがやがやと騒がしい。私は、歩く度に交互に視界に入ってくる自分の上履きをじっと見つめながら自分のクラスへと戻った。
幸い、最初に誘ってくれた由香と千尋が快く迎え入れてくれたおかげで、クラスで孤立することはなく助かった。それに、もともと啓子のために選んだ高校なのだから、啓子が楽しく高校生活を送れるのならそれに越したことはないのだ。
それでもあの時、私は確かに心の底で「裏切られた」と感じてしまった。
(別に、喧嘩したわけでもないんだけど……)
その後から、啓子と昼も登下校も一緒になることはなくなり、私は今も一人で通学している。
だから今日、啓子が私を待っていたことに少なからず内心驚いていた。
結局、私たちは無言のまま学校に到着する。上履きに履き替えて階段を登っていけば、あっという間に教室のある階に着いた。
「じゃ、私こっちだから」
「うん……、またね」
(なんか、言いたい事あったのかな……)
あの一件以来、今の今まで一緒に登校することなんて一度もなかったのに、突然こんな風に時間を合わせて待ち伏せてまで会いにきたのだから、きっとそうなんだろうと思う。
だけど、胸のわだかまりが残ったままの私には、「何かあったの?」とたった一言を聞くことができなかった。