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 寝る支度を済ませた私は、自室のパソコンを立ち上げる。VR用のヘッドセットを装着して、いつもの「ユートピア」にログインした。時刻は九時を過ぎた頃。

 ユートピアは、VRを使用した仮想現実世界(メタバース)で繰り広げられるオンラインネットゲーム。世界樹「ユグドラシル」が、人間の「悪意」によって侵食され枯れていくのを食い止めて、ユートピアを実現させるというRPG要素の強いゲームだ。
 個人もしくは数人でチームを組み、ギルドに寄せられたミッションをクリアして「悪意」を根絶していくのがメインストーリー。
 しかし、シナリオにはAIが搭載されており、時間や場所などさまざまな要素により分岐が変化する上、プレイヤー達がプレイする世界はたった一つの共通のバーチャル空間で、ユグドラシルも共通のため、侵食度合はリアルタイムで更新されていく。

 自分がプレイしていない時にも、ユートピアの世界は動いていて、ユグドラシルの侵食も進んだり、誰かの手によって侵食が食い止められたりしているのだ。

 つまり、このゲームのクリアはすなわち全プレイヤーのクリアとなる。
 それはまるで、現実世界とは別のユートピアというもう一つの世界がこの世に存在しているかのような感覚をプレイヤーに与えていた。

 ユートピアの人気は、リリース以来うなぎのぼりで、今では六千万を超えるユーザーが利用している。

 私も、そのユートピアに魅了された一人だった。ほとんど毎日と言っていいほど欠かさずアクセスしてプレイしている。

「みんな、お待たせー!」
『あ、漱石(そうせき)、今日来ないかと思った』
『おいおい、重役出勤もいいとこだな』

 私の所属しているチームの拠点地となるホームに行くと、既に集まっていたメンバーから文句が飛んでくる。ボイスチャットのため、リアルタイムで会話できるのもオンラインならではの醍醐味だ。
 少しノイズの入った電子的な声は、ボイスチェンジャーによるもの。ユートピアのボイスチャットでは、自分の声を変える機能も搭載されていて、私以外のメンバーはみんな使っていると言っていた。

「ごめんごめん、宿題終わらなくて」

 ユーザーネームは「漱石」。母方の実家で飼っていた猫の名前だった。漱石は、私が中学に上がるころに老化で死んでしまった、大好きだった猫。漱石の事が忘れられなくて、ネット上で使う名前は昔からこれを使っている。

 私は会話を続けながらも、手元のコントローラーを操作して装備を変更していく。
 ユートピアでは、操作するプレイヤーの容姿も自由自在にカスタマイズが出来た。
 瞳一つとっても数十種類から選べて何万通りもの容姿が作れるし、自分の顔写真をベースに自分そっくりのアバターにもできる。もっと言えば、人間以外のアバターもある。猫とか犬とか、熊、耳の生えた獣人からエルフ、宇宙人といった架空のアバターも可能だ。

 私は、見た目にはこだわりがないため、アカウント作成時に候補で上がってきた中から選んだ普通の女の子を選択していた。

 肩までの真っすぐな黒髪に眉の上で一直線に切りそろえた前髪。目は少し猫目でまぁまぁ可愛くてそこそこ気に入っている。

『おっせーよ、漱石。もうミッション回ってきたぜー』
「あ、猫太(ねこた)やっほー。今日のミッションなんだった?」

 猫太は、私がユートピアを始めた当初に知り合った、かれこれ一年近い付き合いとなるネットゲーム仲間。ユートピアの中でも一番気の合う仲間でもある。まず名前からして猫好き確定で、家で飼ってる猫の写真をよく個人チャットにUPしてもらって癒しを提供してもらっていた。

『今日のは薬草採取。魔物がいつもより多くて手間取ったな』
「そっか、やっぱり侵食進んでるのかな」
『そうみたいよ、この前は町の方にも魔物が現れたんだって』

 メンバーの一人のナオミが私と猫太の会話に入ってきた。ナオミは、金髪碧眼のグラマラス美女の見た目をしたプレイヤーで、明るい性格で思ったことをズバズバ言う元気印。

 ボイスチャットは、ホームメンバー同士なら常時可能で、メンバーのマイクをオフにしない限りゲーム内で姿が見えなくても会話ができる。
 一方ホームメンバー以外のプレイヤーと会話したいときは、ゲーム内で一定距離近づいた状態でお互いに許可すると会話が出来る仕組みだった。

「え、また?最近多くない魔物」

 世界樹の侵食が進むと、魔物が増える。与えられるミッションは、その魔物の討伐や世界樹の侵食を治療するためのポーション作り、それに必要な薬草集めといったものから、魔物によって破壊された町の復興などが主なもの。
 それとは別に、プレイヤーたちは自分が住む家を作ったり、生計を立てるために畑を作ったり戦うための武器や防具を作るためのアイテムを集めたりなど、ミッションと並行して好きなことを自由に行うというものだ。

『だよなー。ユグドラシルの力が弱まってる証拠だよな』
『ってか、プレイヤーは増える一方なのに、侵食進むってどういうこと?』

(確かにナオミの言う通りだ……)

 年々会員数が増えてプレイする人も増えているというのに、ユグドラシルの侵食は止まるどころか進んでいるようだった。

『まぁ、みんながみんな正規ルート辿るわけじゃないんじゃね?』
「正規ルート?」

 初耳だった私は、首をかしげると、呆れの混じった猫太のため息が聞こえる。

『お前、ホントこういう噂に疎いよな』

 ナオミも呆れているのか、『そうそう』と猫太に同意を示していた。

『二人して漱石をいじめないの!』

 突然現れたのは、長身にとんがり耳が目につくエルフの姿をした青年・つかさだ。落ち着いた性格で、みんなのまとめ役のような存在。

『別にいじめてねぇよ』
「つかさ、いつの間に来たの?」
『今さっき。ミーハーじゃないのが漱石の良いところなんだよ』
「何それ、どゆこと?」
『……ね、ねぇ、全員集まったんだし、そろそろ次のミッション行かない?』

 そう控えめに声をあげたのは、大福。黒い髪は短く、目は綺麗な緑色をした色白の青年。彼は、二カ月くらい前に入ってきたメンバーで、今いるメンバーの中で一番日が浅い。だけど大福は、いつも文句ひとつ言わずに私たちに付き合ってくれていてとても心強い存在でもあった。

 私の所属するホームは、私、猫太、ナオミ、つかさ、大福の全部で五人からなる。

 もともと私と猫太で立ち上げたホームに、三人がそれぞれ入居を申請してきて今にいたる。三人以外にもこれまで何人ものプレイヤーが入ったり抜けたりを繰り返し、今はこの五人に落ち着いているというだけの話。

 気ままに、和気あいあいと楽しく遊んで、気に入らなければ即さようなら。新しい仲間を探しに行けばいい。
 顔を知らないネットならではのあとくされのない関係性が、気が楽でよかった。

『そうだね、我らがユグドラシル様が苦しんでるよ――』

 つかさが窓の外に視線を移し、みんなもつられて見上げる。
 窓の外、家々の屋根の遥か向こうには世界樹・ユグドラシルが聳え立っていた。

 ユートピアは、ユグドラシルが作ったと言われている。
 ユートピアの中心にあり、この世界を守るように枝葉を広げるその姿は、神聖な何かを感じざるを得ない神々しさがあった。

 事実、この世界を巣食う「悪意」を浄化して世界の均衡を保っているのもユグドラシルの聖なる力のおかげ。

 しかし、その「悪意」の増加スピードはすさまじく、今ではユグドラシルの力だけでは浄化が追いつかないのが現状。結果として、ユグドラシルは体の一部が所々黒く炭化が進んでいた。それは、遠目にもわかるほどで、今や根元の一部が侵食され黒く澱んでしまっている。

「ホント、痛々しいね」

 口をついて出た言葉に、私は不思議な気持ちになる。

(ゲームの中の話なのに……)

 そう、これはゲームの中の世界であって、本当の世界じゃない。この世界に住んでいる住人も、生き物も、ユグドラシルも、実在しないはずなのに、ここに来るとなぜかそうは思えなかった。

 まるで自分もこの世界の一部のような、世界の全てが自分の一部かのように感じるほど、どんどん引き込まれていた。

『なんか不思議だよな』

 感慨深げにそうこぼした猫太に、私は「何が」と返す。猫太は私を振り返って、その顔に笑みをたたえた。
 プレイヤーの表情は、VRヘッドセットのインサイドカメラが実際の表情を読み取ってプレイヤーに反映させている。笑顔はもちろん、涙やくしゃみなどリアルでの仕草がそのままプレイヤーのリアクションに直結するのだ。

『えー、だってさ、俺たちこの世界で生きてるみたいじゃん? 毎日何時間もここにいて、仲間と過ごして、なんか、生きてるーって感じしね?』

(え……)

 たった今、自分が思ったことと同じことを猫太が思っていることに驚いた。

「そ、それっ!私も、思った!」
『うん、うん、わかるかもー』
『まぁ、楽しいからね』

 メンバーから次々に同意の声が上がって、私は胸の奥からこみ上げるものを感じた。

(なんだろう、なんか、泣きたい……)

 同じものを一緒に見て、同じように楽しいと感じられる人が居る。

 生きてることが、楽しい。

 ここに来ると、度々そう思えた。思う、というよりも感じられた。この世界にいるほうが、現実世界よりよほど「生」を実感できる。

(ずっと、ここにいられたら良いのに……)

 現実の世界は退屈で苦痛なものでしかない私にとって、叶うわけがないことだとわかっていてもそう願わずにはいられない。
 学校は、私にとってまるで自分じゃない誰かの物語を見ているような、他人の時間だった。

 だから尚更、この世界がキラキラして見えるのかもしれない。

『さぁ、いっちょやるか!』

 猫太の声かけを皮切りに、私たちはミッションへと繰り出した。