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 遺跡は石造りで、分かれ道は右手に進んでいこうという大福の提案で、私たちは遺跡をどんどん進んでいった。石の壁には、エジプトのピラミッドに描かれていそうな象形文字のようなものが刻まれている。

『なんか、こうして見ると、どっかの国の遺跡に観光に来たみたいだよなー』

 呑気な声に「だねー」と適当に相槌を打ちつつ、いつ魔物が現れてもいいように私は周りに目を配っていた。他の遺跡と違う点は、窓があるわけでもないのに辺りは明るく、松明が要らない点で、それ以外に特段変わった様子はなさそうだったが、それが逆に心配になる。
 いつ何が起きるのか、予想がつかないのが怖い。

『そういえば、漱石は、どうして合言葉がわかったの?』

 大福が思い出したかのように私に尋ねる。ちょっと迷ったけど、私は啓子のお母さんから聞いた話を二人に伝えた。

 話を聞き終えた猫太は、『現実世界にさよなら、ねぇ……』と呆れたようにつぶやく。私はそれを聞いて、なんとも言い表せない複雑な気持ちになった。

 私だって、ユートピアの中で暮らせたら……と思いを馳せたことが山ほどあった。
 だけど、そんな御伽噺(おとぎばなし)のようなことが実現できると知り、こうして裏ミッションに挑んでいる私は、心底そうなることを恐れている。
 意識不明になって眠る啓子と、涙に濡れるおばさんの憔悴した姿を目の当たりにして、私は自分の願いがいかに浅はかでなんの覚悟もない薄っぺらいものだったかを思い知った。

(こんなに、怖いのに……。啓子は怖くなかったの?)

 返事がこないとわかっていながらも、そう心の中で問いかける。

 それほどまでに、苦しんでいたってことなんだろうと思うと、胸が痛い。SOSを出していたのに……。きっとそれだってやっとの思いだったはず。
 もがき苦しみ溺れそうになった時、最後の望みを賭けて伸ばした手を、振り払われてしまったのだ。

 啓子を海に沈めてしまったのは、紛れもなく、この私だ。
 だから、私は彼女を海の底まで追いかける。そして、引き上げたい。
 彼女はまだ、息の出来ない海の底で生きているはずだから。
 現実世界で彼女の体が眠っている限り、きっと彼女はここにいる。

 私はそう確信を抱いていた。

『でもさ……』と今度はそれまで黙って聞いていた大福が口を開く。

『漱石の友達は……自分でそうなることを選んだんだよね』
「……うん……たぶん、そうだよね……」
『だったら、やっぱり漱石が身を挺してまで探す必要はないんじゃないかなって思うんだ』

 返す言葉が見つからなかった。

『それにさ、そもそも友達は、それを望んでるのかな? ……僕には、そうは思えなくて……』

 それは、ずっと考えないようにしていたことだった。

 ――望んで(・・・)意識不明になって、意識だけが今もこの世界(ユートピア)で生きてるって噂。

 本人に聞けない以上、想像でしかないけれど、啓子もきっとここで生きることをを望んだんだろう……。何が辛かったのか、苦しかったのかは、今もわからないままだけど、現実世界で生きるのが嫌になって、逃げ出したくてユートピアで生きる道を選んだんだ。
 それなのに、私はそこから啓子を連れ戻そうとしている。逃げ出すほど嫌いな現実世界へと。

『大福……、お前、この期に及んでどうしたんだよ』

 猫太が咎めるように言った。確かに、と私も疑問に思った。これまでずっと文句一つ言わずに手伝ってくれていたのに……。どうして急に反対するようなことを言うんだろうか、と大福の心を推し量る。
 大福も、私と一緒で怖くなったのだろうか。

「さっきも言ったけど……私は私の犯した間違いを清算したいだけなの……。だから、もしあの子に会って話せたとして、それでもあの子がこの世界に残りたいって言ったなら……っ……」

 その先を言おうとして、言葉に詰まった。喉が押しつぶされたかのように塞がり、目の奥がツンとする。私は慌ててマイクをオフにした。

(啓子がもし、戻りたくないって言ったら……。私は、どうすればいいの……?)

『おーい、漱石?』
『どうかした?』

 こみ上げてくるものを口をぎゅっと閉じてどうにかやり過ごすのに必死で、二人の声に反応できなかった。じわりと、涙がにじむ。これも、アバターに反映されてしまっているかもしれない、と思い、俯いて目をぎゅっと瞑り涙を散らす。

(今は裏ミッションの真っ最中なんだからしっかりしなくちゃ)

 啓子を、連れ戻せなかったらなんて、そんなこと考えたくもない。
 私は必ず啓子を連れ戻すって決めたのだ。

「ご、ごめん、なんか通信が急に悪くなったみたい」

 マイクをオンにして、私は心配する二人に笑顔を向けた。

「さっきのつづきだけど……。私、あの子がこっちに戻ってくれるって信じてる。だから、絶対に連れ戻すよ」
『そ、そのことな……、…………――……』
『えー、大福またボイチャ不良かよ』
「ははっ、ホントだ」
『戻ってこーい』
『……ごめん、なんか僕のボイチャ最近調子わるいね……――あっ、漱石!』

 大福の声よりも早く私は動いていた。

(って言っても、頭でイメージするだけだけど)

 私は振り向きざまに、手に持っていた盾で迫る魔物の体当たりをガードして魔物を押しやると、間合いを詰めて剣を振り下ろした。手にはジンジンと魔物を切った手ごたえを感じていた。

 シュー……という効果音と共に黒い魔物は消えていくのと同時に『おー!』と猫太から歓声があがってちょっとした優越感を抱く。

『漱石、今の、気づいてたの……?』

 大福の驚く声に、私は苦笑した。

「なんか、気配感じた」

 自分でも不思議だったのだけど、それは本当だった。
 気を張っているせいか……、いや、でも意のままに操れるようになる前だって注意してミッションに挑んでいたけど、こんな風にはならなかったなと思い直す。

 たぶん、この遺跡に来てからだ。
 なんとなく空気を肌で感じるというか……。今のも、言葉で表すのが難しいんだけど、嫌な気配がして、その後にフワッと風を感じたのだった。

(何言ってるの……、風を感じるわけないじゃない……)

 自分で言っておきながら、その違和感に突っ込みを入れる。

『なんだそれ、神ってんじゃん』

 冗談で言っていると思ったんだろう、茶化す猫太に「でしょ」と返して私は前に向き直り周りを見渡す。魔物が一匹とは限らない。

『来たよ』

 つぶやくような大福の声でそちらを見遣ると、ぞろぞろと現れた魔物が私たちを取り囲んだ。

「囲まれちゃったね」
『これ、何匹いんの? 多くね?』
『まぁ、やるしかないよ』

 私たちは冒険RPGらしく、背中を合わせて円陣を組んで臨戦態勢を組んだ。