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 翌日の昼前、寝起きの冴えない頭で階下に降りていけば、物音ひとつしないリビングが私を迎えた。コップに水を注いで一気に飲み干して見回すと、テーブルの上にラップにかけられた昼食が置かれていた。

『温めて食べてね。冷蔵庫にサラダもあるよ』

 母の字でそう綴られたメモを手に取り、そっと元の場所に戻す。
 今日は、頭痛がするからと学校を休んだ。昨日も遅くまでやっていたせいで頭が鉛のように重たくてとても学校に行ける状態ではなかった。

 嘘ではないけれど、正当な理由ではないことで学校を休む罪悪感を覚えつつも、私は今日やるべきことを心に決めていた。そのためについさっきまでぐっすり睡眠もとった。

 コップに水を再度注いでから、私は自室へと戻りパソコンの電源を入れる。慣れた手順でユートピアへを起動した私はVRゴーグルを装着した。

 この瞬間が、好きだった。
 特別な場所へ行くための、ちょっとした儀式のようで、心がわくわくする。
 でも、今日は不安と期待、そして少しの恐怖が胸の中で混ざり合っていた。

(大丈夫、私の勘は割といい方だ)

 根拠のない言葉で自分を落ち着かせようと試みたけど、依然胸のざわつきはおさまらないので深呼吸を一つ。そうこうしている間に、タイトルコールが現れて「ログイン中……」の文字が現れた。

 いくつかのユートピアの映像が流れているうちに、視界が開けホームにログインした。

(よかった、誰もいない)

 みんなが学校に行っている時間帯の今がちょうどいい。私は、昨夜――と言っても今日の明け方、大福たちとの会話中に頭に浮かんだあることを試すためにやってきたのだ。そして、それは猫太と大福のいない時にやりたかった。

 もし、私の勘が当たっていれば、私はそのまま裏ミッションに入るだろうから。
 裏ミッションがどんなものなのか、想像もつかないため、私はとりあえずホームにあるアイテムを入れておくインベントリから武器や防具、回復アイテムやポーションなどを取り出して荷造りにかかった。

「よし、こんなもんかな」

 一通り必要そうなものを詰め込んで、準備が整った。
 どこというわけもないのだけど、ホームから出ると少し開けた草原まで歩いて進んだ。今となっては、アバターはもはや私の体の一部と化していた。日を追うごとに、そのシンクロ度と正確さが高まっているのが自分でもよくわかるほどに。

「この辺でいいかな。……ってか、合言葉って、ただ言うだけでいいのかな……」

(ちょっと緊張する……)

 息を吸って、吐いて。

(私は、きっと大丈夫)

 更に深く吸って、ゆっくりと吐き出す。

 ――意識不明者の共通点とかからわかんないもんかなー。

 私は、猫太の言葉で、頭に浮かんだ言葉を口にした。

「Farewell to the real-world《現実世界にさよならを》!」

 拙い英語の発音で言い終えるや否や、視界が光に包まれ始め、眩しさに耐えかねて目を瞑った。

(やった! ビンゴ!)

 自分の勘が正しかったと証明され、私は思わずガッツポーズを取った――その時、

『今だ!』
「え、何⁉」

 叫ぶような声がスピーカーから聞こえ、驚いた私の体がビクつく。大きな声が出てしまい、まずいと思ったけど、今が両親の居ない昼間だと言うことを遅れて思い出した。

 視界は眩しくて、見ることも身動きすることもできないまま、光が和らぐのを待って目を開けると目の前には、

『よっ』

 と片手を上げる猫太と、少し気まずそうな顔の大福がいて私は言葉を失う。

「……な、なんで……っていうか、ここは……?」

 ――ピコン

【おめでとうございます!
 新しいミッションがスタートしました!
 詳細を指示書から確認しましょう】

 辺りを見渡そうとした矢先、通知音と共に視界の左端に文字が表示された。それは、ミッションを開始した時に表示されるお決まりの合図。

「――ということは……」
『裏ルートに辿りついたのか⁉』
『どうやらそうみたいだね』
「やったぁー! やったやったー!」

 ハグのエモートを使って三人で肩を抱き合った。

「ってそうじゃなくて! なんで二人がいるのよ!」
『なんでって、お前の考えてることなんかお見通しなんだよ。な、大福』

 笑顔の猫太と、その隣で首を縦に振る大福を見て、私は心の奥で安堵していた。本当は、一人で行くのが怖かったから……、今、二人がここにいることがとても心強い。

「二人ともなんでそんなに優しいのぉ」

 感極まるって、こういうことを言うんだ。ユートピアで意識不明になった啓子を探すという私の、無茶苦茶な考えにも真摯に付き合ってくれて、危険かもしれない裏ミッションにまでついてきてくれるなんて。

(もう、どう感謝したらいいのかわからないよ)

 滲みそうになる涙を必死に堪えたけど、ずっずっ、と鼻を啜る音がマイクに拾われて辺りに響いてしまう。私のアバターは今どんな顔をしてるんだろかと、知りたいような知りたくないような複雑な気持ちになった。

『感動するのはまだ早いだろ。家に帰るまでが遠足だからな。さくっとお前の友だち見つけて帰ろうぜ』
「そうだね。――そういえば、ここどこなんだろう」

 辺りを見回せば、どうやらどこかの遺跡のようだった。これまで色んな遺跡に行ったけど、どれ一つとして同じ造りのものはなかったから、ここもきっと他とは異なっているはず。

『さすが裏ミッション、地図も表示されないわ』

 遺跡の中でマップも使えないとなれば、迷いかねない。ミッション中に万が一ゲームオーバーになってしまえば、もしかしたら二度と裏ミッションには挑めない可能性だってある。
 そうなれば、啓子への手がかりが完全に絶たれてしまう。
 気を引き締めなければ。

「とにかくミッションの指示書見よう」

 このミッションがどんなものなのか、まずはそれを確認するべく私たちは指示書を閲覧する。そこには、こう書かれていた。

「遺跡の最奥の間に辿りつき、パズルを完成させよ。さすれば試されるだろう」
『パズルかー……、試されるって何をだ?』
『さぁ……』
「例の永住権とかってやつかな……」
『かもな』

 ゴクリと生唾を飲み込んだ。

(とうとうここまで来ちゃった……)

 もう、ここまで来たら戻れないことはわかっていたけれど、やっぱり啓子を探す道は永住権を手に入れるしかないのかもしれないと思うと背筋に冷たいものが走った。

 でも、悲観するのはまだ早い。もしかしたら道中で何か手がかりが見つかる可能性だってある。

「行こうか……」

 私たちは、目の前にある一つの通路を進んだ。