*
朝の教室は、人が頻繁に出入りして、挨拶や会話があっちこっちを飛び交い騒々しい。
その中で、私・佐藤真樹は席に座り、机に突っ伏して時間が過ぎるのを待っていた。
梅雨が明け、六月も半分が終わろうとしている今、教室内は最近取り付けられた真新しいエアコンによって夏とは思えない程涼しくて快適だった。窓の外からはかすかに蝉の鳴き声が聞こえてくるが、それもクラスメイトの話し声に負けていた。
「今日も眠そうだね」
聞きなれた声が自分に掛けられ、私は顔だけ横に向ける。窓から差し込む朝陽の眩しさに目を細めながら見上げた先には、クラスメイトの谷島由香が立ってこちらを見下ろしていた。
(そう思うなら、放っといてほしい)
心の中でそんな悪態をつきながらも、顔には笑顔を浮かべて「うん、眠い」と短く返す。次にどんな言葉がくるのかは、わかっていた。
「また遅くまで勉強してたの? さすが真樹ちゃんだよねぇ」
「あはは」
肯定とも否定とも取れない乾いた笑いで返したのには、理由がある。
私はクラスメイトの中で秀才扱いを受けているのだ。
偏差値を落として入学したこの高校では私の成績はトップクラスに入り、いつも眠たそうにしているのは、夜遅くまで勉強しているから、という事になっていた。
でも実際は違う。何をしていたのかと言えば、今流行りのオンラインゲーム「ユートピア」だ。夢中になりすぎて、昨夜眠りについたのは夜中の二時だった。
(あー、めんどくさい。ネトゲやってたって言いたい……んで、ネトゲの話で盛り上がりたい)
でも、クラスメイトにはネットゲームの話をしていないから、そんなことができるわけがない。それに、気づけばクラスで才女のイメージが定着してしまっていたため、「実はネトゲオタクです」とは言えなくなっていた。
今さらゲームやってるって言ったところで『勉強してないのに頭いいとか嫌味かよ』とか思われそうで嫌だった。
自分から妬みの原因を増やす程、馬鹿じゃない。
(息苦しい……)
本当の事が言えないこの状況が、嫌でたまらなかった。
仮面をかぶって自分を偽っているような、窮屈さ。
周りから勝手に「頭が良い人」というレッテルを貼られて、頭が良いから出来て当たり前だとか、頭が良いから待遇が良くて羨ましいとか、勝手に決めつけられたり妬まれたりすることに辟易していた。
「こんなんじゃ授業にならないから、保健室行っちゃおうかな~」
「またぁ? まぁ、真樹ちゃんなら授業サボっても大丈夫だもんね」
「そんなことないよ」
何が大丈夫なのか。
(授業さぼって大丈夫な人なんていないと思うんだけど)
思った事すら、口にだせない歯がゆさに首が締め付けられていくようだった。
高校という場所は、なんて窮屈で退屈なんだろう。
そう思っているのは自分だけなんだろうか、と不思議に思うけれど、きっと誰かに聞いたところで本音は聞けないだろうとわかっているから、そんなことをわざわざ確かめるようなマネはしない。
「由香ちゃん、担任きたら保健室行ったって伝えといてもらえる……?」
「いいよ。伝えとく」
「ありがと! 今度ジュースおごるね」
「約束だよ~!」
両手を合わせてごめんねのポーズを取ってから、私は教室を後にした。一歩教室の外に出ると、もわっとした空気に包まれた。その生ぬるさに体が冷えていたことに気づく。エアコンの涼しさはどうも体が冷えすぎて好きじゃないし、この外との温度差に体がついていけないせいか、体が重たく感じた。
「ふぅ……」
まだ授業が始まってもいないというのに、疲れがどっと押し寄せて、気持ちまでずん、と重たくなる。
私はHRの予鈴が鳴る中を、教室へ急ぐ生徒たちの波に逆らうように歩を進めた。途中、「どこ行くの?」というクラスメイトの声に笑って曖昧に返しながら、保健室へとたどり着いた。
「紗百合先生、やっほー」
「やっほーじゃないわよ、佐藤さん」
保健室のドアを後ろ手で締めながら挨拶すれば、明るい茶髪を後ろでまとめた養護教諭の江口紗百合先生があからさまに嫌そうな顔をこちらに向けた。「またサボりにきたの?」と目が言っている。
こうして保健室にサボりに来ることは度々あった。おかげで紗百合先生ともすっかり顔なじみになっている。
割とストレートに気持ちを生徒にぶちまける紗百合先生の性格が、気に入っていた。変に気を使う必要がなく、取り繕わなくていいのが楽でいい。
室内に漂うコーヒーの香ばしい香りを嗅ぎながら、私は長椅子に腰掛ける。
「良いなぁ、朝から職場でコーヒー飲んで。私にも一杯ちょうだい」
「だめよ」
「けち」
「で、今日も遅くまでネットゲームやってたの?」
「紗百合先生には隠し事できませんねぇ」
何度か保健室に足を運び、その度に仮病を使う私にある日紗百合先生は言った。
『本当の事言っても別に追い返したりしないわよ』
そして、彼女は本当に言葉の通り、「ネットゲームのやり過ぎで睡眠不足」と言って何度足を運ぼうとも、私を追い返すことはしなかった。いつも呆れながら「一時間だけよ」と言って寝かせてくれる。
私も、一時間だけ仮眠を取るとスッキリとして何ごともなかったかのように教室に戻って授業を受ける。
私の成績も保たれているから目をつぶってくれているのかもしれない。
「また例の『ユートピア』ってやつ? あれすごい人気よねぇ」
「そうそう。もう楽しくってやめられなくなっちゃうんだ。かなりおすすめだよ」
「私には何が面白いのかわからないけど」
「相変わらずツレないなぁ。じゃ、ベッドお借りしまーすっ」
「あ、こら!」
紗百合先生の制止も聞かず、私は二つ並んだベッドの内、カーテンの空いている手前のベッドに上履きを脱いで横になる。奥のベッドには先客が居るらしいけど、紗百合先生が声を潜めないところを見ると、私と同類のサボりなのかもしれない。
カーテンを閉めて早々にシーツの中にもぐりこんだ。
「ゲームもほどほどにしなさいよぉ」
カーテン越しに届いたお説教に「はーい」と気のない返事をして、私は目を閉じる。
(何しに学校来てるんだろ、私)
そんな思いが頭に浮かんできた。
自分を偽って、嘘の仮面を顔に張り付けて。授業も受けずに保健室でサボり。
互いの顔色を窺って、相手に合わせて本音も言えない「友だち」との疲れるだけの交流。
こんなことに時間を割いて、何の意味があるというのか。
学校という閉ざされた世界は、私の目にはひどく歪んで映った。
それと同時に、そこから抜け出す術も知らなければ、あまつさえ溶け込もうとしている自分も、充分この世界の住人になり下がってるではないかと、なんとも言えない気持ちになる。
(こんな世界、くだらない)
猛烈な睡魔に落ちていく途中、私は心の中でそう吐き捨てた。
朝の教室は、人が頻繁に出入りして、挨拶や会話があっちこっちを飛び交い騒々しい。
その中で、私・佐藤真樹は席に座り、机に突っ伏して時間が過ぎるのを待っていた。
梅雨が明け、六月も半分が終わろうとしている今、教室内は最近取り付けられた真新しいエアコンによって夏とは思えない程涼しくて快適だった。窓の外からはかすかに蝉の鳴き声が聞こえてくるが、それもクラスメイトの話し声に負けていた。
「今日も眠そうだね」
聞きなれた声が自分に掛けられ、私は顔だけ横に向ける。窓から差し込む朝陽の眩しさに目を細めながら見上げた先には、クラスメイトの谷島由香が立ってこちらを見下ろしていた。
(そう思うなら、放っといてほしい)
心の中でそんな悪態をつきながらも、顔には笑顔を浮かべて「うん、眠い」と短く返す。次にどんな言葉がくるのかは、わかっていた。
「また遅くまで勉強してたの? さすが真樹ちゃんだよねぇ」
「あはは」
肯定とも否定とも取れない乾いた笑いで返したのには、理由がある。
私はクラスメイトの中で秀才扱いを受けているのだ。
偏差値を落として入学したこの高校では私の成績はトップクラスに入り、いつも眠たそうにしているのは、夜遅くまで勉強しているから、という事になっていた。
でも実際は違う。何をしていたのかと言えば、今流行りのオンラインゲーム「ユートピア」だ。夢中になりすぎて、昨夜眠りについたのは夜中の二時だった。
(あー、めんどくさい。ネトゲやってたって言いたい……んで、ネトゲの話で盛り上がりたい)
でも、クラスメイトにはネットゲームの話をしていないから、そんなことができるわけがない。それに、気づけばクラスで才女のイメージが定着してしまっていたため、「実はネトゲオタクです」とは言えなくなっていた。
今さらゲームやってるって言ったところで『勉強してないのに頭いいとか嫌味かよ』とか思われそうで嫌だった。
自分から妬みの原因を増やす程、馬鹿じゃない。
(息苦しい……)
本当の事が言えないこの状況が、嫌でたまらなかった。
仮面をかぶって自分を偽っているような、窮屈さ。
周りから勝手に「頭が良い人」というレッテルを貼られて、頭が良いから出来て当たり前だとか、頭が良いから待遇が良くて羨ましいとか、勝手に決めつけられたり妬まれたりすることに辟易していた。
「こんなんじゃ授業にならないから、保健室行っちゃおうかな~」
「またぁ? まぁ、真樹ちゃんなら授業サボっても大丈夫だもんね」
「そんなことないよ」
何が大丈夫なのか。
(授業さぼって大丈夫な人なんていないと思うんだけど)
思った事すら、口にだせない歯がゆさに首が締め付けられていくようだった。
高校という場所は、なんて窮屈で退屈なんだろう。
そう思っているのは自分だけなんだろうか、と不思議に思うけれど、きっと誰かに聞いたところで本音は聞けないだろうとわかっているから、そんなことをわざわざ確かめるようなマネはしない。
「由香ちゃん、担任きたら保健室行ったって伝えといてもらえる……?」
「いいよ。伝えとく」
「ありがと! 今度ジュースおごるね」
「約束だよ~!」
両手を合わせてごめんねのポーズを取ってから、私は教室を後にした。一歩教室の外に出ると、もわっとした空気に包まれた。その生ぬるさに体が冷えていたことに気づく。エアコンの涼しさはどうも体が冷えすぎて好きじゃないし、この外との温度差に体がついていけないせいか、体が重たく感じた。
「ふぅ……」
まだ授業が始まってもいないというのに、疲れがどっと押し寄せて、気持ちまでずん、と重たくなる。
私はHRの予鈴が鳴る中を、教室へ急ぐ生徒たちの波に逆らうように歩を進めた。途中、「どこ行くの?」というクラスメイトの声に笑って曖昧に返しながら、保健室へとたどり着いた。
「紗百合先生、やっほー」
「やっほーじゃないわよ、佐藤さん」
保健室のドアを後ろ手で締めながら挨拶すれば、明るい茶髪を後ろでまとめた養護教諭の江口紗百合先生があからさまに嫌そうな顔をこちらに向けた。「またサボりにきたの?」と目が言っている。
こうして保健室にサボりに来ることは度々あった。おかげで紗百合先生ともすっかり顔なじみになっている。
割とストレートに気持ちを生徒にぶちまける紗百合先生の性格が、気に入っていた。変に気を使う必要がなく、取り繕わなくていいのが楽でいい。
室内に漂うコーヒーの香ばしい香りを嗅ぎながら、私は長椅子に腰掛ける。
「良いなぁ、朝から職場でコーヒー飲んで。私にも一杯ちょうだい」
「だめよ」
「けち」
「で、今日も遅くまでネットゲームやってたの?」
「紗百合先生には隠し事できませんねぇ」
何度か保健室に足を運び、その度に仮病を使う私にある日紗百合先生は言った。
『本当の事言っても別に追い返したりしないわよ』
そして、彼女は本当に言葉の通り、「ネットゲームのやり過ぎで睡眠不足」と言って何度足を運ぼうとも、私を追い返すことはしなかった。いつも呆れながら「一時間だけよ」と言って寝かせてくれる。
私も、一時間だけ仮眠を取るとスッキリとして何ごともなかったかのように教室に戻って授業を受ける。
私の成績も保たれているから目をつぶってくれているのかもしれない。
「また例の『ユートピア』ってやつ? あれすごい人気よねぇ」
「そうそう。もう楽しくってやめられなくなっちゃうんだ。かなりおすすめだよ」
「私には何が面白いのかわからないけど」
「相変わらずツレないなぁ。じゃ、ベッドお借りしまーすっ」
「あ、こら!」
紗百合先生の制止も聞かず、私は二つ並んだベッドの内、カーテンの空いている手前のベッドに上履きを脱いで横になる。奥のベッドには先客が居るらしいけど、紗百合先生が声を潜めないところを見ると、私と同類のサボりなのかもしれない。
カーテンを閉めて早々にシーツの中にもぐりこんだ。
「ゲームもほどほどにしなさいよぉ」
カーテン越しに届いたお説教に「はーい」と気のない返事をして、私は目を閉じる。
(何しに学校来てるんだろ、私)
そんな思いが頭に浮かんできた。
自分を偽って、嘘の仮面を顔に張り付けて。授業も受けずに保健室でサボり。
互いの顔色を窺って、相手に合わせて本音も言えない「友だち」との疲れるだけの交流。
こんなことに時間を割いて、何の意味があるというのか。
学校という閉ざされた世界は、私の目にはひどく歪んで映った。
それと同時に、そこから抜け出す術も知らなければ、あまつさえ溶け込もうとしている自分も、充分この世界の住人になり下がってるではないかと、なんとも言えない気持ちになる。
(こんな世界、くだらない)
猛烈な睡魔に落ちていく途中、私は心の中でそう吐き捨てた。