「へい、お待ち。味たまラーメン一丁」
「……あ、ありがとう、ございます」

 ──どうして、こんなことになったのか。

 僕は盛大に目を泳がせながら、目の前に置かれたおいしそうなラーメンを見つめる。
 結局、ノリと勢いで発された一青くんの提案を断りきれなかった僕は、河口から北上したところにあるオヤジさんのお店──ラーメン店──ののれんをくぐった。

 最初こそ異様に繁盛して大忙しだったオヤジさんのお店は、一青くんのヘルプもあって順調に客が回転し、今ではすっかり落ち着いている。
 白髪混じりの頭にタオルを巻きつけたオヤジさんは深く息を吐き、同じくタオルを巻いた一青くんの背を叩いた。

「ほら一青、ピークも過ぎたし、お前もお友達と一緒にカウンター座れ。どうせメシもまだだろ、まかない作ってやる」
「おっ? そんなに働いてないのにいいの?」
「そうか、座らねえなら仕方ねえ、閉店時間までたっぷり働いてもら──」
「うーっす、座ります! あざっす、オヤジ!」
「大将だっつってんだろ!」

 バシンと軽快に頭を叩かれ、常連客の笑い声が上がる。「相変わらず仲良いねえ」「後継ぎができて安心だな、大将」などと揶揄が飛ぶ中、オヤジさんは「冗談じゃねえ、こんなに生意気な後継ぎがいるか」と両腕を組んでいた。
 濃厚な豚骨の香りと店内の賑わいが僕を包む中、一青くんは隣の席に腰掛ける。どうにも落ち着かないでいると、彼は僕のラーメンを顎でしゃくった。

「食わねえの? あ、もしかしてラーメン苦手?」
「う、ううん、そんなこと、ない」
「じゃあ、冷めないうちに食えよ。麺伸びるぞ」
「う、うん」

 頭に巻いていたタオルを取りながら言う彼の忠告に頷き、僕はレンゲでスープを掬う。
 その時、脳裏には夕食を用意していた母親の顔がよぎった。小さな罪悪感を抱えつつ、僕はスープに息を吹きかけ、口に運ぶ。

 じゅわ。

 豚骨の濃厚な味わいなのに、スープは意外にも飲みやすい。ほのかに魚介の香りも感じる優しい味。とろりと舌の上に広がり、僕はほうと息をついた。

「……おいしい……」
「おっ、そーだろ? オヤジのラーメンは天下一品だからな、一度食ったら忘れられねーの」
「もっと、味が濃いかと思った……思ってたよりあっさりしてるね」
「オヤジ、あんなに無愛想で眉間にしわ寄せてっけど、スープの味は澄んでて繊細なんだよ。人は見かけによらねーよなー」
「おいこら、聞こえてんぞ一青」

 不機嫌そうなオヤジさんの声が投げかけられる。彼は一青くんの分のラーメンと、おにぎりを二つ、卓に置いた。

「二人で食べな、育ち盛りだろ」

 無骨に言い捨て、オヤジさんは厨房の奥に引っ込んでいく。その背中を見遣り、一青くんはにやりと口角を上げた。

「はい出た出た、オヤジのツンデレ」
「……い、いいのかな、おにぎりまで……」
「いいよいいよ、遠慮すんなって。オヤジは俺らみてーなクソガキに文句言いつつ、世話すんのが好きだからさ。優しい人なんだよ」

 穏やかに笑みを浮かべ、一青くんは割り箸をわる。「いっただっきまーす」と明るく発して豪快にラーメンをすする彼。
 僕の脳裏には、やはり母の作った肉じゃがが浮かんだ。だが、空腹には抗えず、おのずと目の前のラーメンに箸が引き寄せられてしまう。

 ズルズル、ズズッ。

 少しだけ柔くなった細麺を箸で掴み、濃いオレンジ色の味玉の黄身と絡めて、口に運ぶ。次はふやけた海苔や、輪切りのネギも一緒に。脂の乗ったチャーシューは少しずつ、麺と一緒に味わって。
 湯気で顔は汗ばみ、時々鼻水すら出そうになって、冷たいおしぼりを顔に押し当てた。ちらりと隣を一瞥すると、一青くんも同じようにおしぼりで顔を冷やしている。

 家の外で、誰かとこうしてご飯を食べるのは、僕の記憶の中では初めてのことだ。
 僕には元々たくさん友達がいたらしい。けれど、〝僕〟が出会って、話をした人は、この人が初めて。

「なあ」

 店内が酔ったおじさんたちの笑い声で賑わう中、一青くんは僕に問いかけた。

「そういや、あんた、名前は?」
「え……」
「もう俺ら、同じ釜のメシ食った友達だろ。教えてよ」
「……」

 ──悠陽。

 目覚めてから何度も呼びかけられた呪いの言葉が、脳裏に飛び交う。僕はごくりと生唾を飲み、箸を置いて俯いた。