「ほんと、ずっと、君のことなんて忘れたままでいた方がよかったのかもね」
肩をすくめながら言えば、一青はじろりと僕を睨んだ。ゲームで僕にコテンパンにされて負けてコントローラーを投げ出した時と同じ表情だ。
つまるところ、これはとてつもなく拗ねている時の顔。僕は懐かしい気持ちになりながら笑い、遠くの海に視線を投げた。
「でも、やっぱり簡単には忘れられなかったよ。頭の中から君のことが消えても、あんだけ色んな場所に君との思い出が残ってれば、嫌でも君を思い出しちゃう」
「……」
「一青こそ、自分で言ったこと、忘れたんじゃないの。僕の顔に泥塗りたくないとか言ってるけどさ、僕の記憶がない時、僕にこう言ってくれたのは君じゃないか。『顔に泥を塗ろうがペンキ塗ろうが、あんたはあんただ』──って」
穏やかな風の中、僕は遠くの水平線を見つめながら告げる。あの言葉があったから、自分自身に後ろめたさを感じていた僕でも、自分の顔に泥を塗ることが怖くなくなった。
記憶がなくても、性格が変わっても。
僕は、今も昔も、僕のままなんだと思えたから。
「自分の気持ちに泥をかぶせて、ずっと埋め込んだままにしてるのは、君の方でしょ」
「……っ」
「たしかに、僕らの家庭の間には、昔ちょっと色々あった。でも、僕らの間には、問題なんて一つもない。僕らが僕らの関係をなかったことにして、土の中に埋めて、しまい込む必要なんてどこにもないんだ」
爽やかな海風に互いの髪を遊ばれながら、僕は言葉を紡ぐ。
雨降って地固まる──なんて言うけれど。
僕らの場合は逆じゃないだろうか。
必死に泥をかぶって、土の中に隠れていても、結局は雨が全部洗い落として、姿が丸見えになってしまう……そんな間抜けな関係性のような気がする。
「ねえ、一青」
風の中で呼びかければ、一青の代わりに海鳥が鳴いた。一青は俯いたまま、何も言わない。
「今回の件で、どれだけ自分を隠しても、君を忘れようとしても無駄だってことがよく分かった。だからもう、僕、泥で自分の感情を隠すのはやめるよ」
「……」
「君もそろそろ、土の中から出てくれば? いつまで冬眠してんだか。春なんかとっくに過ぎて、夏になっちゃったじゃん、寝坊助」
頑なに僕を見ようとしない一青の肩を抱き、こちら側へ引き寄せた。彼は一瞬抵抗しようとしたようだが、結局抵抗せず、僕の方へと寄りかかる。
「友達に戻ろう」
耳元で告げると、腕の中の一青が息を飲んだのが分かった。
「久しぶりすぎて忘れちゃったなら、自己紹介してあげようか? はじめまして、悠陽です。三月五日生まれ、うお座。よろしくお願いします」
などとわざとらしい自己紹介までしてみせれば、彼は悔しげに唇を噛み、ぽこんと力なく僕のことを殴る。
そしてついに、掠れた声を放った。
「……ずるいだろ、悠陽」
「ん? 何が?」
「全部だよ……全部、ずるい」
ぐす、と鼻を啜り上げる音が聞こえる。次第に体から力が抜けて、僕の方へと体重をかけてくる。
「……何でだよ……何で、俺なんかと、ずっと一緒にいようとすんの……何で、忘れてくんなかったの……」
「んー、何でだろうね」
「俺、中卒だし、資格もないし、貧乏で、フリーターで……誇れるもの、何もないし……」
「あははっ。見た目は陽キャなのに、実は卑屈なところも全然変わってないね」
「うっせ……」
拗ねたようにこぼし、一青は僕にもたれかかったままぐりぐりと額を押し付けてくる。なんだか昔に戻ったようで懐かしさを感じつつ、僕は「それで?」と首を捻った。
「一青、返事は?」
「……」
「僕と、友達になってくれる?」
改めて問いかけ、俯く顔を覗き込む。
すると一青はすっかり赤く充血した目で僕を睨み、ぶすっと唇を尖らせたまま告げた。
「……もう二度と、俺のこと忘れないって誓えるんなら、いいぞ」
「うわっ、やっぱ一度忘れられたこと本当は根に持ってるんだ! 陰湿〜」
「うっせ、うっせ! 忘れられんの、結構ショックなんだからな!」
「あはは! でも、きっと大丈夫だよ。安心して」
僕は微笑み、まだ不服げな顔をしている一青へと寄りかかった。
「──またいつか記憶喪失になったとしても、絶対に君のことだけは、忘れられないだろうからさ」