最初に意識を持った時、〝僕〟は〝誰か〟と目が合った。
 すぐに顔を逸らしたその人は、僕に背を向け、どこか遠くへ離れていく。

 手を伸ばしても届かない。
 名前を呼びたくても声が出ない。

 でも、いま思えば、あれはきっと、君だったんだろう?



「……一青」

 ザザア、ザザア……。波の鼓を耳で拾い上げながら、僕はいつもの堤防にいた。
 本日は快晴。風も弱く、波も低い。絶好の釣り日和だというのに、僕が探していたその人は、釣竿も持たず堤防の(へり)に腰掛けて海を眺めている。

「何しに来たんだよ」

 素っ気ない声だ。こちらに視線を向けようともしない。
 寂しがり屋なくせに負けず嫌いなところは相変わらずだと少し呆れる。僕は一歩近付き、彼の背中に語りかけた。

「君と仲直りしに来た」

 冷静に本題を投げかければ、返ってきたのは嘲るような乾いた笑い声。小馬鹿にしたような雰囲気すら感じるが、僕は動じない。

「仲直りぃ? 何言ってんだ、笑わせんなよ。記憶ないからそんな提案できんだろ」
「記憶なら戻ったよ。全部」
「だったら尚さら無理だっての、仲直りなんてできるわけない」
「本当にそう思ってる?」
「当たり前だろうが、俺らの家庭の間で何があったと思ってんだよ! お前だって俺のツラなんか二度と見たくねえはずだろ!!」

 ようやく振り返った一青は、僕の顔を睨みつけて怒鳴った。背後で僕らの様子を眺めていた野良猫は飛び上がり、目を丸くして離れていく。

「親同士が仲悪くなったあと、俺は中卒、お前は私立高校の人気者だ! もう俺なんかいらねえだろ! 記憶戻ったんだったら俺なんかに構ってないで他の友達のところ行けよ!! 何でずっと俺んとこ来るんだよ!!」
「あー、なるほど、それで拗ねてるんだ」
「はあっ!? 拗ねてなんか……!」
「拗ねてるだろ。分かるよ。一青は寂しがり屋で負けず嫌いで独占欲が強いから、僕が別の友達のこと褒めると拗ねて、唇がとんがる。可愛いヤツだね、相変わらず」

 微笑みながら言えば、一青はことさら悔しげに眉根を寄せて頬を赤らめた。彼は再び顔を背け、頭を抱える。

「俺のことからかいに来たんなら、もう帰れよ……俺が何したのか知ってんだろ……」
「僕が事故に遭ったこと?」
「そうだよ、結果的に無事だっただけで、お前危うく死ぬところだったんだぞ! 俺がお前から逃げたせいで……!」
「でも、戻ってきてくれたじゃん。僕、覚えてるよ。事故に遭ったあと、君が僕のところに駆け寄ってきて、救急車呼んでくれたこと」

 思い出した記憶をそのままなぞると、一青は気まずそうにそっぽを向いて黙り込む。

「病室にも、しょっちゅう通ってくれてたでしょ。僕のお母さんに怒鳴られても、いない時間を狙って、こっそり会いに来てくれたでしょ」
「うるさい……」
「記憶がなくなったあとも、町でわざとすれ違ったりして、遠くから僕の様子見てたよね。最初に釣り糸が絡んだのもわざとでしょ、素直じゃないよね」
「お前の顔に泥塗りたくなかったんだよ!!」

 一青は観念した様子で白状し、陽の光を反射してキラキラ光る海面を見つめる。

「お前と俺は、もう住む世界が違うから……っ、俺なんかと関わって、それなりに上手くやってるお前の評価に傷をつけちゃいけないと思ったんだ! これ以上、俺といても、お前の印象が悪くなるだけだと思って……!」
「……ふーん」
「でも、お前の釣りの仕方が、あまりに下手で……ちょっとだけアドバイスするつもりで、お前のいる方向に釣り糸投げて、接点作っただけだった……。それなのに、お前と久しぶりに喋れて、嬉しくなっちまって……それで……っ」

 話をまとめきれず、早口で語り始めた彼の声は、徐々に細くすぼんでいく。
 やがて一青は弱々しく項垂れ、「もう、勘弁しろよ……」と顔を覆った。

「俺のことなんか、ずっと、忘れてくれてたら良かったのに……何で、思い出すかな……」

 ぐしゃり、亜麻色の髪を握り込む一青。今にも泣き出しそうな声をしている。
 その姿は本当に小さい頃と変わらなくて、僕は思わず笑ってしまいながら、彼に近付き、そっと隣に腰掛けた。