翠月祭の会場はそれなりの人出で賑わっていた。
 信徒だけではなく、その家族や一般参加者もいるのだろう。施設前の広場にテントや折りたたみ式の机を設置し、焼きそばやかき氷やフランクフルト、例の怪しげな薄紅色の飲料が安価で振舞われている。フレンドリーな演出で敷居を低く見せるつもりなんだろうが、代表の著書や教団のグッズは、見るからに売れていない。その毬藻にしか見えないストラップ、本気で売れると思ったの?

 代表である月詠の説教が始まると、一般参加者のほとんどは帰ってしまった。残るのは信徒と、この後執り行われる儀式に興味がある者達のみ。ざっと数えて50人強といったところか。やがて二人の女性信徒に付き添われて、白いローブに身を包んだソーマが会場に姿を現した。胸元には翠の液体を閉じ込めた小瓶のペンダントトップ。「巫女様」や「ソーマちゃん」と、信徒達から声が掛かる。「ソーマたん」はあんまりだと思ったが、巫女はその全ての声に笑顔で応えた。代表とのカリスマ性の差を目の当たりにし、思わず苦笑がもれる。

 セミナーを受けた時も、どこかしっくりしない接木めいた物を感じたが、周囲から聞こえる話を総合すると、月詠の興した新興宗教に、後からソーマを迎えた事がその理由らしい。紛い物の宗教に本物の神を結びつけて箔を付けたのか、実存する神を隠すために偽りの宗教を利用したのか。どちらにせよ、顧問を名乗る宮坂の仕組んだ事だろう。

「こんばんは、皆さん。ついにこの夜を迎える事ができました」

 ソーマが大人びた口調で語り始める。一声で信者が引き込まれるのを、月詠が憮然とした表情で眺めている。

「みなさんと今夜を共に過ごせる事を、心から嬉しく思います」
「いいぞ、ソーマたん!」

 と、弁えない男の声が掛かるも、彼女は笑顔で返す。マスコット的な意味合いでも愛されているのだろう。俗っぽい中年男性と比べれば、僕だって彼女を選ぶ。……ロリコン的な意味では無しに。巫女はちらりと代表に目を流し、

「例年行われてきた翠月祭は、今夜のための予行演習のような物です。今日の良き日を迎えるため、皆を導いてくださった月詠様に感謝を表しましょう」

 台本に無かった台詞なのか、湧き上がり次第に大きくなる拍手の渦に、月詠が相好を崩しつつ応える。頭の回転が速く、人の感情を読むのもうまい。喝采にやにさがっている中年男より、よほど教祖の器に相応しい気がする。

「今日は正しい星辰の位置を示す夜。約束します。ここにいる皆さんは必ず緑の月を目にし、直にアムリタを授かる事ができると。共に神と一つになれる悦びを迎えましょう」 
「ソーマたんと一つに!」

 自重しろ。ソーマに従っていたローブ姿の女性信徒が、声の主を引き摺って行くのが目に入る。星辰――星の事か。間もなく月は中天に懸かろうとしている。件の男は明らかに羽目を外しすぎだったが、巫女の登場とその言葉により、場の雰囲気が日常から変化したのを感じた。この場にいる者のほとんどが、何かが起こる予感めいた物を抱いているようだ。

 そして儀式が始まる。

            §

 正面の祭壇に、金糸で刺繍を施されたローブを身に纏う教祖が向かい、その後ろに、信徒達が円を描くように立つ。中心には巫女の姿。
 見学者はその様を少し離れた所から眺めている。僕もその中の一人だ。
 巫女を囲む信徒達の中に宮坂の姿はない。

「る・らー・る・いらー・んぐないー・んぐなうー……」

 夜空を見上げ、両手を差し伸べ。鈴を振るような声で、ソーマが月に唄を捧げる。皆一様に空を見上げている。怪しげな儀式が、幼い少女ただ一人の存在で、厳粛な物に様変わりする。

 アスキスは現れないのか?

「ゆ・いらー・ゆ・らーる・い・うるえ・いあー・いあー……」

 うっとりと、眠るような眼差しで月を見上げるソーマ。澄んだ声が夜空に響く。

 ソーマの胸元に揺れるペンダントが、淡く翠の光を放つ。気のせいか、降り注ぐ月の光も微かに翠がかってきた。本当に召喚が始まったのか!? 信者達は軽いトランス状態にあるのか、うっとりとした顔で月の光を浴びている。

 見学者達がざわつき始めた。僕や信者達だけでなく、彼らの目にも、同じ光景が映っているのか?

 なんだか胸元がむずむずする。こんな時に、蚊にでも咬まれたか。

 不意にソーマの詠唱が中断される。何が起こったか理解出来ずに静まり返る中、どこかから微かな忍び笑いのような声が響いてくる。

「来るよ……。風に乗って悪魔が来る」

 怯える巫女が、震える声で不吉な託宣を下した瞬間。僕の胸元にシャボン玉のような虹色の球体が弾けると、ふわふわした繊毛を持つ使い魔・ルールーが飛び出した。

「うわああああ!?」

 驚く僕に構う事無く、宙に浮かぶ使い魔は2本の触腕を複雑に動かす。奇妙な風が地面に不可視の魔方陣を描くのを、舞い上がる土煙で理解した。

「あははははははははははははは!!」

 悪役めいた高笑いと共に、腕を組んで踏ん反り返る黒衣の魔女が宙に滲み出る。

「何重にも結界が張ってあったが、お前のおかげで楽に入れた」

 むずむずしていた胸元に血が滲んでいる。僕に埋め込んだ触媒を利用して使い魔を送り込み、さらにその使い魔を足場に、敵地に無理矢理捻じ込んだという訳か。

「僕を利用したのか!?」
「ありがとな、奏氏」

 アスキスの一言で何も言い返せなくなる。燐光を纏う細い指が僕の胸元を撫でると、小さな傷口は跡形も無く塞がった。それに今、名前で呼ばなかったか? そんな些細な事で頬が熱くなるのを自覚する。下僕として調教されつつあるのか、僕は?

「あっちはあっちで何か手を回したようだ。この件に神智研の介入はない」

 それは横槍を入れられる心配が無いという事だが、同時に手助けが見込めないという事でもある。緑の月の顕現を僕達だけで、いや、僕は数に入れていないはずだから、一人で阻止するつもりなのか。

 見学者達は驚いて逃げ出すか、遠巻きに様子を見ている。虚ろな眼差しのままの信者達の中から、巫女を射抜く魔女の視線を遮るように、長い髪をポニーテールにした、白いローブ姿の若い女性信者が立ちはだかる。

「お姉ちゃん!」

 ソーマの切羽詰った叫び。駆け寄り縋り付く。

「あんたは儀式を続けな。神様呼んでみんなを幸せにするんだろ?」
「お姉ちゃんも一緒じゃないと!」
「……どうかな。あたいは一人でブラブラするのが性に合ってるから」

 泣き出しそうなソーマの頭を、くしゃりと乱暴に撫でる。

「奴を倒してから考えるさ。行けよ、ソーマ」
「でもあいつは……」

 怯えた目で黒衣の魔女を見る。

「大丈夫」

 巫女にウィンクして送り出すと、ローブを脱ぎ捨てる。現れるのは西部劇で描かれるガンマンのような姿。

「初めましてだな、銀の鍵の魔女。あたいはセブンライブス。金さえ貰えば神でも悪魔でも殺してみせる、雇われ者のガンマンだ」

 セブンライブスの銃が、ホルスターの中耳障りな金属音で唸りを上げる。

「今回は弾層をフルに充填して貰える、やりやすい仕事だったはずなのに、魔弾を三発も使ってまだ仕留められないとはね。おまけにその後足取りが掴めずに、探しに出した信徒達まで戻りゃしない。ちょうど良い。あんたから顔を出した以上、今度は逃がしゃしないよ!」

 馬鹿にしたように鼻で笑うアスキス。

「影からこそこそ狙い撃ちしか出来ないくせに、偉そうにするな。ティンダロス――」

 銃使いの顔色が変わる。

「――しつこいだけが取り得の浅ましい獣。その骨を削って作り上げた銃把。魂を捧げ、狙った相手を必ず殺す神器だろ。調べ事をしてたんだよ、無限回廊の書庫でな」
「道理で見つからないわけさね。OK,OK.今度は最初から全力で潰す!」

 言うや抜き撃ちで魔弾を放つセブンライブス。銃声は一つだが、唸りを上げて迫る魔弾は3発。再び始まるソーマの詠唱をバックに、魔女と銃使いとの決闘が開始される。

 月の光は次第にその翠の輝きを濃くする。月に向かい唄うのはもはや巫女だけではなく、信者の全て。逃げ出さずにいた見学者の中からも、詠唱に加わる者が現れる。皆一様にトランス状態。

「アムリタの効果だよ」

 教団施設の屋上に姿を現した宮坂が語りかける。あれだけ執着していた瞬間を、特等席で見ないはずがない。

「私が作った模造品だがね。貴重な本物は僅かにしか手に入らないのでな」

 蒼い光の尾を曳き、自在に宙を舞いアスキスを狙う3発の魔弾。今度は自動追尾じゃない。現れては消えるアスキスを、連携し猟犬のように狩り立てる。銃を構えたまま集中するセブンライブスの瞳が、蒼い炎を上げている。目視出来る場所からなら、自在に操れるという事か。


「アムリタを使って、無名都市中の人間を信者にでもするつもりですか!」
 高みの見物を決め込む宮坂に向かって叫ぶ。

「ふむ。拝月教は方便だ。信者になろうがなるまいがどうでも良い。私が興味があるのは、緑の月の神が持つ、精神感応・接続の力だ。群体など、生物界では極簡単な生物が形作る物ばかりだが、人間を素材に、神の力を使った群体を作れるとしたら? 興味深いとは思わんかね?」

「あなたは人間を実験材料だと!?」

 眼鏡を直して応える科学者。
「そう考えているのは神々だ。私はその手助けをしているに過ぎない」

 不思議そうな声色。僕の声に含まれる非難の色の意味が理解できないらしい。

「……狂ってる」

 今や完全に顕現を果たし、空に浮かぶ緑の月。
 その正体は、巨大な水球――おそらく、宮坂がアムリタと呼ぶ物の海。本物の満月と重なり、翠の光を降り注ぐ。まるで深い海の底から眺めるような光景。

「さあ、もうすぐだ。もうすぐ始まる」


 撃ち抜いたかと思えば、掻き消えるアスキス。風を孕んだスカートがひらめき、蒼い光の乱舞する様は、まるで黒い蝶を蛍が追うように見える。風音と金属的な唸り声を撒き散らし、目まぐるしい攻防が続く。

「逃げてるだけじゃ、あたいにゃ勝てないよ!」
「それもそうだ」

 セブンライブスの挑発に乗るように、アスキスが現れた瞬間。魔弾がその姿を捉えたかと思われたが、小さな魔方陣が唸る魔弾を食い止めている。魔女が何かを呟くと同時に、魔弾の後方に現れた使い魔が、光を失った弾丸を捕らえ喰らう。

「ワンナウト」
「なっ!? そんな短時間で解呪出来るはずが!?」

 銃使いが唖然とした声を漏らすが、攻撃の手は緩めない。アスキスが紙一重でかわした魔弾を、別の魔弾が弾き、想像もしない角度から魔女を襲う。

「ツーアウト」

 再び小さな魔方陣が食い止めた魔弾を、今度は自らの手で摘み取り、光を失ったそれをルールーに投げ与える。

「馬鹿な!?」

 理解出来ない物を見る目でセブンライブスが叫ぶ。最後の魔弾が銃使いの戸惑いを表すかのように、耳障りな唸りを上げながら、黒衣の少女の周りを飛び回る。

「その神器は、元々自分の魂を捧げて相手を殺す呪殺のための物だ。一人一殺が基本。他人の魂を奪って生きる三流魔術師あたりが回転弾層を後付したんだろうが」

 魔弾を煩げに見遣りながら、見下すように鼻を鳴らす。

「温いんだよ! どうせお前らの神の従者に成り下がって、人間辞めた奴らの魂を使ったんだろうが、同じなんだよ、魂の波動が。おかげで一発解呪出来りゃ、後は繰り返しだ」

 悔しげに歯噛みする銃使い。

「最初にあたしを狙った魔弾が、全部違う魂を込めた物だったなら、とっくにお前の勝ちだったのにな」

 哀れむように魔女が嗤う。

「Reload!」

 セブンライブスが弾層を空にすると、断末魔の悲鳴を上げた魔弾は光を失い、地に落ちた。

「Offer My Soul!」

 地面にばら撒いた空薬莢の代わりに、豊かな胸元に押し込まれていたペンダントトップ――銀の弾丸を取り出し、装填する。僅かな瞑目のあと右手だけで銃を構え、静かに狙いを定め――

「Fuck Up!!」

 叫びと共に撃ち出された弾丸は、蒼い炎を纏い、ただ真っ直ぐにアスキスの心臓を狙う。

「良いぞ銃使い! あたしを殺したかったら命懸けで来い!!」

 魔女の作り出す風の壁を、次々撃ち抜いて迫る蒼い弾丸。

「貫けえぇぇぇぇぇぇッッ!!!」

 最後の壁に浮かぶ魔方陣を突き破らんと、セブンライブスの絶叫に魔弾の咆哮がシンクロする。魔方陣がその輝きを失い、風の壁を貫いたかと思えたその時、アスキスに重なるように、翼を持つ異形がその姿を現した。

 魔弾はハスターの残骸の空洞になった胸郭に飲み込まれ、目まぐるしくその内部を駆け巡った後、闇に包まれその輝きを消した。

「スリーアウトだ」
「What the hell? 何処に消えたってのさ!?」

 セブンライブスの背後に現れた使い魔が、その足元に風の魔方陣を形作る。

「黒きハリ湖。ヒアデス星団の暗黒星さ」
「……!? Damn it!」

 ようやく使い魔に気付いた銃使いの身体を、魔方陣の中に吹き荒れる嵐が空高く舞い上げた。

「地球まで光の速さでも65年。魔法で次元を越えでもしない限り、生きてるうちにあたしの心臓まで届かないだろうな」

 地面に叩きつけられ、壊れた人形のように転がるセブンライブス。手足が変な方向に折れ曲がっている。不意討ちで追い詰められていた時ならともかく、本物の神の力を引き出すアスキスの前では、人間の作った神器程度では相手にならないって事か。でも、セブンライブスの攻略法を探してきたのなら、何故最初からハスターの力で圧倒しない? ひょっとして、殺さないよう手加減したのか?

「あははははッ! 猫でさえ9つの命を持つのに、7つじゃまるで足りやしない! 力の差を思い知ったか!? あたしが本気を出せばざっとこんなもんだ。10年早いっての!!」

 ……違うかもしれない。根に持っていただけか。

「お姉ちゃん!!」
 ソーマの悲痛な叫びが響く。

「よくもッ……!」

 目に涙を滲ませながらも、あざ笑う魔女を睨み付ける。ペンダントの燐光が激しく明滅し、その輝きでソーマを包む。

 巫女の怒りに呼応するかのように、緑の月が降下し始める。本物の月が落ちてくるような、狂った遠近感。視覚的な物だけではない。見えない無数の指が己の支配下にある者を探すような、精神を弄られる感覚。おぞましさに鳥肌が立つ。

「アスキス! あれが落ちてきたら、この場だけじゃなく、この街中の人たちが緑の月に狂わされるんじゃないの!?」
「……だろうな」

 ソーマと視線を戦わせていたアスキスも、その視線を降下し続ける緑の月に移す。

「早く何とかしないと、みんな――」
「知るか!! あたしはあたしの為に戦ってるんだ!」 

 黒衣の魔女が吐き捨てると、その苛立ちに呼応するかのように、異形の残骸が耳障りな啼き声をあげ、片方だけの翼で舞い上がる。上空で、風を纏ったハスターが緑の月と拮抗する。水球は偽足を伸ばしハスターを飲み込もうとするも、風の壁がそれを阻む。

「神様なのに、そんな残骸取り込めないのッ!? それじゃあ――」

 小さな握りこぶしを作り、悔しそうに宙を見上げていたソーマの目が、アスキスに移る。
 水球から伸ばされた偽足の一つが切り離され、落下した巨大な雫が黒衣の魔女を捕らえる。

「あはっ! わたしの神様と違って、そっちは壊れたものをあなたが使っているだけでしょう? あなた自身は所詮人間。どんなに強くても、同じになっちゃえばもう怖くない!」

 風を纏って抵抗するも、ハスターとの繋がりを阻害されるのか、次第に緑の液体に飲み込まれて行く。
 直径にして7、8mはあるだろうか。地上に落ちても歪な球を保つアムリタの中で、ついに力尽き浮かぶアスキス。口から空気の泡が漏れる。おそらく肺にまで緑の月の神の浸入を許してしまっただろう。

「アスキス!」

 助け出そうと、アムリタに手を突っ込み、何とかアスキスの手を掴むも、水球の中心に重力があるかのような奇妙な感覚に囚われ、そのままアムリタの水面に落下――取り込まれてしまう。