翌日、朝一で沢井先輩にジャージを返しに行った。そこで沢井先輩が園崎の所属するサッカー部の新キャプテンであることも知った。
「ジャージありがとうございました」
「あーいいよいいよ。透ちゃんから聞いたけど、うちの馬鹿が迷惑かけたんだろ?」
俺は苦笑いする。
「先生には言わんといてよ? 不祥事認定でもされたら最後の大会出られなくなるからさー」
沢井先輩の口調は軽いが、目が笑っていない。
「園崎には俺から馬鹿なことすんなって言っといたから安心してねー。透ちゃんにも頼まれたしさ」
早速教科書を隠された、とは言えなかった。犯人が園崎とは限らないから。
でも、透にぃは俺の事情も全部分かってくれていた。俺の荷物を全部預かってくれることになった。俺の教科書もノートも全部、透にぃのロッカーに入れさせてもらっている。園崎たちだって、わざわざ2年生の教室に忍び込んだりしない。
「休み時間はずっとここにいなよ」
俺がお願いする前に透にぃから提案してくれた。十分休みも全部透にぃの教室で過ごした。
「潤くん、お昼はお弁当?」
「いつも購買でパン買ってる」
一日五百円のパン代をもらい適当に何個か味のしないパンを買っている。
「じゃあ、僕も一緒に行くよ」
「いいの? ありがとう」
やっぱり、透にぃは優しい。透にぃはお弁当を持ってきているのに俺に付き添ってくれた。
友達と一緒にご飯を食べるのは初めてだった。透にぃは年季の入った随分と大きな弁当箱を持ってきていた。お肉や茶色いおかずがたっぷり入っていた。
透にぃは箸の持ち方が綺麗だった。本当に非の打ち所がない人だ。透にぃに見とれながら、パンを食べる。
「美味しい……」
思わずつぶやいた。久々にちゃんと味がしたから。最近何を食べてもろくに味がしなかったのに。
両親が共働きで家でも一人で食べていた。誰かと一緒に食べるご飯がこんなにおいしいなんて初めて知って、パンに夢中でかぶりついた。
「潤くん、美味しそうに食べるね。見てるこっちも幸せな気持ちになる」
透にぃが笑いかけてくれる。
「良かったらちょっと食べる? 僕、少食だから食べきれなくて」
そう言って大きな弁当を指差す。
「いいの?」
「うん、残して帰るのも申し訳ないからさ」
「じゃあ、いただきます」
透にぃは唐揚げを一個箸でつまむと、俺の口の前まで持ってきた。
「はい、あーん」
落とさないように反射的に食べる。食べた後、少し気恥ずかしくなって目をそらしてしまった。ドキドキが止まらない。
「あっ、ごめんね。そうだよね、子供扱いみたいなことして、失礼だったよね」
「違うっ! そうじゃなくて、どう反応したらいいかわからなかっただけ!」
透にぃはやたら謝る。何も悪いことはしていないし、俺のためにしてくれていることで、俺は透にぃに対しては感謝しかないのに、どうして謝るんだろう。
「それに、実際俺年下だし。ほら、お兄ちゃん欲しかったって言ったじゃん」
「ならよかった。もっと食べる?」
「うん!」
透にぃは今度はハンバーグを綺麗に箸で割って、半分を食べさせてくれた。
「お父さんが昔使ってたお弁当箱だからさ、ちょっと僕には大きいんだよね」
「そうなんだー、物持ちいいね」
「小さいの買ったんだけど、おばあちゃんが『いっぱい食べないと大きくなれないよ』って結局大きいお弁当作るんだよね」
「分かる。俺もおばあちゃんの家行くとすごい量のご飯出てくる」
「やっぱり、これあるあるだよね?」
顔を見合わせて笑った。こういう他愛もない話をするのも、心から笑えたのも初めてだった。目に映る世界の全ての景色がワントーン鮮やかになった気がした。
教室での待遇も大分マシになった。せいぜい悪口を言われるくらいで、暴力はなくなった。
とはいえ、小さい頃は悪口でも充分傷ついていたわけで今でもダメージがゼロになったわけではない。結局リストカットは完全にはやめられなかった。
少し前までは明日が来ることに毎日怯えていた。年々無駄にボキャブラリーの増える誹謗中傷、園崎たちはどんどん悪いことを覚えて、力が強くなって、手口も巧妙になって、ただただ大人になるのが怖かった。どうせ大人になったって逃げられないのは分かっていたから。
親曰く、大人の世界にもパワハラやいじめがあって、それは子供の世界よりずっと陰湿らしい。今よりひどい状況を想像するだけで泣いていた。
逃げ出したかった。できるなら時が止まったネバーランドに。このまま夜が終わらなければいいのにと何度も願った。
でも、今は明日が来るのが怖くて眠れないなんてことはない。よく寝て、よく食べて、それなりに元気に過ごせるようになった。
最近は透にぃと一緒に登下校している。この日々がずっと続いてほしい。
「ごめん、もうちょっとゆっくり歩いてもらってもいい? 膝痛くてさ」
「えっ? 大丈夫? 怪我?」
「違う違う、成長痛」
「そうなんだ、羨ましいな」
「透にぃのおかげかも、ちゃんと夜寝られるようになったし、食欲も戻ったし、それで背伸びたのかも」
そう、全部透にぃのおかげだ。
「ジャージありがとうございました」
「あーいいよいいよ。透ちゃんから聞いたけど、うちの馬鹿が迷惑かけたんだろ?」
俺は苦笑いする。
「先生には言わんといてよ? 不祥事認定でもされたら最後の大会出られなくなるからさー」
沢井先輩の口調は軽いが、目が笑っていない。
「園崎には俺から馬鹿なことすんなって言っといたから安心してねー。透ちゃんにも頼まれたしさ」
早速教科書を隠された、とは言えなかった。犯人が園崎とは限らないから。
でも、透にぃは俺の事情も全部分かってくれていた。俺の荷物を全部預かってくれることになった。俺の教科書もノートも全部、透にぃのロッカーに入れさせてもらっている。園崎たちだって、わざわざ2年生の教室に忍び込んだりしない。
「休み時間はずっとここにいなよ」
俺がお願いする前に透にぃから提案してくれた。十分休みも全部透にぃの教室で過ごした。
「潤くん、お昼はお弁当?」
「いつも購買でパン買ってる」
一日五百円のパン代をもらい適当に何個か味のしないパンを買っている。
「じゃあ、僕も一緒に行くよ」
「いいの? ありがとう」
やっぱり、透にぃは優しい。透にぃはお弁当を持ってきているのに俺に付き添ってくれた。
友達と一緒にご飯を食べるのは初めてだった。透にぃは年季の入った随分と大きな弁当箱を持ってきていた。お肉や茶色いおかずがたっぷり入っていた。
透にぃは箸の持ち方が綺麗だった。本当に非の打ち所がない人だ。透にぃに見とれながら、パンを食べる。
「美味しい……」
思わずつぶやいた。久々にちゃんと味がしたから。最近何を食べてもろくに味がしなかったのに。
両親が共働きで家でも一人で食べていた。誰かと一緒に食べるご飯がこんなにおいしいなんて初めて知って、パンに夢中でかぶりついた。
「潤くん、美味しそうに食べるね。見てるこっちも幸せな気持ちになる」
透にぃが笑いかけてくれる。
「良かったらちょっと食べる? 僕、少食だから食べきれなくて」
そう言って大きな弁当を指差す。
「いいの?」
「うん、残して帰るのも申し訳ないからさ」
「じゃあ、いただきます」
透にぃは唐揚げを一個箸でつまむと、俺の口の前まで持ってきた。
「はい、あーん」
落とさないように反射的に食べる。食べた後、少し気恥ずかしくなって目をそらしてしまった。ドキドキが止まらない。
「あっ、ごめんね。そうだよね、子供扱いみたいなことして、失礼だったよね」
「違うっ! そうじゃなくて、どう反応したらいいかわからなかっただけ!」
透にぃはやたら謝る。何も悪いことはしていないし、俺のためにしてくれていることで、俺は透にぃに対しては感謝しかないのに、どうして謝るんだろう。
「それに、実際俺年下だし。ほら、お兄ちゃん欲しかったって言ったじゃん」
「ならよかった。もっと食べる?」
「うん!」
透にぃは今度はハンバーグを綺麗に箸で割って、半分を食べさせてくれた。
「お父さんが昔使ってたお弁当箱だからさ、ちょっと僕には大きいんだよね」
「そうなんだー、物持ちいいね」
「小さいの買ったんだけど、おばあちゃんが『いっぱい食べないと大きくなれないよ』って結局大きいお弁当作るんだよね」
「分かる。俺もおばあちゃんの家行くとすごい量のご飯出てくる」
「やっぱり、これあるあるだよね?」
顔を見合わせて笑った。こういう他愛もない話をするのも、心から笑えたのも初めてだった。目に映る世界の全ての景色がワントーン鮮やかになった気がした。
教室での待遇も大分マシになった。せいぜい悪口を言われるくらいで、暴力はなくなった。
とはいえ、小さい頃は悪口でも充分傷ついていたわけで今でもダメージがゼロになったわけではない。結局リストカットは完全にはやめられなかった。
少し前までは明日が来ることに毎日怯えていた。年々無駄にボキャブラリーの増える誹謗中傷、園崎たちはどんどん悪いことを覚えて、力が強くなって、手口も巧妙になって、ただただ大人になるのが怖かった。どうせ大人になったって逃げられないのは分かっていたから。
親曰く、大人の世界にもパワハラやいじめがあって、それは子供の世界よりずっと陰湿らしい。今よりひどい状況を想像するだけで泣いていた。
逃げ出したかった。できるなら時が止まったネバーランドに。このまま夜が終わらなければいいのにと何度も願った。
でも、今は明日が来るのが怖くて眠れないなんてことはない。よく寝て、よく食べて、それなりに元気に過ごせるようになった。
最近は透にぃと一緒に登下校している。この日々がずっと続いてほしい。
「ごめん、もうちょっとゆっくり歩いてもらってもいい? 膝痛くてさ」
「えっ? 大丈夫? 怪我?」
「違う違う、成長痛」
「そうなんだ、羨ましいな」
「透にぃのおかげかも、ちゃんと夜寝られるようになったし、食欲も戻ったし、それで背伸びたのかも」
そう、全部透にぃのおかげだ。