翌朝、職員室で神楽坂のクラスを確認した。
「神楽坂さんって何組ですか?」
「神楽坂って二年の神楽坂透のことか? それなら一組だ」
学年主任の答えに背筋がひやりとした。女子と間違えるほど綺麗な顔と声をしていたので男子生徒だということにも驚いたが、それよりも先輩にタメ口を聞いてしまったことの方が一大事だ。
昨日貸してもらったハンカチは一応洗濯したけれど、新品も帰りにコンビニで買った。それらを握りしめて二年一組に向かう。先輩の教室は入りづらいなんて言うけれど、自分の教室よりは入りやすかった。
「透ちゃーん! 一年の子が呼んでるよー!」
ドア側の席にいた女の先輩が大声で呼んでくれた。神楽坂先輩が駆け寄ってくる。
「昨日の子だよね。怪我大丈夫だった?」
「はい、昨日はありがとうございました。ハンカチ返しに来ました。あと、敬語使わなくてごめんなさい」
「いいよー。後輩に敬語使われたことないから、敬語逆に慣れないし」
ビクビクしている俺を安心させるように、神楽坂先輩はにこにこしている。おずおずとハンカチを差し出す。
「よく僕のクラスと名前分かったね」
「ジャージ……あと、先生に聞きました」
「あ、そっか。そういえばこの学校のジャージ名前入りだったね」
先輩は少し考えた後、俺に質問した。
「名前、聞いてもいい?」
「春野です」
「春野くんか。よろしくね。何か困ったことがあったら、いつでも相談してね」
現在進行形でずっと困っている。たくさんの先輩が視界に入った。ここで匿ってもらえればいじめられない。園崎だって馬鹿じゃない。たかが“ストレス発散”で先輩の教室にまで入って来ない。1日1回でいいから平穏が欲しい。
「昼休み……」
小さく呟きかけると、予鈴が鳴り響いた。俺は我に返る。
「何でもないです。ありがとうございました」
先輩に頭を下げると、ダッシュで教室に帰った。何を口走っているんだろう。
優しい言葉をかけられたのは初めてだった。つい期待してしまった。でも、どう考えても迷惑だし、昼休みだけ逃げたところで余計園崎を苛つかせるだけだ。どうせ逃げられない。教室の隅で怯える日々がこれからもきっと続いていく。
昼休みになると、園崎に水をかけられた俺をみんなが嘲笑っている。いい加減慣れれば楽になるのに、いつまで経っても感情は鈍ってくれない。
「失礼しまーす。春野くんいますかー?」
突然、昨日助けてくれた声がした。二年生の学年章を襟に付けた先輩の来訪にクラスメイトは驚いていた。
「センパーイ、この馬鹿がなんかやらかしたんすかぁ? 俺が代わりにしめときましょうかー?」
園崎がゲラゲラ笑っている。
「やめなよ。嫌がってるじゃん」
先輩の一言に、教室が静まり返った。先輩の声変わり前の高い声が、俺にはヒーローの声に聞こえた。園崎は固まっている。
「何部か分からないけど、君たち運動部だよね? こういうことしてたら、部活停止もあるって覚えておいた方が良いよ」
気に障ることを言われたからと言って、先輩に殴りかかるほど園崎は非常識ではない。バツが悪そうに仲間たちと顔を見合わせている。
「着替えに行こっか。風邪ひいちゃうよ」
手を差し伸べられる。俺より一回り小さなその手は、大人の手よりも力強く見えた。俺は迷わずその手に縋った。
先輩に連れられて、教室を出る。先輩の背中は誰よりも大きく見えた。逃げ場のなかった地獄に、神様が舞い降りた。
「神楽坂さんって何組ですか?」
「神楽坂って二年の神楽坂透のことか? それなら一組だ」
学年主任の答えに背筋がひやりとした。女子と間違えるほど綺麗な顔と声をしていたので男子生徒だということにも驚いたが、それよりも先輩にタメ口を聞いてしまったことの方が一大事だ。
昨日貸してもらったハンカチは一応洗濯したけれど、新品も帰りにコンビニで買った。それらを握りしめて二年一組に向かう。先輩の教室は入りづらいなんて言うけれど、自分の教室よりは入りやすかった。
「透ちゃーん! 一年の子が呼んでるよー!」
ドア側の席にいた女の先輩が大声で呼んでくれた。神楽坂先輩が駆け寄ってくる。
「昨日の子だよね。怪我大丈夫だった?」
「はい、昨日はありがとうございました。ハンカチ返しに来ました。あと、敬語使わなくてごめんなさい」
「いいよー。後輩に敬語使われたことないから、敬語逆に慣れないし」
ビクビクしている俺を安心させるように、神楽坂先輩はにこにこしている。おずおずとハンカチを差し出す。
「よく僕のクラスと名前分かったね」
「ジャージ……あと、先生に聞きました」
「あ、そっか。そういえばこの学校のジャージ名前入りだったね」
先輩は少し考えた後、俺に質問した。
「名前、聞いてもいい?」
「春野です」
「春野くんか。よろしくね。何か困ったことがあったら、いつでも相談してね」
現在進行形でずっと困っている。たくさんの先輩が視界に入った。ここで匿ってもらえればいじめられない。園崎だって馬鹿じゃない。たかが“ストレス発散”で先輩の教室にまで入って来ない。1日1回でいいから平穏が欲しい。
「昼休み……」
小さく呟きかけると、予鈴が鳴り響いた。俺は我に返る。
「何でもないです。ありがとうございました」
先輩に頭を下げると、ダッシュで教室に帰った。何を口走っているんだろう。
優しい言葉をかけられたのは初めてだった。つい期待してしまった。でも、どう考えても迷惑だし、昼休みだけ逃げたところで余計園崎を苛つかせるだけだ。どうせ逃げられない。教室の隅で怯える日々がこれからもきっと続いていく。
昼休みになると、園崎に水をかけられた俺をみんなが嘲笑っている。いい加減慣れれば楽になるのに、いつまで経っても感情は鈍ってくれない。
「失礼しまーす。春野くんいますかー?」
突然、昨日助けてくれた声がした。二年生の学年章を襟に付けた先輩の来訪にクラスメイトは驚いていた。
「センパーイ、この馬鹿がなんかやらかしたんすかぁ? 俺が代わりにしめときましょうかー?」
園崎がゲラゲラ笑っている。
「やめなよ。嫌がってるじゃん」
先輩の一言に、教室が静まり返った。先輩の声変わり前の高い声が、俺にはヒーローの声に聞こえた。園崎は固まっている。
「何部か分からないけど、君たち運動部だよね? こういうことしてたら、部活停止もあるって覚えておいた方が良いよ」
気に障ることを言われたからと言って、先輩に殴りかかるほど園崎は非常識ではない。バツが悪そうに仲間たちと顔を見合わせている。
「着替えに行こっか。風邪ひいちゃうよ」
手を差し伸べられる。俺より一回り小さなその手は、大人の手よりも力強く見えた。俺は迷わずその手に縋った。
先輩に連れられて、教室を出る。先輩の背中は誰よりも大きく見えた。逃げ場のなかった地獄に、神様が舞い降りた。