翌日、覚悟を決めて俺たちが会議室に入ると、たくさんの大人がいた。俺の母親や早瀬の他、校長をはじめとする偉い人がたくさんいた。俺は脱走理由の説明を求められた。
「いじめられて、辛くて」
「被害妄想じゃないのか。それに、同級生と軽い揉め事があったくらいで神楽坂を巻き込んで騒ぎを起こすのは違うんじゃないのか?」
俺が話し出すと、早瀬が遮るように吐き捨てた。被害妄想でも軽い揉め事でもない。でも、それを証明する術は持っていない。きっと何も変わらない。そう思うと、声が出なくなった。
「早瀬先生は黙っていてくださいませんか? 今、潤くんが話しているんです」
透にぃが口を開いた。
「脱走を提案したのは僕です。僕が潤くんを誘拐しました。そうしないと潤くんが死んでしまうと思ったから」
大人を前にしても透にぃは毅然としていて、早瀬はたじろいでいた。
「潤くん、続き話せる? 僕から話す?」
透にぃが心配そうに俺の顔を覗き込む。ハッとした。自分で戦わないと、この先一生このままだ。俺は声を絞り出した。
「園崎君に、俺が一番大事にしている物を無理矢理取られて、返してほしかったら二万円払えって脅されました」
あの日の悪夢が蘇る。もう切り刻まれたり燃やされたりしてしまったかもしれない。そんな想像がよぎってボロボロと涙がこぼれた。
「いじめが始まったのは小学校1年生の時です」
七年分の傷痕をひとつひとつ振り返るのは想像以上に辛かった。殴られたことを口にするたび、その箇所が痛んでうまく話せなくなった。
「ゆっくりでいいからね」
机の下でずっと透にぃが手を握っていてくれたから、なんとかフラッシュバックに耐えられた。途中何度も泣いて、言葉に詰まった。もう思い出したくない。それでも、必死にやられたことを全部話した。
「リストバンド、返して。もう、いじめないで」
最後に一番言いたいことは何とか言えた。そこで限界が来て過呼吸を起こした。症状が落ち着いた後、透にぃの声がした。
「よく頑張ったね」
透にぃが背中をさすってくれた。
「早瀬先生、今のが軽い揉め事に聞こえましたか」
透にぃは静かに切り出すと、友達からLINEで集めてくれた何件もの目撃証言を読み上げた。俺の告発と内容が一致していた。
「学年も違うのに、これだけの人が目撃しているんです。それでも被害妄想と言い張りますか」
俺を威嚇していた早瀬は何も言い返せなくなっていた。
「加害者全員の少年院送致が適切ではないのですか?」
強い口調で透にぃが言い切ると会議室が騒然となった。最終的に、警察や教育委員会などと連携してのいじめの迅速な調査をすると言う結論になり会議は終了した。
「潤」
母に声をかけられる。学校をサボった、無断外泊した、親に恥をかかせた。絶対怒られると思い、身構えた。
「ごめんね、潤。潤がそこまで酷いことされてるって知らなかった。ちゃんと話聞いてあげなくてごめんね」
いきなり抱きしめられる。俺が上手く話せなかったのも悪いのに、母はずっと謝っている。職場でひどいパワハラを受けても泣かなかった母が泣いている。
「林間学校、休んでもいい?」
今なら母に弱音を吐いても許されるような気がして、一つだけお願いをした。
「うん、いいよ。ゆっくり休もう」
母に肩を抱きかかえられて家路につく。ちらっと後ろを振り返ると、透にぃが「よかったね」と口パクをした。
「潤、誕生日おめでとう。生まれて来てくれてありがとう。お母さんね、潤が元気でいてくれたらそれでいいから」
緊張の糸が切れたからか熱を出した。休んでいる間に事態は進展したらしく、事の発端となったリストバンドが返って来た。俺の弱みとしての利用価値があったからか無傷のままでほっとした。
調査の結果、5人は停学とサッカー部の強制退部処分になった。透にぃが最初に強い処分を要求してくれたので、前代未聞の重い処分に決定したらしい。責任のなすりつけ合いで暴力事件が起こり、俺の件とは別件で警察沙汰になった。近所で悪評が広まって、園崎含め2人が転校した。残りのメンバーは2人が不登校になり、残った1人も教室ではしおらしくしているらしい。早瀬も担任を外されたとのことだ。
落ち着いたところで俺も学校に復帰した。別室登校の教室は3年1組の隣だった。あの会議室にいた先生何人かが俺の味方になってくれて、その計らいらしい。オセロの駒をひっくり返すように、一気に世界に俺の味方が増えた。最初の味方は透にぃだった。透にぃが世界を変えてくれた。
透にぃに勉強を教わり始めた。同じ学校に行きたかったから。まだ合格圏内とは到底言えないけれど、成績はだいぶ上がった。透にぃの教え方がよかったのと、心の荷物をおろせたことで勉強に集中できるようになったからだと思う。
途中から少しずつ教室に入れるようになった。最初は足がすくんだけれど、いざとなったら逃げ場があると思えたから頑張れた。二学期は半分くらい通った。
三年生の自由登校期間が始まってからも学校に行った。透にぃがいなくても学校に行けると証明したかった。半分意地のようなものだった。特に危害を加えられることはなかったけれど、未だに教室に入ろうとすると少しだけ手首の古傷が痛む。
もう1つ、理由があった。透にぃの合格の知らせをLINEではなく直接聞きたかったから。神原高校の合格発表の日、透にぃは職員室より先に俺の元に来てくれた。
「潤くん! 僕、神原高校受かったよ! 来年、待ってるから!」
「いじめられて、辛くて」
「被害妄想じゃないのか。それに、同級生と軽い揉め事があったくらいで神楽坂を巻き込んで騒ぎを起こすのは違うんじゃないのか?」
俺が話し出すと、早瀬が遮るように吐き捨てた。被害妄想でも軽い揉め事でもない。でも、それを証明する術は持っていない。きっと何も変わらない。そう思うと、声が出なくなった。
「早瀬先生は黙っていてくださいませんか? 今、潤くんが話しているんです」
透にぃが口を開いた。
「脱走を提案したのは僕です。僕が潤くんを誘拐しました。そうしないと潤くんが死んでしまうと思ったから」
大人を前にしても透にぃは毅然としていて、早瀬はたじろいでいた。
「潤くん、続き話せる? 僕から話す?」
透にぃが心配そうに俺の顔を覗き込む。ハッとした。自分で戦わないと、この先一生このままだ。俺は声を絞り出した。
「園崎君に、俺が一番大事にしている物を無理矢理取られて、返してほしかったら二万円払えって脅されました」
あの日の悪夢が蘇る。もう切り刻まれたり燃やされたりしてしまったかもしれない。そんな想像がよぎってボロボロと涙がこぼれた。
「いじめが始まったのは小学校1年生の時です」
七年分の傷痕をひとつひとつ振り返るのは想像以上に辛かった。殴られたことを口にするたび、その箇所が痛んでうまく話せなくなった。
「ゆっくりでいいからね」
机の下でずっと透にぃが手を握っていてくれたから、なんとかフラッシュバックに耐えられた。途中何度も泣いて、言葉に詰まった。もう思い出したくない。それでも、必死にやられたことを全部話した。
「リストバンド、返して。もう、いじめないで」
最後に一番言いたいことは何とか言えた。そこで限界が来て過呼吸を起こした。症状が落ち着いた後、透にぃの声がした。
「よく頑張ったね」
透にぃが背中をさすってくれた。
「早瀬先生、今のが軽い揉め事に聞こえましたか」
透にぃは静かに切り出すと、友達からLINEで集めてくれた何件もの目撃証言を読み上げた。俺の告発と内容が一致していた。
「学年も違うのに、これだけの人が目撃しているんです。それでも被害妄想と言い張りますか」
俺を威嚇していた早瀬は何も言い返せなくなっていた。
「加害者全員の少年院送致が適切ではないのですか?」
強い口調で透にぃが言い切ると会議室が騒然となった。最終的に、警察や教育委員会などと連携してのいじめの迅速な調査をすると言う結論になり会議は終了した。
「潤」
母に声をかけられる。学校をサボった、無断外泊した、親に恥をかかせた。絶対怒られると思い、身構えた。
「ごめんね、潤。潤がそこまで酷いことされてるって知らなかった。ちゃんと話聞いてあげなくてごめんね」
いきなり抱きしめられる。俺が上手く話せなかったのも悪いのに、母はずっと謝っている。職場でひどいパワハラを受けても泣かなかった母が泣いている。
「林間学校、休んでもいい?」
今なら母に弱音を吐いても許されるような気がして、一つだけお願いをした。
「うん、いいよ。ゆっくり休もう」
母に肩を抱きかかえられて家路につく。ちらっと後ろを振り返ると、透にぃが「よかったね」と口パクをした。
「潤、誕生日おめでとう。生まれて来てくれてありがとう。お母さんね、潤が元気でいてくれたらそれでいいから」
緊張の糸が切れたからか熱を出した。休んでいる間に事態は進展したらしく、事の発端となったリストバンドが返って来た。俺の弱みとしての利用価値があったからか無傷のままでほっとした。
調査の結果、5人は停学とサッカー部の強制退部処分になった。透にぃが最初に強い処分を要求してくれたので、前代未聞の重い処分に決定したらしい。責任のなすりつけ合いで暴力事件が起こり、俺の件とは別件で警察沙汰になった。近所で悪評が広まって、園崎含め2人が転校した。残りのメンバーは2人が不登校になり、残った1人も教室ではしおらしくしているらしい。早瀬も担任を外されたとのことだ。
落ち着いたところで俺も学校に復帰した。別室登校の教室は3年1組の隣だった。あの会議室にいた先生何人かが俺の味方になってくれて、その計らいらしい。オセロの駒をひっくり返すように、一気に世界に俺の味方が増えた。最初の味方は透にぃだった。透にぃが世界を変えてくれた。
透にぃに勉強を教わり始めた。同じ学校に行きたかったから。まだ合格圏内とは到底言えないけれど、成績はだいぶ上がった。透にぃの教え方がよかったのと、心の荷物をおろせたことで勉強に集中できるようになったからだと思う。
途中から少しずつ教室に入れるようになった。最初は足がすくんだけれど、いざとなったら逃げ場があると思えたから頑張れた。二学期は半分くらい通った。
三年生の自由登校期間が始まってからも学校に行った。透にぃがいなくても学校に行けると証明したかった。半分意地のようなものだった。特に危害を加えられることはなかったけれど、未だに教室に入ろうとすると少しだけ手首の古傷が痛む。
もう1つ、理由があった。透にぃの合格の知らせをLINEではなく直接聞きたかったから。神原高校の合格発表の日、透にぃは職員室より先に俺の元に来てくれた。
「潤くん! 僕、神原高校受かったよ! 来年、待ってるから!」