綱くんの提案により、鬼の子の呪いについて記されている書物を探すため、鬼王家に代々伝わる蔵へ向かった。蔵は敷地内の自宅の裏にある。普段は使われていないので、電気も通っているのか分からない。念のため、懐中電灯も持って行くことにした。
太陽は沈み、視界も暗闇に覆われていく。我が家は父が住職として働くお寺の上にあるため、交通量の多い大通りからは離れていた。街灯もなく、今ある光は我が家から漏れる光のみだった。
自宅から蔵までは150mくらいの距離がある。古いお寺の敷地内なので、土地だけは無駄に広い。蔵までの道は使うことが少ないので、手入れが行き届いていない。草は茂り、砂利や石がゴロゴロ転がって歩きにくい。
そんな歩きづらい道でも、男2人はズカズカと歩いて行く。私はそんな2人の後を、暗闇の中追いかけるのに必死だった。自分の家の敷地内だとしても、暗闇に取り残されるのは怖い。
「花純ー。遅いぞ。置いてくからな」
遅れているのに気づいた光希から、容赦ない野次が飛ぶ。その声に急かされるように足を急いで進めた。
「ご、ごめん。今行く……」
迷惑をかけないように、急いで足を進めた。視界が悪く足元は見えない。整備されていない道は、本当は歩きづらくて怖い。そんなことを言えるはずもない。「助けて」と素直に言えるような人生を歩んできていないからだ。
普通の女の子なら、素直に「怖い!手を繋いで!」って言えたりするのかな?
そんな、願っても叶うはずのない妄想を浮かべた。
妄想は浮かべただけで、現実は強がって大丈夫なフリをした。怖いと伝えたところで、鬼の子の私は手を繋いでもらえないからだ。
慌てたせいで、足が取られて体のバランスが崩れる。
転ぶ一歩手前で、手を差し出された。
「え?」
「差し出されたら、黙って掴めばいいんだよ」
手を掴むことを躊躇する私に優し気な声が降りてくる。
「いや、でも……」
手を繋ぐ事を躊躇した。鬼の子なのにひと様の手を煩わすなんて。
そう思う気持ちと、優しさに甘えたい気持ちが交差する。
ごくんと唾と共に、勇気も飲み込んだ。
差し出された大きい手をゆっくりと掴む。あたたかいぬくもりに触れえると、その温かさが心にも伝導するようだった。掴んだ手をぎゅっと握り返してくれた。
勇気を出してよかった。
ただ差し出された手を掴むだけ。
それだけのことだけれど、私にとっては遠くにある希望に手を伸ばすように勇気のいる行動なのだ。
綱くんは、握られた手をグイッと自分に引き寄せた。そして手を繋いだまま前に足を進めて行く。
手を繋いで支えてくれることで、歩きにくかった道も、一段と歩きやすくなった。
立ち尽くす光希の横を通る。彼に視線を向けると、ふいっと顔を逸らされた。その時の表情は闇が覆い被さり、見ることは出来なかった。
「暗闇で歩くの怖いなら言えよ。自分家の敷地内だから、余裕だと思ってた」
「自分の家の敷地内だけど、蔵には何年も来てないから、この道もずっと歩いてないんだよ。真っ暗で足の踏み場が分からなくて、歩きづらくて……」
「大丈夫」とでも言うように、握っている手をぎゅっと強く握ってくれた。
私は浮き立つ心を鎮めるのに必死だった。
「蔵ってこれか?」
倉庫の前に辿り着いた。繋いでいた手は自然と離れて行く。
漆喰仕立ての建物は、小さいながらも存在感がある。久しぶりに蔵を見たけど、夜に見ると少し怖い雰囲気が漂っていた。
「綱、どう? いけそう?」
少し遅れてきた光希の表情は、少し強張っているように見えた。
さっき視線を逸らされたのが気になり、視線を送るも一向にこっちを見ようとはしない。彼の感情が分からなかった。
「この形ならいけそう。……見つかったら俺捕まる?」
口を開けて笑いおどけて見せた。カチャカチャと細かい金属音を立てながら綱くんが、倉庫の鍵を開けようと奮闘している。
「私の家だから、流石に捕まらないけど……ボロクソに怒られると思うから見つかりたくない」
「良くて説教。悪いと1週間家に閉じ込められるな」
「見つからないうちに、さくっと、探しますか。……よし。空いた!」
カチャッと響きの良い音が鳴る。話しながらの数分で倉庫の鍵を開けたのだ。
予想外の速さに驚いて呆気に取られる。「その技術は一体どこで?」とか、聞きたいことはあったけど、聞かない方がいい気がして口を詰むんだ。
開かずの倉庫の鍵を開ける事ができた。やる事は1つ。
――鬼の子の呪いの詳細が記された書物を探すこと。
ギィ――。鈍い音を鳴らしながら重い扉を開けた。中は暗闇に包まれている。カチッと懐中電灯のスイッチを入れて、暗闇に光を照らした。辺りを見回して照明のスイッチがないか探していると、パッと辺りが明るくなった。
「電気点いたな」
光希が照明のスイッチを見つけて押してくれたようだ。いくら懐中電灯があると言っても、暗闇の中で書物の文字を読むのは難しい。照明が生きていてよかった。
古い書物が沢山あるので、古びたインクの匂いが鼻に残る。私は何処となく懐かしさを感じた。10畳程度の広さなので、決して広くはない。蔵の中を見回した。
土壁で作られた壁一面は、子供の時の記憶よりも少し古びたような気がする。
外は夜になっても残暑のせいで蒸し暑いのに、分厚い土壁のおかげで、蔵の中は湿度が保たれているようだ。涼しくも感じる。
「なんか、思ってたより綺麗だな」
「うん……」
普段使われていないはずの蔵に、違和感を感じる。この蔵は普段使われておらず、年に数回、鬼王家の誰かが来て換気と軽い掃除をするくらいだ。違和感を感じていたのは、私だけではなさそうだ。
「綺麗すぎる」
そう。綺麗すぎるのだ。積み上げられた書物には埃が被っておらず、普段使われていない蔵とは思えなかった。閉ざされた空間なのに、空気もよどんでいない。
「昔来た時は、もっと埃が凄くてもう来たくない。って思った気がする」
「そうなんだよ。俺もそれ思った。埃臭くてじめっとしてた記憶があるんだよな」
「ってことは……誰かが頻繁にこの蔵に来てるって事?」
一体何のために――?
私たちは表情を強張らせて、全員顔を見合わせた。
「何のためって、鬼王家のなにかを調べたい奴がいるってことだろ?」
誰が、何の目的で、この蔵に。
鬼王家の人間だとしたら、父か母。叔父さんか叔母さんしかいない。
鬼王家の人間ではない人物だとしたら、どうやってこの蔵に……。
数秒間の沈黙が続いた。
私は頭をフル回転させて、考えてみたけど答えは見つからなかった。
「このことを追求するのは後の方がいいな。忍び込んだ以上、後には引けない。叔母さんと叔父さんが帰ってくるまえに、鬼の子の呪いが書かれた書物を探すぞ」
光希はそう言いながら、棚に積まれた書物を手に取り調べている。
怪訝そうな表情を浮かべて、乗り気じゃなかったのに、調べてくれている。その姿を見て、急いで私も探す作業に取り掛かる。棚に積まれた書物をペラペラとめくりながら読んでいく。鬼の子の呪いの手掛かりを探す。
表紙のないヨレヨレの書物や、黄ばみが強くて字が消えてしまっている書物も多かった。ここには代々の鬼王家の歴史が刻まれてい書物が保管されている。200年以上前の書物なので、時の流れには逆らえないということか。
鬼の子の呪いの手掛かりを探して、黙々と書物を読み調べていく。みんな真剣で口を開く者はいない。静寂を破ったのは綱くんの一言だった。
「なあ。これって……」
私と光希は作業していた手を止めて綱くんのところへかけつける。一段とボロボロの書物を手に持っている。
「これ、見てみろよ。ボロボロで読みにくいけど、『鬼の子の呪いを記す』って書いてあるよな? その次のページが……」
「――ない」
ボロボロの書物には、確かに"鬼の子の呪いを記す"と書かれていた。そして、次のページが乱雑に切り取られている。
「誰かが、破り捨てた?」
「100年前とか、昔に破り取られてたのかもよ?」
綱くんは破り取られたページを、真剣な顔でまじまじと観察している。
「いや、これ破り取られたのは最近だな」
「え、なんで分かるの?」
「この書物100年前以上の物だろうから、ボロボロだしかなり色褪せてる。それと比べて、破れた紙の端の色褪せが少ないと思わないか?」
そう言われて、もう一度しっかり破り取られた部分を確認する。じっと見つめると、確かにその通りだった。色褪せて黄ばんだボロボロな書物に対して、破り取られたページの紙の端は色褪せが極端に少なかった。
「一体、誰が――」
蔵の入り口の方ガタっと大きな物音がした。
誰かが外の入り口にいる。隠れようにも隠れられる場所もない。そして、逃げる時間もなかった。
「やばい、誰か来た!」
ギーっと鈍く重い音をたてながら蔵の扉が開いた。
焦っている私たちはなすすべがない。
「ちょっと! あんたたち。こんなところで、何してるの?」
怒っているけど、心配してるような優しさの感じるこの声は、何度も聞いたことのある声だった。
「お母さん……」
蔵入り口には扉を開けて、驚きながらも怪訝そうな顔をしてかなり怒っているように見える母の姿があった。
「花純! 光希もこの蔵にどうやって入ったの? 蔵で何やって……あら? 見たことない顔も……」
視線を向けられた綱くんは、ペコリと浅めのお辞儀をした。
「彼は同じクラスの……」
「とりあえず、お父さんにバレたら大変だから家に帰るよ?」
綱くんのことを紹介する前に、言葉を被せられ遮られた。
「悪いけど、家族で話すから今日は帰ってもらえる?」
母は綱くんに視線を向けて言葉を続けた。その表情は険しくて有無を言わせない感じだ。
そんな空気を読んだのか、綱くんは軽くお辞儀をすると、私に向けて大きく頷いた。一足早く蔵を後にした。
かなりご立腹の様子の母が目の前で仁王立ちしている。
蔵にいたところを見つかった後、我が家のリビングに光希も連れられて来た。
萎縮して表情を強張らせながら、黙って母の様子を伺っていた。怒っている時の母はとにかく怖いと知っていたからだ。
「――で? 2人はなんで蔵にいたの? 鍵は?」
沈黙を破った声は鋭い口調で問う母の声だった。ご立腹の様子で淡々と言葉を放つ。
「叔母さんには正直に言うけど、鬼の子の呪いを解く方法がないか探してたんだ」
母の威圧に怯えて言葉に詰まらせた私の代わりに、光希がはっきりとした口調で答えてくれた。
「呪いを解く方法? そんなもの……」
母の顔が一瞬引き攣っているようにも見えた。顔をひきつらせたま、はっきりと繰り返す。
「呪いを解く方法なんて、ないわよ」
「でも、鬼の子のことが記された書物に破り捨てたページがあったの。その破れはまだ新しくて……」
ピクッと眉が動くのが見えた。そして、困ったように息を吐いた。
「はあ。あなたたち、今後蔵には立ち入らないこと。今回の件はお父さんには黙っていてあげるから」
「で、でも!」
「『でも』じゃない! 自分達のしたことが分かってるの? もう同じこと言わせないで」
私は納得がいかずにもう一度伝えようとすると、必要以上に強い口調で否定された。
母は、私の目を見てはくれなかった。
母も、綱くんや光希のように、一緒に鬼の子の呪いを解く方法を探してくれると思っていた。
一緒に探してくれるわけではなく突き放されたことに、心のどこかでショックを受けている自分がいた。
母だからと言って、娘のためになんでもしてくれるわけではない。
どんなに同じ時間を過ごしても、母という人間のことが分からなかった。
「光希も、もう無断で蔵に入っちゃダメよ? 分かった? こんなこと二度としないように」
強い口調で念を押すと、重いため息を吐きながらリビングを出て行った。
残された私たちは顔を見合わせる。口を開けて何かを言いたげな様子だったが、私はそれを遮るように下を向いた。