「でも……彼女いるじゃん……」

 大ちゃんは私から目を逸らさなかった。
 見たことがないくらい真剣な眼差しで私を見ていた。

「彼女は……言い訳がましいかもしんないけど、どっちにしろもう別れるつもりだったから」

 ──あいついっつも余裕ぶってんのに、菜摘にだけは熱くなるよ。
 ──あいつが唯一必死になんのは、菜摘のことだけ。
 ──あいつが唯一人間らしくなんのは……菜摘といる時だけなんだよ。

 駿くんの言葉が脳裏を駆け巡る。
 私が泣けば、大ちゃんはいつだって駆けつけてくれた。包み込んで、笑って、マイナスな感情を全部吹き飛ばしてくれた。
 どんどん離れていくと思っていた私たちの距離は、少しずつでも、ほんの少しずつでも、近付いていたのだろうか。

「菜摘が好きだよ」

 私、夢でも見てるのかな。もしかして、今日のことは全部夢なのかな。
 菜摘が好きだよって、ずっとずっと、大ちゃんから聞きたかった。
 ずっとずっと、そう言ってくれる日を夢見ていた。

「なんで泣くんだよ。泣き虫」
「泣くよこんなの……」
「だからなんでだよ。菜摘は? 俺のこと好き?」

 絶対に人前で泣かないという心の誓いは、とっくに壊れていた。
 どうして大ちゃんといる時は涙を堪えられないんだろう。

「ずっとずっと、好きだったよ」

 これは、夢じゃない。大ちゃんは今、確かに目の前にいる。
 大ちゃんの香りも、笑顔も、ぬくもりも、確かにここにある。

「俺……彼女とは別れるから。待っててくれる?」

 声にならない声で、何度も何度も頷いた。
 泣きじゃくる私を見て、大ちゃんは困ったように笑いながら私の頭を撫でる。落ち着かせるつもりでそうしてくれているのだろうけど、逆効果だということを大ちゃんは未だに知らない。
 大ちゃんに触れられると、優しくされると、余計に涙が止まらなくなるのに。

「あ。言うの忘れてた」
「なに?」
「誕生日おめでと」

 大ちゃんは私を泣き止ませる気があるのだろうか。
「だから泣くなって」と笑いながら私をぎゅっと抱きしめて、落ち着くまで背中をさすってくれた。

 幸せだった。
 今まで生きてきた中で、この瞬間が一番幸せだと思った。
 これ以上の幸せなんか存在しないと思った。
 嬉しすぎて、幸せすぎて、それ以外の感情なんて、なにもなかった。
 私は世界で一番幸せだと、本気でそう思った。

 顔を上げると、大ちゃんは手で私の涙を拭った。
 離すことなく、大きな手で頬を包まれる。
 ゆっくりと、顔が近付いてくる。

 ──彼女と別れたら付き合う。

 目の前の幸せに溺れて最低な約束をした私は、そっと目を閉じた。